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君の嘘の本当は。
タタタッと背後から駆け寄ってくる気配。
その正体に確信に近い予想をつけ振り返りかけた私に、勢い良く何かが飛びついてきた。
「みーおっ!おはよ!」
「わっ!?」
「えへへ、驚いた?」
そう言って無邪気な笑顔を向けてくるのは、小学校からの仲である夏樹。
まるで子供みたいな悪戯に私は苦笑する。
「おはよ、気づいてたよ」
「ええっ、絶対嘘でしょ。今声上げてたじゃん!」
「足音は聞こえてたから。まさかこんなに近いとは思ってなかったけど」
「そんなぁ」
ちえっと頬を膨らませる夏樹に、残念でしたーと手を振る。
悔しそうにしているのが面白い。
「ねぇ澪、聞いてよ、昨日さぁ……」
そんな他愛もない話をしながら、ちょうどホームに滑り込んできた電車に乗り込み学校の最寄り駅で下車する。
「それであたしが怒られたんだよ!あたしじゃないって、後ろの奴なのに!」
「あはは、ドンマイ」
「もぉー……」
納得がいっていない様子だ。ぷくっと頬を膨らませている。
「ねえ、夏樹」
声をかければ、なにー?と振り返る夏樹。
私は緊張で声が震えないよう気を付けて、自然に聞こえるようにそれを口にした。
「今日も、一緒に帰れる?」
夏樹は黙り込む。この時間が私は苦手だ。
彼女がいつまで隣にいてくれるのかわからないから。
手の届かないところへ、行ってしまいそうだから。
「……もっちろん!帰れるよ」
そう笑った夏樹の瞳はいつもと同じで、明るい表情とは裏腹に影がかかっていた。
◆◆◆
校内に響くチャイム。
ホームルームが終わるのと同時にバタバタと駆け寄ってくる気配。
「みーおっ!」
ぎゅーと抱きつかれる。
それがくすぐったくて私は笑った。
「はいはい、何ですかー?」
「遊びに行こ!」
毎回同じように夏樹はこのセリフを口にする。
本当は、毎日行っていたらお金とか結構キツいんだけど。
「うん、行こう」
私は断らない。夏樹からの誘いや頼みは必ず受け取るようにしている。
「今日はどこ行く?」
「カフェ!この間さ、駅前に新しいの見つけちゃって。行ってみたいんだよね」
「新しいお店かー、気になるね。じゃあそこにしよ」
「やったぁ!」
メニュー何があるかな、スイーツあるかな、なんて2人でわくわくしながら校門を出る。
変わらない光景。
この時間が私は好きだった。
何の心配もしなくていい。
平和な時間。つかの間の平穏。
「澪、ある!あるよ!」
「ほんとだ、おいしそう!」
「早く行こっ!」
「うん」
何より、夏樹が笑っている。
そのことに安心するから。
けれどお店に入ろうとした丁度その時、一瞬で平穏は消えた。
「あ……」
夏樹の瞳から光が消える。
彼女の鞄から聞こえてくるのは場違いなくらいに軽快な音楽。
私は全てを察した。
この穏やかな時間が終わりを告げたことを。
夏樹はスマホを取り出す。
まだ音楽は鳴り続けている。
それを見つめる夏樹の姿が痛々しかった。
「……はい」
取り上げてしまいたいという衝動を私は必死に抑えた。
