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 何を言っているのか私にはよく理解できていた。突然ヤキモチを焼いているのではない。彼と出会ってからまだ一週間ほどしか経っていなかったが、自分が彼の視界の中にいつもいることに気づいていた。その世界は暖かく幸せに満ちる感覚を与えてくれていた。自分がここにいてよいのだという固い自信を感じた。  私はそれまでのキャリアの中で、クライアントや同僚、仕事に関係する人達とは絶対に私的な情報も感情も共有しないようにしていた。仕事以外の生活を詮索されることを酷く鬱陶しく感じるのだ。人とはかけ離れた特別な生活があるわけではないが、仕事と自分の生活を全く切り離したかった。ただの私の性質だろう。そんな私の流儀は彼の世界の心地よさに脆くなっていた。  それでもまだ私は抵抗していた。ヤキモチという言葉には気づかぬふりをして話を続ける。 「京都では何をしたい?といってもそんなに時間がないんだけど。夕食くらいしかね。」 「仕方ないよ。今回はきついスケジュールで来ているから。」 「じゃあ、美味しいものでも食べましょう。」  私はその後も微妙な際を歩いていた。Denisはパートナーに何を求めるか、何が必要なのかと聞いてくる。私は自分の意見を一般論と綯い交ぜにして、彼の世界に浸からないように気を付けた。会って一週間で私のキャリアの城を崩壊させることはできず踏ん張った。それにすぐ日本からいなくなる人なのだ。この際を踏み外して彼の世界に落ちていったら、どんな甘美な蜜に絡まれるだろうと想像しつつ、落ちたが最後、二度と這い上がれず蜜で窒息する不安もあった。本能的にその不安が私を際で留めていたのだろう。  次の日、後悔とともに目覚め、いつもより濃い目の珈琲を飲んだ。クライアントは友達ではない。私の領域に勢いよく入り込んでくるDenisのせいにするのは簡単だが、仕事人としての誇りを自ら傷つけてしまったような自分の不甲斐なさを批判していた。そんなことはこれまで起きたことがなかった。もうすぐいなくなることがわかっている人を自分の人生に引き入れてしまったら、どんな結末の悲劇を描けばいいのかわからない。  私は人生を疑っていた。一生一緒にいる人だと信じて結婚した男を愛せなくなり、離婚した。その後愛し合った男とは一緒に暮らすことができず親友になった。私を自分のものにしたいと近づいてくる男はたくさんいた。友人には自慢するなと嫌われるが、自慢ではない。それは災難でしかない。好きでもない男に言い寄られる恐ろしさは災難でしかない。私には愛する人に愛される幸せが与えられないのではないかという疑いは確信になり始め、私は諦めかけていた。人生が私に与えてくれるのは、一人で強く生きていく力だけなのだと。人にはそれぞれに与えられるものが決まっていて、いくら求めても人生に用意されていないものは手にすることができない。  携帯の音に思考を遮断され、慌てて出るとDenisだった。
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