日曜の朝

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日曜の朝、カーテンから差し込む日の光で目を開けた。 後ろから感じる体温にはまだ慣れなくて、少しむず痒い。腰にぎゅっと巻き付けられた腕から逃れようと身を捩るけれど、細いくせに筋肉質の身体はしっかり毛布ごと俺のことを抱え込んでいて離れない。 そっと振り向いて、すうすうと吞気に寝息を立てる顔をじっと見つめる。それから頬をつねってみた。顔をしかめて、手を払おうとしてくる。あからさまに不機嫌な顔が可笑しくて、笑いをこらえた。 最初は冷たそうな奴だなと思った。高学歴の上に、どこか浮世離れした整った容姿だからすぐに女性社員に取り囲まれていたけれど、すげなく断り単独行動を貫いている。先輩のことを脅かすくらい仕事ができるけど、職場では一切無駄口を利かず、いつもどこかそっけない。同期との飲み会とかにも全く参加せずラインもやってない。格下の自分のことなんかきっと見下しているんだろうなと思っていた。 けれどそんな奴がさり気なく自分のことを見ていて、ピンチの時に不器用な優しさでフォローしてくれる。 そんなことされたら、誰だって好きになるだろ? 俺だってそうだった。 三流大学からダメもとでエントリーシートを送った大手の総合商社。なぜか面接で重役に気にいられて就職を決めたはいいが、周りの新入社員たちのスキルの高さに驚愕しては、ため息ばかりついていた。陰で、コネ入社だと噂されていたのも知っていた。その噂を真に受けた上司からの当たりは強く、連日残業でもうボロボロだった。周りの奴らも見て見ぬふりを貫いていた。 けれどこいつは、誰よりも早く仕事をこなし、残業なんてしたこともないはずなのに、終業後にコンビニで買った弁当を手にふらっとデスクに現れては、俺の仕事を手伝ってくれた。社内評価を上げるためだろうとか、俺のできなさを笑おうとしているのだろうと内心ではひねくれた予想をたてながら、どうして手伝ってくれるのと尋ねると、こいつは俺から目をそらし、不愛想に「暇だから」とだけ言った。 その耳はゆでだこみたいに赤かった。 かわいいなと思った。男にかわいいなんて思ったのは初めてだった。 もうひねくれた考えなんて浮かばなかった。ありがとうと俺が言うと、違う暇だからだと棒読みのように繰り返し、俺に背中を向けると、ただ黙々と仕事を片付けてくれた。 そこから少しずつ話すようになるまでに、半年。 連絡先を交換して、仕事終わりに飲みに行くような仲になるまでに、1年。 気づいたら好きになっていた。 これまで自分は男を好きになったことはなかった。けれど、こいつー優聖(ゆうせい)は特別だった。少しずつ俺も仕事がこなせるようになってきて、前のように助けてもらうことが減っていっても、俺の仕事がうまくいくように手配してくれたりーしかも後から思い返してやっとわかるような、なかなか気づかれないようなやり方でー、俺にだけは仕事場でもプライベートな話をしてくれたりーお互いがはまっているドラマだとか、本当にたわいもない話だけどー、俺との接点を持っていてくれることがうれしかった。でも徐々に、こいつが俺にだけ優しいわけではないとわかってきた。 飲みに出かけた時、たまにこいつの携帯にかかってくる彼女からの電話。電話口のかわいらしい声に向かって、急にかけてくるのやめろよと愚痴りながら、席を立つ背中が、ひどく遠かった。優聖のいない間に飲むビールは苦くてまずくて、だけど意地になって飲んだ。本当は酒なんか好きじゃないし、むしろ嫌いだ。それでも飲み続けた。胸の苦しさを酒のせいにしてしまいたかったから。 それに、俺にだけ仕事のフォローをしてくれたわけじゃないのも知っている。最近はかつての俺のように、困っている新入社員がいれば、仕事の合間を縫ってでも話を聞いたり、アドバイスに乗ったりし始めていた。俺はそんなふうに他人のことを慮る姿にさらに惹かれながら、けれど同時に優しくされた新入社員に向かってドロドロとした気持ちが広がるのを必死にこらえた。汚い気持ちを無理やり高ぶらせて、なかったことにするために、エナジードリンクをがぶ飲みするようになった。 醜い嫉妬だらけの自分を受け容れたくなかった。 こいつの顔を見なければ苦しくなくなるんじゃないかと思い、うまく関わりを避けようとしたけれど、連絡がくればうれしくてすぐに返信してしまうし、顔を見れば自分から話しかけてしまう。