第一章

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第一章

 この「子ども部屋」ほどの墓所はきっと、ライラ島どころか大陸中を探しても見つからない。つい口元が綻んだ。最奥に近いこの場所から見渡す美景には、十五年も慣れ親しんでなお、心を打たれる。    森との境界、絡む木蔦(きづた)に支えられた石積みの壁で、リスが遊んでいる。木漏れ日と豊かな草花の揺らめきや葉擦れの音は、南の泉まで吹き渡った風の軌跡。その道中に立ち並ぶ様々な形の墓石群、それらの落とす影だけが、晴れた空の下でしんと動かない。石に刻まれた名の主の、眠りの深さを表すように。    私の座る石造りの椅子を挟んで、両親もまた永久(とわ)の眠りについている。椅子と同じ素材の二つの墓に彫られた没年は、私の生年。二人のことは記憶にない。  けれど知っていることもある。両親の「家族皆で(いこ)えるように」との願いで(しつら)えられたという椅子は、風雨に耐える石。当然、硬い。なのに不思議と、私を疲れさせたことがない。その現象を、私は愛と呼んでいる。愛されているという確信ほど、心強いものはない。    両親の墓は特別な場所だ。しかし「子ども部屋」はどこも居心地がいい。椅子の上に似た温かさで、(あまね)く満たされている。数ある墓石の全てが、篤心(とくしん)で成り立っているからに違いない。    「子ども部屋」は島で最古の墓所。ライラ島原住民が整えた(つい)の寝室だ。  島の歴史の始まりはこう語られる。祖先は戦火に追われ大陸を出て、未開の地だったこの島に漂着した。出迎えた島の神様は、彼らの抱えた恐怖を憐れみ、開拓を許し、ある恵みを与えたと。  それは命の終わりが近づいた人にだけ届く歌声。旅立ちを彩る旋律は優しく、老衰に病に事故、結末がどんな形であれ、人の心に(なぎ)をもたらし、安らかに寝かしつけてくれる。それで島民は恵みを「子守歌」と呼び表した。     死は生の対極ではなく、生の中で最良の眠り。だから島民は死者を遠い存在とは扱わず、物言わぬ人々の意思の尊重に努めた。この墓所は彼らの姿勢の表れだ。    例えばシェルムさんのお墓。名前や没年などが全部、平たい墓石の側面に彫ってある。装飾のない上面は雲も星も映るほどに磨かれ、飛んでくる塵や葉はまめに取り除かれる。故人が好きだったという空を、妨げなく見上げられるように。  逆にレタルさんのお墓は苔むし、蔦に巻かれるがままだ。時の流れに沿いたいという彼女の望みは、旺盛な緑に隠された碑文を読めば分かるらしい。墓守が二代目になった時点で、別の記録物に頼るしかなかったそうだが。    こんな具合にここの墓は作られ、管理されてきた。    しかし航海術が進歩し、複数の民族が移って来て、祝福を受けた民の血が薄れたからか、今や「子守歌」を聞く人は絶えたに等しい。  彼らが存在した名残といえば、毎晩寝る前は「良い夢を」、永遠に眠る者には「おやすみなさい」と挨拶する風習くらいだ。大陸では特に区別しないという「おやすみ」は、島では一方通行、決して言い交す(・・・・)ことのない言葉。  とはいえ何人の島民が意識しているだろう。生きていれば悪夢を見る夜もあるが、死という眠りにはその心配もない――そんな先人の線引きを。    死生観も弔いの仕方も変わり、新しい墓地が増えた。かつて「子守歌」を聴いて眠った人々の「子ども部屋」に参拝者の姿はない。  それでもまだ、思いは繋がれている。私の育ての親、現「子ども部屋」の()り人である、ルーセルの手によって。
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