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 早めに出るつもりだったのに、約束の時間ぎりぎりになっていた。小走りに駅からカフェに向かう。Dennisに会うのだ。もう偶然ではなく、二人で意図して会うのだ。私の心は体より早くDennisに向かって行く。心に引っ張られるように足が道を蹴って走る。待ち合わせたカフェが見えてくる。アールヌーボーで彩られた店構えの前に幾つものテーブルが置かれ、お茶や会話を楽しむ人たちの囁きが見える。外の端のテーブルに長い足を組んだDennisを見つけた。東京で初めて会った時と重なる。もう六年。あの時からDennisは消えない。私は大切に一歩ずつ彼に向かって進んだ。 「ごめんなさい。待たせちゃった?」 「いや、まだ来たばかりだよ。店の中にする?」  振り返ったDennisの微笑みに、私は涙が熱く喉に上がってくるのを感じた。何の涙か分析する余裕もなく、堪える。彼が初めての時のように、席を移ろうと提案してくれたことが、二人だけの秘密のように響く。 「ここでいいわ。」 「本当?寒くない?」 「ありがとう、大丈夫よ。覚えてくれていたのね。」 彼の優しさに応える私の微笑みをもっと深い心で受け止めてくれる。ここにずっと住まいたい。 「寒いの嫌だろう?」 「えぇ、大嫌い。」  注文を取りに来たウェイターにカプチーノを頼んで、Dennisと並んで座る。向かい合わせではなく、いつも並んで座っていた。 「オランダ語を勉強しているけど、まだまだあなたの本を読むまでには至らないわ。だから英訳版になっている本だけ読んだの。」 何年も会話らしい会話を交わしていなかったのに、昨日の続きのように話し出していた。 「それで、感想は?」 Dennisも、今日会おうと呼び出した理由には触れずに会話を進める。 「私は厳しい評論家よ。それでも感想を聞きたいの?」 「あぁ、もちろん、興味あるよ。」 「ははは、ok・・・素晴らしいわ。考古学者というより作家ね。文章が鮮やかで驚いたわ。」 「だって、英語版だろう。翻訳者が上手だったんだよ。」 「そうね、確かにいい翻訳だと思う。でも原作が良くなかったら、あんなにいい作品にはならないわよ。」 「ありがとう。」 「いっぱい褒められているから、大して嬉しくないでしょ。」 「そんなことないよ。いつだって褒められれば嬉しいさ。ケイの誉め言葉は特にね。君は正直だから。」  私が正直だったら、Dennisと離れない。ウェイターが運んでくれたカプチーノで慌てて沈黙を隠す。
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