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「しかし、驚いたよ」  父が快活に笑いながら言った。 「さっちゃん、本当に志波陽多のお母さんだったんだな」 「なによ、今さら」  沙知佳も笑う。「だってさ」と父は興奮気味に続ける。 「志波陽多っていえば、日本じゅうが顔も名前も知っている俳優じゃないか。まさかそのお母さんがうちの会社で清掃員をしてるなんて、誰も想像しないだろ、普通」  沙知佳は清掃会社の職員で、半年ほど前から週に三日、父の勤めている食品メーカーの本社ビルに清掃員として派遣されているらしい。どこに素敵な出会いが転がっているかわからないな、と沙知佳との()()め話をしてくれた時の父の言葉には妙に説得力があった。 「いいのよ、想像なんかしなくたって」  沙知佳は顔の前でひらひらと手を振る。 「芸能界にいるのは陽多だけで、私はただの掃除のオバサンだもの」 「そいつは答えになってないよ、さっちゃん」  父と沙知佳が笑い合う姿を、陽多は嬉しそうに眺めていた。微笑む彼の横顔は、画面を通して見るよりもずっとキラキラしている。すぅっと通った鼻筋が沙知佳によく似ていた。  まぶしい。太陽を直視しているような気持ちになった。  このキラキラした人が、俺の弟になる。  改めてそう考えたら、頭がクラクラしてきた。身近に芸能人がいたことなんてなかったし、人混みが嫌でめったに街中を歩かないから、いわゆる『遭遇』の経験もない。  志波陽多。俳優。十歳の頃に渋谷でスカウトされ、十二歳の時に出演したテレビドラマで俳優デビュー。当時は脚光を浴びなかったが、四年前に出演した映画で日本アカデミー賞新人俳優賞ならびに話題賞を受賞し、一躍有名に。現在は実力派イケメン俳優として数々の映画やドラマ、舞台などに精力的に出演している。  ウィキペディアで調べてきた彼の情報が、意味もなく頭の中をぐるぐると(めぐ)った。どこをどう切り取っても光とはあきらかに住む世界の違う人で、なのに陽多は今、光のすぐ目の前に座っている。そうすることが当たり前だと言わんばかりに、ごく自然な微笑みを(たた)え、ゆったりと構えている。  こんなことってあるだろうか。  見た目も中身もパッとしない図書館員と、日本じゅうが知っている実力派俳優。なにかの拍子に地球が逆に回り出しても、とうてい(めぐ)り会いそうにない組み合わせだ。  そんな二人が、どうして同じ食事の席についているのだろう。ましてや、義兄弟になるなんて。  リラックスしているように見える陽多とは対照的に、光は緊張しすぎて吐きそうになっていた。高ぶったまま治まる気配のない胸の鼓動が外に漏れ聞こえているような気さえした。  そんなこんなで、光はひたすらうつむくことしかできなかった。太陽を直接見てはいけない。今日は素直に、守るべき(おきて)に従った。  隣で父が、ウィキペディアに書いてあるようなことを陽多にあれこれ尋ねている。陽多はその一つ一つに丁寧に答えた。時折「お父さん」という言葉が陽多の口からこぼれて、光以外の三人は、家族になることをすっかり受け入れているようだった。 「光くんは、(えい)(せい)大学で働いているのよね」  質問攻めに()っている息子を助けるためか、沙知佳が話題の中心を光に()げ替えようと声をかけてきた。陽多を避けるように、光は視界に沙知佳だけを器用に映す。 「大学図書館の職員さん、だったかしら?」 「はい」 「光くんも英成大を出ているの?」 「はい」 「そう。頭がいいのねぇ。陽多は全然ダメだったから、あこがれちゃうな、勉強のできる子って」 「悪かったな、出来の悪い息子で」  陽多がむくれた。父が「いいじゃないか、陽多くんには芝居の才能があるんだから」とフォローして、会話は再び陽多を中心に回り出した。  食事が運ばれてきても、父は陽多を質問攻めにしていた。父が案外ミーハーであることを知って驚いて、少しだけ軽蔑した。  陽多も陽多で、うっとうしいならそうとはっきり言ってやればいいのに、嫌な顔一つせず、すべての質問に笑顔で答えていた。幼い頃から芸能の世界に身を置き、多くの大人に囲まれてきたせいか、たいそうな世渡り上手に育ったらしい。父をその気にさせるのもうまく、必要以上に饒舌(じょうぜつ)になった父の話を、沙知佳も笑って聞いていた。会話にはほとんど混ざらず黙々と箸を進めていたのは、光ただ一人だけだった。
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