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 俺の目の前には、ふわふわの少し癖のある色素の薄い髪を揺らし、大きな黒目がちの何の穢れも知らないであろう瞳でこちらをじっと見つめる天使(少年)が、触るとぷにぷにと気持ちよさそうな頬をピンク色に染めて立っていた。  え、眩しい……天使――――?  あまりの眩しさに俺は何度も瞬いた。  少年の愛らしさに驚きすぎて何も言えないでいると、 「北山 楓(きたやま かえで)です。よろしくお願いします」  と少年はキラキラの笑顔で、行儀よくちょこんとお辞儀をした。  まだ若そう……というより幼い、の方があっているのかもしれないがどちらにしても俺よりは大分年下の少年は、挨拶すらまともに言えない俺と違って随分と落ち着いているようだった。  見た目は幼い印象なのに、小さくても流石はαという事なのだろうか? 言われなくても分かる。楓君はαだ。身に纏う空気が違うのだ。  俺の父さんは上位のαなのでαの持つ独特の威圧のようなものにはいくらか耐性があるが、楓君に本気で威圧されたら俺は身が竦んでしまうだろう。だけど、初対面であるのに楓君は絶対にそんな事はしないって思えた。どうしてかは分からないが――そう思えたんだ。 「…………及川……薫……です」  やっとの事で名乗る事が出来たが、その後が続かない。流れる沈黙に焦れば焦る程言葉は出ないのに、少年はにこにこと笑顔のままだ。俺の隣りで父さんもにこにこと笑っている。ついでに言うと傍に控えている執事の山本まで笑顔だ。何だこのシュールな絵!  いつまでも続く沈黙に、父さんは強行手段とばかりに俺たちを早々に俺の自室へと押し込めてしまった。  あとは若い者だけで、とかなんとか。  父さんは普段はグループをいくつも持つ大企業のトップで、何でもスマートにこなすすごい人なのに俺の事となると暴走しがちだ。十年前からお見合い写真をばら撒いていたのだって親ばかの域を超えている。  そのせいで俺の顔と名前があちこちに知れ渡って困った事になった事もあるが、それは伝えていない。  俺の為を思ってやってくれたのに迷惑だなんて言えない。こんな俺を愛してくれたように俺もどんな父さんでも親として愛しているし尊敬もしている。  場所が変わっても状況は変わるわけではなくて、俺と突然できた婚約者? の少年、楓君。  何を言っていいのか分からない。分からな過ぎて、首に巻かれたネックガードを気が付くと触っていた。Ωの不安行動らしい。 「にゃ~」  そこに現れた救世主! 「翡翠!」  さっきの騒動でどこかに姿をくらましていた翡翠がトテトテと楓君に近寄ったかと思うと、その膝に乗り身体を丸めて満足そうにぴすぴすと鼻を鳴らした。 「珍しいな……」 「珍しい?」 「あーうん。翡翠は昔雨の日に拾った子なんだけど俺以外には全く懐かなくて、お客さんが居る間はどこかに隠れていて絶対に出て来ないんだ。なのに――楓君の膝の上でリラックスしてる……」  楓君は、「そう……ですか」と小さく呟くと嬉しそうに微笑んで翡翠を優しく撫でた。翡翠を見る瞳はどこまでも優しい。あんな風に俺も――――。  なんて、そんな事を考えてしまった自分に驚く。  それを打ち消すように頭を左右にブンブンと勢いよく振り、誤魔化すように訊ねてみた。 「――えっと……楓君は……いくつ、なのかな?」 「十四歳です」 「十四…………???」  思わず声が裏返り、身を乗り出したせいで楓君にぐんと近づいてしまった事は許してほしい。  至近距離で目が合い、にっこりと微笑まれるもんだからドキドキと心臓が激しく踊り出す。  十四歳だなんて――――いくらなんでも若すぎる……。まさか……そんな、いや、でも……。  頭に浮かぶ一番あり得る事実。もうそれ以外考えられなくて、俺の心臓はさっきとは違う意味でドキドキと煩くなる。 「俺は二十八歳なんだけど……、楓君は……この話、納得……してるの……?」  俺たちの年齢はあまりにも不釣り合いだ。容姿だって……。だとすればこれは『政略結婚』だと考えれば一番すんなりとくる。何で俺はそんな当たり前の事に考えが及ばず、浮かれたりしたんだ。  だけど、返って来たのは意外な答えだった。 「薫さんの年齢など存じてますよ。僕は歳の差なんて気になりませんが……薫さんは気にされます……か?」  今日初めて見る楓君の笑顔以外の顔。  しょんぼりと肩を落とし、綺麗な眉がへにょりと垂れている。まるで叱られた仔犬のようで、思わず触れてしまった楓君のふわふわの髪。そっと撫でると思った通り柔らかで心地いい。  俺に撫でられ一瞬だけびっくりした顔をしたけど、すぐにうっとりと目を細めされるがままの楓君。  俺もそんな楓君を安心させたくて、無理矢理微笑んでみる。 「い、や……俺は……その、気に、なら……ないよ――」  嘘だ。本当はすごく気になる。だけどそれは年下が嫌だとかそういう事ではない。こんなに美しい少年の未来を誰にも見向きもされない俺みたいなΩが奪ってしまっていいのだろうか?  本当にこの小さな手を俺が掴んでしまっていいのだろうか? 「良かった! 薫さん大好きです! 早く結婚しましょうね!」  花のように笑う楓君の笑顔。その笑顔を俺は信じてもいいのだろうか……?  俺は楓君の無邪気な笑顔を見ながら自分の中にある大人の汚い欲望から必死に目を逸らす事しかできなかった。  そうして初めての対面は、お互いの話をしたりして少しだけ打ち解ける事ができて終わった。
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