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私たちは靴を下駄箱に入れると中に通された。Denisは長い足の先からショートブーツを引き剥がし、下駄箱に入れ、札を手にして洋々と進む。彼が楽しんでいることは言葉がなくてもわかる。レディファーストで先に行かせようとするが、私は小さく拒んで微笑む背中についていく。
「何か適当に頼んで。ワインがあればいいから。」
私は適当に数品見繕って、彼のために白ワインと自分にビールを注文した。
「明後日は京都よ。楽しみでしょ。」
「うん、初めてだからね。」
大学での特別講義という形式で講演会を行う予定だった。
「最初の五十分はあなたの講義で、そのあと・・・」
「いい選択だよ。すごく美味しい。」
Denisは仕事の話を遮って、店員の持ってきた陶板焼きをつつく。
「そう、よかった。それで、そのあと教授と対談があって・・・」
「ねぇ、ケイの名前はどういう意味なの?」
彼は仕事の話をする気が全くない。私は雇用主の意向のままに流れることにする。
「ケイは漢字では恵って書くのよ。神崎は神様と岬ってこと。」
私は割りばしの袋に「神崎恵」と漢字を書いて見せた。アルファベッドでKanzaki Keiと付け足し、
「恵はめぐみっていう意味。思いやりとか施すとか・・賢いとかいう意味もあるし。これはハートっていう意味よ。」
心に丸をして、Compassionと脇に書いてDenisに見せた。彼は袋を手に取って眺めている。
「ふう~ん。名前に神様が入っているの?すごいね。僕のミューズか。」
「そんなに珍しい名前ではないわ。」
「漢字は複雑で面白いね。いろんな意味が含まれていて。」
私は何も言わず、彼の様子を見て微笑んでいた。
「恋人はいないの?」
不意の質問にあっけにとられたが、居酒屋での四方山話をビールで片付けることにした。
「離婚してから付き合った人がいるけど、もう別れちゃった。彼はもう日本にはいないし。」
既に無臭になった十年の結婚生活や別れた男のことなど詳しく説明する気はなかった。彼もそれ以上は深く聞いてこなかった。
「そうなんだ。僕は六年付き合った彼女と二年前に別れたんだ。辛い別れ方だったから、次に進めないでいる。」
彼はそう言いながら、私の名前が書かれた箸袋をポケットに突っ込んだ。
「あなたならすぐにいい人が見つかるわよ。」
世間話の調子でただ言葉を重ねてみる。
「しばらくはいいかな。もう二年も経っちゃったけどね。」
私の携帯の着信音が鳴り、目をやる。昔の友達から他愛もない連絡だった。
「ごめんなさい。何でもない。」
「えっ、ジェラシーを感じるよ。」
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