余計に苦しくなるだけなのに。仕事に身が入るはずもなく、俺はまた上司に𠮟られてばかりの日々にもどってしまった。優聖が助けてくれようとしているのはわかっていたが、わざと背を向けて気づかないふりを突き通した。話しかけられようとすると即座に逃げた。連絡もできるだけ見ないようにした。同期からは喧嘩しているのかと面白がられたが、半笑いで無視した。 そんな日々が続いたある日のことだった。 7時過ぎ、やっと仕事が終わると、もう周囲に人はいなかった。いそいそと帰る支度をしていると、デスクに長い影が差した。それが誰なのかは分かったが、お疲れ様ですとつぶやいて脇からそっと退散しようとした。けれど背後から声がした。 「…そんなに簡単に切るんだ?もう仕事も1人でできるから俺のことは要らないって?」 恐る恐る振り返ると、目を吊り上げ、青筋を立てた優聖が俺に笑顔を向けていた。 「えっと…その…」 「話したいことがある」 半ば強引に連れていかれた居酒屋で、いつもは冷静で口数も少ない優聖は、俺の隣に座るなり開口一番まくしたてた。 「なんでここ最近ずっと無視してんだよ?俺なんかした?あと最近お前、なんか変だよ。前はそんなに酒もエナジードリンクも飲んでなかったのに。それになんか今日酒臭かったぞ、まさか飲んでから出勤したのか?」 その心配そうな顔がむかついて、俺はそっぽを向いた。それでも繰り返し問い詰められて、俺は呆気にとられたあいつの顔をしり目に、ビールを1瓶一気にあおると、ろれつの回らない口で、叫ぶ。天井がぐわんぐわんする。気持ち悪い。めまいかな。もう死ぬのかな。 「…もうやってられない。もう俺やめる」 「なにをやめるんだよ?」 「金輪際もう二度とやめる!やめるんだよ!」 「だから何を?」 「お前なんかもうすきじゃないっうううう」 そこからの記憶はない。目が覚めたら、あいつが心配そうに眉をハの字に曲げて俺のことを覗き込んでいた。 「あ、目を覚ましました!先生!」 薬品臭いにおいと、自分の寝ている白いベッドを見て、自分が病院にいることを知る。 「な、なんで俺病院に…?うっ」 体を起こそうとして激しい頭痛に襲われ、慌てた優聖の腕に支えられる。その温かさにずっと包まれていたいと思ったけれど、こいつの彼女のことを考えて、無理やり身体を引きはがそうとした。けれど、細いくせに実は筋トレで鍛えているこいつに力でかなうはずもなく、俺はその腕に半ば羽交い締めにされるようにして抱えられた。 「居酒屋さんで飲んでいて急に倒れたんじゃ。このお連れさんが夜間救急でここに運んでくれたんじゃよ。まったくどういう生活をしとるんか…この年齢で栄養失調とはのう。酒もエナジードリンクも当分は控えるように。あと規則正しい生活をしなさい。そもそも最近の若者は…」 おじいさん先生はその後も話し続けていたが、俺は初めて間近に感じる優聖の体温に胸が痛いほど動悸がしていて、話の内容はなにも入ってこなかった。そして徐々に居酒屋での記憶がよみがえるにつれ、嫌な汗が出てきた。昔からどんなに酔っても記憶を飛ばさないことが自慢だったが、今回はその特技が恨めしかった。せめて忘れたかった…いや違う忘れたふりを貫くんだそれしかない、そして何事もないように友達でずっといて、親友ポジションまでゲットして、こいつの結婚式ではきっと友人代表であいさつをする。そして俺はずっと忘れられないまま1人で、こいつの幸せを祈ることしかできなくて… フワフワした頭は次から次へとリアリティのある想像を広げていく、止めてほしくてももう止まらなかった。涙が溢れて、嗚咽に変わっていく。 「おい幸多(こうた)どうしたんだよ?気分悪いのか?もう寝るか?腹減ったのか?幸多?」 饒舌に喋る優聖の声を聞きながら、いつもの無愛想はどこいったんだよ、と心の中で笑う。聞俺は涙を流したまま無理やり目を閉じて寝たふりをした。 今日のことを忘れたことにできたとしても、好きな気持ちを失くすことなんかできない。 もうだめだ。 これ以上もうそばにはいられない。いや、いたくない。 心が限界だ。 彼女もいるし、お前は男だし、だけどもう友達ではいられないし、…この先にはいったい何があるというんだろう。もう何も見えない。 その後1日大事を取って入院して、俺は電話一本で会社を辞めた。上司は嫌味たらたらに説教をしてきたが、とくに引き留めることもなくOKを出した。けれど職場に置いてきた大量の私物が邪魔だから早く取りに来いと言う。