そんなことをしても余計に状況が悪くなるだけ。もう知っているから。
通話を終えた夏樹が静かに手を下ろす。
「……えへへ、澪ごめん!予定入っちゃったぁ」
パンと顔の前で手を合わせ、元通りの笑顔で。
そんな夏樹に私は笑顔を合わせた。
「いいよ、また今度にしよ」
「うん!じゃあ」
またねと夏樹が手を振って駅へ駆けていく。
その後ろ姿を見送って私は思わずため息をついた。
変わらない。そう、変わらないんだ。
スマホを取り出す。
アプリを開けば個人に友達からたくさんメッセージが着ていた。
その中に今別れたばかりの彼女はいない。
彼女の名前はもうだいぶ下の方まで下がってしまった。
トーク画面を開く気も起きなくて私はそのまま画面を暗くした。
どんなに願っても、抗っても。
変わらないものは変わらない。
どうしようもない。
この日々は、変わってくれない。
◆◆◆
「あ、澪だ!おはよ!」
「澪ー、おはよう!」
翌朝。ホームで会ったのは2人組の友達。
「おはよう」
気づいて私はスマホから顔を上げイヤホンを外した。
「あれ、倉橋さんは?いつも朝一緒だよね」
「今日は一緒じゃないの?」
「うん、夏樹は今日は休みって」
イヤホンを鞄にしまいながら答える。
「えっ、そうなの?」
「風邪かな?心配だね」
言葉通り心配気な顔をする2人に私はそうだねと返す。
今日みたいに夏樹がいない日は、何だか物足りなかった。
「そうだ、そういえば今日漢字の小テストあるって言ってたよね」
「えっ、嘘!何もしてない……」
「あはは、終わったね」
「ちょっどうしよ。澪!助けて!」
ぼうっとしていたところに突然すがり付かれて私は驚く。
「あ、うん、いいよ」
「澪ありがとー!今度何かお礼するね!」
今度、か。
いいよそんなのーと返しながら、私はため息をつきそうになるのを堪えていた。
◆◆◆
タタタッと後ろから足音。
「みーおっ!おはよ!」
いつも通り抱きつかれいつも通り私は笑う。
「おはよ、夏樹。“風邪”は大丈夫?」
夏樹はうんと答えた。
「いやー、結構休んじゃったから授業ヤバイかな」
「今日も小テストあるって」
「嘘でしょっ!?澪さま助けて!」
「はいはい」
賑やかだなぁ。
「そんな夏樹には後でノートを授けてあげましょう」
「おおっ!マジですか助かります……あれ?」
きょとんと夏樹が首をかしげる。
当然の反応。私はいつもノートなんて貸して上げないから。
つまり……と巡る夏樹の思考が手に取るようにわかった。
「澪ってば、もしかしてあたしがいなくて寂しかった?」
おどけた調子で普段なら絶対にしないようなことを聞いてきたから、私も同じようにいつもとは違う答えを口にしてあげた。
「うん。そうだよ」
驚いたような顔がおもしろかった。
夏樹の瞳が揺れる。
私は見て見ぬふりをして。
行こう、と声をかけた。
◆◆◆
「ねえねえ、澪、知ってる?」
夏樹がそう切り出したのは翌日の朝だった。
会って早々に前のめりで聞かれ私は思わず瞬きした。
「何を?」
「あのね、あたしたちの担任の先生今度結婚するらしいよ」
「え、そうなの?」
あんなに恋人ができないと生徒にからかわれていた先生が?
