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 まっすぐに目が合う。精巧に作られた人形みたいな美しい顔で、陽多は光だけを見ている。  生唾(なまつば)をのみ込んだ。さすが、国民的俳優。そんなことを思って、光は静かに視線を下げた。  陽多は目だけで訴えてくる。責め立ててくる。どうしてきみは、二人の幸せな門出を素直に祝ってあげられないのかと。  自分がどこまでも子どもだったことを悟り、後悔の念が猛然と押し寄せてきた。  陽多は光にも喜んでほしかったのだ。敏光と沙知佳の結婚を。自らの母が光の父と一緒になって、幸せな日々をここから歩み始めることを。  けれど光が下ばかり向いているから、光は二人の結婚についてよく思っていないのだと陽多は感じた。光が感じさせてしまった。本当は光だって、二人の再婚を心から認め、幸せになってほしいと願っているのに。 「ごめん」  顔を上げられないまま、光はそっと口を開いた。 「俺は別に、あの二人の結婚に反対してるわけじゃない。勘違いさせたなら謝る。ごめん」  そう、と陽多はつぶやいて、すぐに別の言葉を紡いだ。 「じゃあ、光くんが気に入らないのは僕ってことだ」  光がちらりと視線を上げる。ぶつかった陽多の眼差しは鋭い。 「僕と兄弟になることが納得できない。そういうこと?」  そこにはもう、俳優としての志波陽多はいなかった。この場にいるのは、親の再婚によって、戸籍上、光の弟になる一人の青年。 「納得できないんじゃない」  わがままでガキっぽい自分と真摯(しんし)に向き合ってくれる陽多に敬意をと、光は誠意をもって本心を告げた。 「少し、時間がかかるだけだ。俺は一人っ子だから、比べられることに慣れてない。きみみたいなすごい人、強い光を放つ人と一緒にいると、俺の存在は間違いなく父さんの視界から消える。俺はそれが怖いし、そうしたことがいつか日常になるんだとしても、受け入れるまでに時間がかかると思う。それだけ。別に、きみのことが気に入らないわけじゃないから。そこも勘違いしないでほしい」  ただ、素直になれないだけのことだ。劣等感から派生した醜い嫉妬心が邪魔をして、陽多の存在をうまく受け止められないだけ。  心にたまった(おり)を吐き出すように、光は慎重に言葉を選びながらも思ったままを口にした。あれほどまぶしくて見られないと思っていた陽多のことを、できるだけ目に映しながら。 「きみのことは尊敬してる。俺がだらけきった学生生活を送っている時にはもう、きみは立派に働いて、多くの人の心に残る仕事をたくさんしてきた。すごいことだと思う。俺より四つも若いのに」 「そんなことない」 「そんなことあるって。だから怖いんだよ。父さんは沙知佳さんの夫としてふさわしいかもしれないけど、俺はきみの兄としてふさわしくないから」 「そんなことない!」  陽多がはじめて声を荒げ、はじめて視線を下げた。 「ダメだね、僕」  左に流していた前髪がふわりとその形を崩し、陽多の端正な目もとを隠す。ガラスの壁に背を預けた陽多は、弱々しい声を絞り出した。 「いつも謙虚でいるようにって、社長からきつく言いつけられてるはずなのに。僕と兄弟になれることを、光くんはきっと喜んでくれるって思ってた。自信があったんだ。僕なら、光くんといい関係を築けるって」  さっきまでの明るい雰囲気が嘘みたいに、陽多のまとう色がブルーやグレーに変わっていく。陽多の生み出す芝居の世界に迷い込んでしまったかのように、光は居心地の悪さを覚え、どうしていいのかわからなくなる。 「とんでもない(おご)りだったね。光くんに拒絶される未来は、少しも想像してなかった」 「ちょっと待てよ。俺は別に、拒絶なんか……」  言いかけて、反省した。  していたかもしれない。少なくとも、素直に受け入れてやることはできていなかった。最終的には落ちつくところに落ちついただろうけれど、入り口を無意味に狭くしていたのは光だ。嫉妬や羨望といった、光のかかえた負の感情がそうさせた。  陽多は大人だ。明らかに光に非があるのに、そう思わせないように、光を悪者にしないように立ち回っている。それで光の気が治まるのなら、自分は悪者になっていい。偽善的ではなく、本気でそう思っているところがまた光の嫉妬心に火をつけるのだけれど、今はもう、無闇に()いたりしない。  これが彼の打った芝居であったなら腹が立つが、そうじゃないような気がした。  志波陽多とは、そういう人間なのだ。周りの人間を(うやま)い、大事にできる男。大切な人の幸せを心から願い、そのためになら、自分を犠牲にさえできる男。 「ごめん」  こいつ、いいヤツだな。  陽多のことをそんな風に思えたら、自然と謝罪の言葉が口を衝いた。 「俺が悪かった」 「違う。僕が」 「陽多」  はじめて彼を名前で呼んだ。多くの人が知る芸名でもあり、彼が母の沙知佳から、最初にもらったプレゼントを。 「陽多」  宝物を扱うように、もう一度、その名を大切に口にする。電子タバコをズボンのポケットにねじ込むと、顔を上げた陽多の前に、光は右手を差し出した。 「父さんのこと、よろしく頼むな」  父のことを、陽多にも尊敬してもらいたい。こんなにも素直で優しい青年を一人で立派に育て上げた沙知佳のことを尊敬している自分のように。  陽多みたいにきれいにはできないけれど、光は陽多に微笑みかけた。戸籍の上での話にとどまるが、これから兄弟になるその人を、あたたかく迎え入れようと思った。  真っ黒な瞳の中に輝きを取り戻した陽多は、光の右手をそっと取った。 「僕のほうこそ、母さんのこと、よろしくお願いします」  互いに少し力を込めて握り合う。二人して照れるように笑って、狭い喫煙スペースをあとにした。  先を行く光の後ろで、陽多がケホケホと咳き込み出した。足を止め、「大丈夫か」と振り返ると、陽多は困ったように笑い、肩をすくめた。 「タバコ、苦手で」  まさか。光は目を(みは)った。  たいしたものだ。話を終えるまで、ずっと我慢していたのか。  完敗だった。これが国民的俳優の実力なのだ。  素直に負けを認め、光は「ごめん」と小さく言い、陽多の背中を軽くさすった。  光より少し大きな義弟(おとうと)の背は、季節を飛び越え、花開く春のあたたかさを閉じ込めているようだった。
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