7人が本棚に入れています
本棚に追加
3
新聞社の取材が初仕事だった。大手新聞社の文化部のインタビュアーが指定したのは、Denisの泊っているホテルのラウンジだった。移動しなくて済むように気を使ってくれたのだろう。十分前に着いたが、既に新聞社の人はラウンジの隅のソファを陣取って待っていた。いつもながら日本人のビジネス態度に感心する。生真面目がスーツを着たような三十前後の男性と長年業界で食べているという自負が、疲れたスーツで立っている。Denisが見当たらず、私は先に挨拶をすることにした。
「初めまして。通訳の神崎です。すみません、まだDenisが来ていないようで。」
「いえいえ、まだ早すぎますから。静かな場所を確保したくて、早めに来ました。」
日本人のお辞儀を交わし、日本人の名刺交換を済ませた。
「そうですか、すみません。ありがとうございます。ちょっと見てきますね。」
私は二人を残し、くすんだ黄金色に広がる横長なフロントに向かった。フロントから呼び出してもらおうとした途端に、エレベーターからDenisが降りてきた。細長い長身は、白い麻のシャツを着て、黒に近い紺のジャケットにジーンズを穿いて私を見つける。片手を挙げて私に向かってくる。私は打ち負かされる。彼の世界に圧倒されて凝固する。彼が来た。それはとても特別なことであり、最も自然なことだった。
「おはよう。新聞社の人はもう来ているから。」
仕事人の私を取り戻し、武装し直す。
「おはよう。どこ?」
ラウンジの隅のソファまで誘導しながら、ウェイターに飲み物を頼んだ。
「すみません、お待たせしました。」
Denisを新聞社の人に引き合わせると、彼は日本人を真似てお辞儀をする。不格好な長身に思わず微笑んでしまう。インタビュアーは流暢な英語で話し出し、私の出る幕はなさそうだった。私は内容のメモを取り、珈琲を啜りながら、後見人のようにただ彼の傍に座り話を聞いていた。いや、ただ彼の空気の中に潜り込んでいた。話の内容は覚えていない。彼のすぐ脇で、何もせず座っているだけの時に幸せを感じていた。根拠なくここでいいのだという実感に浸っていた。
「・・・是非、作家の・・・に参加して・・博物館の・・・いらしてください。」
記者はDenisのインタビューを終えると、あれやこれやと彼が会うべき人、行くべき場所、参加すべきことを提案してきた。
「はい、そうですね。ありがとうございます。」
Denisが記者に丁寧にお礼を言って握手をすると、彼らは満足げにホテルを後にした。私は楽な仕事を終えて、彼が記者たちの提案をスケジュールに入れるのか確認しようとした。
「さっき勧められていた会合とかどうする?」
「いや、僕は人に指図されるのは嫌なんだよ。行くところは自分で決める。」
左程嫌な顔もせず提案を聞いていたので、私は面食らった。
「そう、行かないならいいけど。」
直線的な眼鏡のフレームが、余計に鋭く見えた。学者としての強さなのか、人間としての性質なのか、彼の芯にある凝り固まった頑固さに触れた。また一つ彼に気づいたことが、嬉しくもあり怖くもあった。
最初のコメントを投稿しよう!