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「俺は、こっちがいいと思う」
陽多の見比べていた二枚の皿のどちらでもない、白とライトグレーでカラーブロックされたデザインのものを指さして、光は言った。
「そっちの二つは、父さんには似合わない」
陽多は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で光を見た。
「……そう、かな」
「うん。沙知佳さん一人に贈るならそれでもいいのかもしれないけど、父さんと沙知佳さんが二人でその皿を使うところを想像してみろ。笑えるぞ、父さんには不釣り合いすぎて」
「そう? 僕はいいと思うけどな、こっちの青いほうなんか特に」
「バカ、空気読めよ。こっちのグレーのほうが安いからこっちにしようっつってんだ」
「え、そこ?」
「最初に言っただろ、庶民の俺には高い買い物はできねぇんだって」
庶民って、と陽多は苦笑する。
「僕だって庶民だよ」
「てめぇぶっ飛ばすぞ億万長者」
「暴力反対」
「うっせぇ」
軽く肩を殴ってやったら、「痛い」と陽多はわざとらしくよろけて、ハハハと今度は楽しそうに笑った。
その姿を見て、光は安堵の笑みをこぼした。
「笑っててくれよ、そうやって」
「え?」
黒いキャップの下から現れた瞳がかすかに揺れる。コロコロとよく変わる陽多の表情を楽しみながら、光は言った。
「俺の父さんが、おまえから大事なお母さんを奪っちまった。だから、その補填は俺がする。お母さんの代わりなんてとうてい務まらないと思うけど、寂しくなったら俺に言え。話し相手くらいにはなる」
「光くん」
「恨むなら俺を恨め。父さんと沙知佳さんの結婚を認めたのは俺だ。父さんの意思だけを尊重して、おまえの気持ちをないがしろにした。寂しい思いをさせちまった」
「違う。光くんは悪くない」
「でもな」
陽多が口を挟むのを無視し、光は陽多の目を見て続ける。
「あの二人が結婚しても、おまえは一人ぼっちになるわけじゃない。さっぱり頼りにならないかもしれないけど、おまえには、俺がいる」
血のつながらない兄。戸籍の上でだけの、義兄。
それでも、いないよりマシだと思う。どうせ沖に流されるなら、一人より、だれかと一緒のほうがいい。
「少なくとも俺は、おまえがいてくれてよかった。父さんが沙知佳さんに取られるだけの再婚だったら、この寂しさを一人でかかえていなくちゃならなかったんだからな。マイナス方向の気持ちは、誰かと分かち合えたほうが絶対に楽だろ。だから」
言い終えないうちに、陽多が距離を縮めてきた。
正面から抱き寄せられる。背に回され、肩甲骨のあたりに触れた陽多の手のひらから、熱いくらいの体温が伝わる。
「おい、陽多……?」
陽多はなにも言わなかった。聞こえてくる呼吸の音が震えているわけでもなく、ただじっと、少しきつく、光を抱きしめたままでいる。
どのくらいそうしていただろう。あるいは陽多の腕の中にいた間だけ、時が止まっていたかもしれない。
やがて陽多は、ゆっくりと光から離れた。キャップのつばに隠れて、その表情は見えない。
「優しいね、光くんは」
「え?」
光が眉をひそめると、顔を上げた陽多が優美に微笑んだ。
「好きになっちゃいそう」
嘘いつわりのない陽多の気持ちが、まっすぐ胸に飛び込んできた。
好き。
多くの意味を含み、どうとでも解釈のできる言葉だ。兄になる男として信頼できそう、という意味ならば素直に喜べばいいのだろうが、果たして。
照れてしまう自分に腹が立ち、光は思わず舌打ちをした。
「やめろ、恥ずかしい」
「エヘヘ」
「『エヘヘ』じゃねえよ。ヘラヘラすんな」
光ににらまれ、陽多は「ごめん」と言ったものの、まだにへらにへらと締まりのない笑みを浮かべている。
なんだよ、みっともない。心の片隅ではそう思いながら、別の場所では、違う感情もかすかに首をもたげていた。
陽多の笑った顔を見ていると、光も自然と笑顔になれた。うまく言えないけれど、きっとこの顔が好きなのだ。恋愛感情の『好き』ではなく、見ていてなんとなくホッとする。
陽多にはいつでも笑っていてほしいと思った。俺といる時くらいは寂しさを忘れ、笑っていてほしい。それが光の、ささやかな願いだった。
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