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 ジュエリーの並ぶフロアを離れてもなお、店内のきらびやかな雰囲気は続いていた。展示された食器やカトラリーは圧倒的なハイセンスで、まるで舞台女優のように照明を浴び、自分が主役だ、自分を手に取れとこれ見よがしに主張してくる。  すっかり縮こまり、もはや挙動不審と言わざるを得ないほどそわそわしている光とは対照的に、陽多はここでも堂々と店内を()り歩いた。女優気取りの食器たちと、その輝きを競っているようにも見える。 「やっぱり、シンプルにお皿かなぁ」  陽多が平皿の前で立ち止まった。三分の二を白、残り三分の一をティファニーブルーでカラーブロックされた陶器と、葉っぱのような柄で縁取られたクリスタルガラス製のものを見比べている。 「母さん、あれで結構面倒くさがりでさ。どんな料理でも皿一枚で済ませたがるんだよね」 「気持ちはわかる。俺もよくやるよ、洗って干しといた皿を棚に戻さないまま使うこと」 「でも、さすがにカレーを平皿に盛ることはしないでしょ?」  光が驚く顔をすることを予期していたようで、陽多は満足そうに笑った。 「やっちゃうんだよ、母さんは。深皿を棚から出すのが億劫で」 「食べづら」 「ね。慣れって怖いよ。今じゃ全然平気なんだから」  慣れたのか。光も笑った。沙知佳は()まじめな父とは真逆の性格をしているらしいが、だからこそ惹かれ合うものがあったのかもしれないと思う。互いに持っていないものを、互いに欲したのなら納得だ。 「でもさ、仕方なかったんだ」  皿の向こう側を見つめるように、陽多はすぅっと目を細くした。 「母さんに僕を身ごもらせた男は、母さんの妊娠中に浮気をして、その相手を選んで結婚したらしい。僕が生まれた時から、母さんは一人だった。毎日遅くまで仕事をして、くたくたになって帰ってくる。僕は一歳にもならないうちから保育園に預けられて、お迎えはいつも僕が最後だった。そんな風だったから、少し家庭の事情が理解できるようになった頃には、カレーを盛る皿に気を配る余裕が母さんにないのは仕方がないことだって思えてた。家事のすべてを一人でやって、僕に無理やり手伝わせることもない。僕には他の子たちと同じような生活をさせたかったみたいでね。見栄を張りたかっただけかもしれないけど、それでも僕は、母さんの見栄のおかげで普通の子どもでいられた。父親がいなくても、日々の生活には満足だった」  陽多の口調からは、深い(いつく)しみの情が感じられた。女手一つで自分を育ててくれたことへの感謝と、一人の人間として沙知佳を尊敬する気持ちが痛いほど伝わってくる。  光と同じだ。陽多もまた、たった一人の愛する家族を誰よりも大切に思っている。彼女の幸せを心から願っている。  だが、ここから先の陽多の言葉は、光のかかえている父への感情とは少し違った。 「僕が芸能の仕事を始めて、母さんより稼ぐようになってからも、母さんは仕事をやめなかったし、僕のお金に手をつけることもしなかった。僕は少しでも母さんに楽をさせてあげたかったのに、母さんはそれを許さなかった。僕に守られることを、母さんは今でも拒否し続けてる。僕、もう二十歳(はたち)なのに」  陽多はひどく悲しそうな顔をするけれど、光には沙知佳の気持ちが理解できた。  沙知佳は、光の父と同じだった。彼女は陽多の母親であり続けることを、自分自身に課していたのだ。  息子を金稼ぎの道具にしたくない。そう思っていた部分も少なからずあるだろう。彼女自身で稼いだ金だけで二人の暮らしを支えることで、彼女は母親としての矜持(きょうじ)を保とうとした。光の願いをできるだけ叶えようと奔走していた、光の父のように。 「そして母さんは、敏光さんを選んだ」  どこでもない遠くを見つめたまま、陽多はそっと視線を上げた。 「僕のことは認めてくれなかったけど、敏光さんに守られる未来は受け入れた。光くんの言葉を借りれば、母さんがそうしたいって思った気持ちを僕は応援しようと思ったんだ。ずっと一人だった母さんに、寄り添ってくれる人が現れた。喜ばしいことだよね、これってさ」  喜ばなくちゃ、と陽多は小さくくり返した。一見笑っている陽多の横顔に浮かぶ複雑な色は、光にも覚えのあるものだった。  同じだ。  俺と陽多は、同じ――。  父を取られてしまうと感じた光が陽多に嫉妬したように、陽多もまた、母を敏光にくれてやることに対して悔しい気持ちをいだいていた。  敏光と沙知佳が互いを求め合い、光と陽多は二人の選んだ未来を受け入れ、祝福した。  けれどその未来は同時に、光と陽多から、それぞれのたった一人の大切な家族を奪った。光と陽多の心には、同じ場所に、同じ形の穴が開いた。  なんだよ、と光は思わず笑ってしまった。  俺には父さんと沙知佳さんの選択を喜べって怒ったくせに。おまえだって、本当は寂しいんじゃねぇか――。
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