「えへへ、嘘だよー!澪おはよう!」
「……」
ジトッとした目で睨み私は黙り込む。
最近夏樹はこんな調子でよく嘘をつくようになった。内容は毎回違う。
「澪!聞いてよ、隣のクラスのエアコン壊れたんだって」
「今日の小テスト、範囲追加されてたらしいよ」
たいていはこんな可愛い嘘だ。
だからまだいいのだけれど。
「今日体育あるよねー」
「え、そうなの?」
「うん。もしかしてジャージ持ってきてない?」
「ヤバ……ちょっと戻って取ってくる」
そこで教えてくれればいいのに、遅刻ギリギリになってまで取りに戻った私の労力は無駄に終わった。
嘘だよーとケラケラ笑っていた夏樹を睨んでしまったのは仕方がないだろう。
正直そろそろ止めて欲しい。
「今日はクラスに誕生日の人がいるみたいだよ」
「……それも嘘かな?」
「正解。じゃあ次はねー」
次はと言ってしまったら意味がないんじゃ……
呆れつつも唯一の癒しの時間である昼休みにまで付き合ってあげるあたり、私は本当に人が良いと思う。
「さっき駅のホームで派手に転んでる人いたよね」
「へー」
「昨日近くのコンビニに強盗来たらしいよ」
「それは大変」
「明日は雪が降るのです!」
「今夏ね」
「サンタさんっておじいさんじゃなくておばあさんじゃん?」
「聞いたことないなぁ」
「30代からおばあさんになるんだって」
「……夏樹、それは世界中の人から睨まれるよ」
「えへへ」
よくもまあそんなに思い付くよね。
呆れを通り越して寧ろ感心してしまう。
夏樹の嘘ブームは1週間で終わった。
それで少し安堵した私はまだまだ甘い。
「ねえねえ、澪、知ってる?」
ブームは1ヶ月後に再び到来。
またかと私は顔も上げずに応えた。
「知らないなぁ」
「まだ何も言ってない!」
「はいはい。それで?」
「実はさ……」
また嘘だった。
「飽きないね」
「おもしろいでしょ?」
「あーはいはい、そうだねおもしろい」
「澪棒読みだよ」
日誌を書く手を止めない私を夏樹がねえねえとつつく。
「みーおー」
「どうしたの?」
「嘘付き合ってよー」
「嘘ってもう言ってるじゃない」
「いいの!」
何がいいのか。
私は苦笑した。
「ちゃんと聞いてるよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
じゃあ許す、と夏樹は笑う。
その頬の腫れは数日前よりも薄まってきていた。
「テストで100点取った」
「おぉ、すごい。机の中に30点の答案見えた気がするけど」
「すごいでしょ?あとね」
心なしか始めよりテンションが低くなっている気がする。
「昨日ツチノコ見つけたんだよ」
「大発見じゃない」
「でしょ?ねえ、すごい?」
「……」
顔を上げれば、夏樹はいつもと変わらない表情をしていた。
「……うん、すごいね」
「でしょでしょ?あたしいいこだもん」
「……」
日誌をパタンと閉じる。
「澪?」
立ち上がった私を不思議そうに夏樹は見上げた。
「日誌終わったよ」
「え……」
微笑めばさらに大きく開かれる瞳。
「帰ろっか」
「……あ、うん」
日誌を教卓に置き日付を明日のものに変える。カーテンは開けたし窓も閉めた。
後は帰るだけ。
鞄を手にした私を夏樹はぼうっと見ていた。
「夏樹?」
反応がない。私を見ているようで別の何かを見つめているみたいだった。
もう1度私は名前を呼ぼうと口を開く。
「なつ……」
「ねえ澪」
あたしさ、
「帰りたくないな」
どこか上の空のまま夏樹がポツリと呟く。
すぐに夏樹は、あは、と嗤った。
「なんてね。どうだった?これも嘘でしたー!今度こそ騙されたでしょ?」
パッと顔を明るくして笑う。
私がしばらく黙っていると不安げにその瞳が揺れた。
「みお……?」
怒った?と恐る恐る聞いてくる。
だから私はうんと頷いた。
怯えたようにビクッとその肩が弾む。
「あ……ごめ、」
「あーあ、騙されちゃったなー」
わざと声を大きくしてそう言えば、え?と夏樹は戸惑ったような声を出した。
まだ椅子に座ったままの彼女の傍まで歩いてトンと机に鞄を置き直す。
「実はまだ日直の仕事残ってるんだよね。付き合ってくれる?夏樹」
彼女と同じ手段を使って。
私がもう1度席に着けば夏樹は何かを堪えるように唇を引き結んでいた。
「……うん」
うん、と噛み締めるように繰り返す。
何度も何度も。
染み渡らせるように。
「……仕方ないなぁ」
くしゃっと笑った夏樹の瞳は、久しぶりに明るさを取り戻していた。
「付き合ってあげよう!」
◆◆◆
月日は巡る。
変わるもの、変わらないもの。
それぞれに時が与えられる。
嘘は悪いこと。
けれどその言葉は時に、日々を乗り越えるための頼りの綱となる。
━━君の嘘に混ざった本当は君からのSOS。
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