俺は渋々、終業後に一人で取りに行くことに決めた。夜に1人で職場に向かうのは初めてだった。歩いて職場まで向かいながら色々なことをおもいだしていた。大体は、あいつのこと。 職場につくと、まずいつもの朝のように、あいつのデスクを確認する。誰と何してるのかそっと横目で見ながら仕事を始める。そしてもし目が合ったら… 「もう来てたのか、おはよう?」 まさか。なんでこんな時間まで。いや俺の幻聴かもしれない。だってそのセリフを言うのはいつもお前じゃなくて… 「最近言ってくれないから俺から言ってみた。で?お前はこんな時間に何しに来たわけ?」 「い、いや仕事を片付けようかと思って」 「こんな時間に?」 「う、うん…」 「あのさ、気づいてないと思った?」 部屋の空気が一気に冷たく感じる。言い逃れをしたらその空気に押しつぶされそうなほどに。 だけどもうここまで来たらしらばっくれるしかない。 「何のこと?」 わざとらしく頬の釣るような笑顔で言うと、しばしの沈黙の後、優聖は顔を抑えてため息をついた。 「お前もたいがいだけど、もっと馬鹿なのは俺だな…」 「え?」 「やめないでよ」 そう言うと、優聖は突然ぽすんと俺の右肩に頭を乗せてきた。 そのままぐりぐりと頭を肩に押し付けてくる。まるで甘えるみたいに。 「え…えっと…この状況はいったい…」 「…好きでもない奴の仕事なんか残業してまで手伝うわけないだろ。あとお前と一緒じゃなきゃ酒なんか飲まない。酒は嫌い」 「え…?」 「…俺そんなに分かりづらかった?これでも行動に出してたつもりなんだけど……」 俺の肩に押し付けられたままの頭。その耳は、いつかと同じように、ゆでだこみたいに赤い。その熱さが俺の肩から伝わってくるから、つられて俺の顔も熱くなる。 「…ずっと見てた。困ってるって言われたら断れなくて、全部引き受けて、それで自分がしんどくなってるくせに健気に頑張るところとか、妹からの電話に嫉妬して酒がぶ飲みしてるところとか、研修の一環で新入社員に指導してるだけなのにしょんぼりしてるところとか」 「…妹?研修の一環?」 「あ、でも、あと酒の記憶あるくせに嘘ついて突き通そうとする臆病なところは嫌い」 「なんで知って…!!」 「これまで何度も一緒に酒飲んでんだから普通お前が記憶飛ばさないことくらいわかるだろ?」 「…」 「あーあ。こんなことなら、さっさと言えばよかったな」 いつのまにか、温かい腕が俺の背中を包んでいた。 「お前が俺のこと意識してくれんのが嬉しくて、言えなかったごめん。好き」 驚いて聞き返すよりも先に、息が俺の唇にかかった。 「告白は先こされたけど、こっちは俺が先」 赤くて冷たいその唇に、そっと親指で触れる。 こうして一緒にいることが信じられなくて、こいつよりも先に目覚めては、こうやって寝顔をじっと見つめてしまう。 そして、あの日から重ねてきた日々のことを思いだすことで、少しだけ今のことを信じられるのだ。 こいつと一緒に上司に頼み込んで辞職を取り消してもらい、仕事をやめずにすんだこと。初めて手をつないだこと。初めての夜。一緒にお互いの誕生日を祝ったこと。電話口でしか聞いたことのない妹さんとこいつと3人で会った日、その可愛さに見とれていたら、その夜は声が枯れるまでベッドの上でめちゃくちゃにされたこと…。 最初はクールな奴だと思っていたのに、最近は俺のことになると饒舌になるので、その印象はすっかり薄れている。職場では相変わらず無愛想だが、俺と一緒だと態度が変わるため、周りの社員にからかわれることもしばしばだが、こいつはどこ吹く風という感じであまりに堂々としているので、俺の方が焦ってしまう。そんな俺のことを面白がっているのも知っているけど。 「ほんと、いい性格してるよな。寝顔はこんなかわいいのに」 そう呟いて、そっとその頬に口づけをした。 「……そこは口にするとこだろ?」 はっと我に返ると優聖はすっかり目を開けてニヤニヤと俺を見つめていた。 「ま、まさか気づいて…!どこから気づいてたんだよっ」 「さあどうでしょうね?幸多が素直になったら教えてあげてもいいけど?」 しらばっくれる優聖にふざけて抱き着きながら、俺はこっそりと涙をぬぐった。 好きになってくれて、ありがとう。 これからもこうして、一緒にいられますように。
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