男装宰相は騎士の腕枕でまどろむ

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 完全無欠の人形宰相ことラーズ・ベリィは、眠くてたまらなかった。 (ううう、考えすぎて頭が働かない……でもここで寝るわけにいかない……)  場所は王城の会議室。  男装したラーズは宰相として、朝一番から会議に参加していた。  そして昼も近くなった現在、本日の議題についての話し合いはすべて終わり、残った城勤めの貴族たちがそれぞれに歓談している真っ最中。  実は女だとばれないためにも、貴族と必要以上に交流を持たないようにしているラーズは語らう相手もなく、いつもであれば早々に席を立って会議室を後にするのだが。 (眠すぎて身体が動かない。それもこれも、あの鬼畜な王が夜中まで政治の話を振ってくるから……!)  眠すぎて腹が立ってきたラーズだが、思考は表に現れない。  少年めいた涼しげな顔に感情は見当たらず、はたからは、手元の資料に目を落として考えを巡らせているようにしか見えない。  少年王がどこからともなく同じ年ごろの少年を連れてきて「彼を宰相にするよ」と宣言してから一年。表情を崩すことのない若き宰相をひとびとは「人形宰相」と呼んだ。 (ぐうっ……意識が、飛ぶ……! このあとも、書類仕事がある、の、に……)  その人形めいた表情のなさの内側で、ラーズは必死に戦っていた。  連日、深夜に及ぶ書類仕事にくわえて、身分も性別も隠さなければいけないラーズは、心休まるときがない。そんな状態が一年も続いたせいで、若さと気力でカバーするのもとうとう限界に来ていた。  完全無欠の人形宰相が睡魔に負けそうになった、そのとき。 「ラーズ宰相」  涼やかな声とともに肩に置かれた大きな手が、傾きかけたラーズの身体を受け止めた。  ハッとして、大きな目を瞬いたラーズは、ゆるりと首をめぐらせて肩越しに相手の顔を見つめる。 「あなたは……側近の」 「トウ・バスキットです」  名乗られて、ラーズの優秀な脳がその名に関わる記憶を拾いあげる。  辺境貴族の四男、年齢は二十歳。  十六の年に仕事を求めて王都にやってきたはいいが、前王の時代には賄賂なくして職を得られなかったため、用心棒をして過ごしていた。  少年王が城勤めの騎士を募集して最初に駆けつけた男であり、ラーズが鬼畜王と呼ぶ少年王が信頼している騎士である。 (でも、私が信じていい相手かどうかは……)  眠気に負けそうな意識で、精いっぱいの警戒心を保とうとするラーズの耳元で、トウがささやく。 「陛下から、あなたのことをくれぐれもよろしくと言われております」  低く落ち着いた声でささやかれて、ラーズの警戒心は眠気にとろけた。 「……どこか、仮眠のできる場所に」  それだけ言うのが精一杯で、ラーズは睡魔に意識を任せて、身体をトウの腕に任せた。  騎士は驚きながらも、宰相が倒れたとは見えないようにその肩を支える。 「細いな……」  顔だけでなく、その肩までもつくりもののように華奢な宰相に、トウは軽く眉を寄せた。  そのか細い寝息を守ろうと、騎士は顔をあげる。 「皆さま、別室に飲み物と軽食を用意いたしました。よろしければそちらでゆっくりとご歓談ください」  言って、部屋のすみに控えていた侍従に目くばせする。  軽く頷いた侍従は、自然な動作で貴族たちを部屋から連れ出していった。 「……さて」  がらんとした会議室に残されたのは、トウとその腕に頭を預けて眠るラーズのふたりだけ。  座ったまま眠らせるわけにもいかないだろう、とトウはラーズの背中とひざ裏に腕をまわし、ちいさな身体を抱きあげた。 「……んむぅ」  ラーズは寝ているところを動かされて不満なのか、いやいやをするように騎士の胸元に顔をすり寄せ、ちいさくうなる。  びたり、と動きを止めて腕のなかの寝顔を凝視したトウは、しっかり十秒間動きを止めた。  きつく目を閉じ頭のなかで唱えるのは、用心棒時代に数学者から教わった数字の羅列。 (3.14159265359……) 「ふぅ……」  何を意味するのか忘れてしまった数字の並びに心を落ち着けたトウは、顔をあげて歩きだした。  大股で、けれど腕のなかのひとを起こさないように、いつになく慎重に。  ※※※※※  意識がふわりと持ちあがったとき、ラーズがはじめに感じたのはぬくもりだった。 (あったかい……安心する……)  体の片側に感じるぬくもりをめがけて、ラーズはぐりぐりと顔を押しつける。 「うっ……」  かすかな物音が聞こえたような気がしたラーズだけれど、まだこの心地よいまどろみから離れたくなくて、きつく目をつむった。  それでもゆっくりと覚醒に向かおうとする意識に対抗しようと、ラーズはすぐそばのぬくもりに両手を絡める。  少々やわらかさに欠けるけれど、しなやかさとぬくもりが心地良いと、ぎゅうぎゅう抱きしめた。 「くっ……、あの、起きてます……?」  ラーズの耳に誰かの声が聞こえた。  うめくようなそれに聞き覚えがあるような、無いような。ぼんやりした気持ちのまま、ラーズはまぶたを持ちあげる。 「……そっきんの……」 「トウです」  舌足らずなつぶやきに返された名前でラーズは理解した。 (会議室で寝ちゃったんだ。それでトウが運んでくれて)  そこまではわかった。  けれどラーズの分析はそこで止まってしまう。  会議室で眠気に負けて、王の側近の騎士に部屋に運ばれて、そしてなぜかラーズはその騎士の腕のなかで眠っていたらしい。  目の前には騎士服に包まれたトウの胸。  ラーズの頭のしたにはたぶん、トウの腕があるのだろう。適度な高さをもった温かいものがあるのがわかる。 (これは、俗にいう腕枕状態)  現状を確認したラーズは、眠気でふわふわする頭に浮かんだ感想をこぼす。 「……あなた、むね、かたいんだね」 「そう、ですね。鍛えていますから」  かたい、と言いつつラーズは目の前にあるトウの胸板にぐいぐいと顔を押し付ける。  顔だけでなく全身で騎士のぬくもりにすり寄るラーズに、トウは動きを止めながらも慌てた声をあげた。 「あの! 枕ならあなたの後ろにありますから! 抱きつくものが欲しいのなら、厚めのかけ布団を持ってきますから!」  引き剥がそうにもどこもかしこも細いラーズに、トウは手が出せないらしい。  ちいさな頭の下敷きにされた腕は安眠を邪魔しないために動かせず、もういっぽうの腕はどこに触れていいのかわからないため宙をさまよっている。  トウの視線もまた、うろうろとさまよっている。  横になってしまえば楽なのに、ラーズの寝顔に近づきすぎないよう不自然な体勢で首を持ち上げ、寝息がかかりそうな距離にある愛らしい顔を凝視しないよう、耐えていた。  そんなトウの努力を無に帰すようにラーズがすり寄り、トウがこらえきれないうめき声をもらしていた、とこへ。  コツン、と扉が叩かれて、はっと顔を上げたトウの視線の先で部屋の扉が開かれた。 「王!」 「しー。そのままでいて」  静かに開かれた扉のすき間から、夕日とともに滑り込むように入って来たのは部屋の主である、少年王ソイルだった。  (あるじ)の登場に身体を起こそうとした騎士に、ソイルはくちびるの前に指をたてて静かにするように伝える。  王の視線が腕のなかのちいさな宰相に向いていることに気が付いて、トウは静かに身体の力を抜いた。 「よく寝てるねえ」  足音をさせずに近づいてきたソイルは、ベッドのそばに椅子を引きずってきて腰かける。行儀悪く椅子の背もたれに肘をついた彼は、ラーズのあどけない寝顔を眺めてやわらかく笑う。 「はあ、その、服を握って離していただけなくて……」  トウはいつもはきりりとした顔を情けなく困らせて、言い訳のようにぼそぼそと言う。  側近として見慣れたトウが、見たこともないほど困った様子だと、少年王はくすくす笑った。 「ラーズのくせなんだよね、寝るときはなにかに抱き着くの」  楽し気なソイルとは裏腹に、トウは浮かない表情だ。  王と宰相とを交互に見やった騎士は、ためらいがちにくちを開く。 「……あの、王と宰相は」 「あ。恋人とかそういうのじゃないからね。僕らはただの友だち。代わりに腕枕なんてしないからね、腕がしびれちゃうし」  トウのことばをさえぎった王は、軽く言ってひらひらと手を振ってみせる。  気安いそのしぐさを見上げながらも、トウの顔は浮かないままだ。 「では、なぜ……居室をひとつにしていらっしゃるのですか」  聞こうか聞くまいか、悩んだトウが疑問をくちにすると、ソイルはにっこり微笑む。 「ラーズは庶民の子なんだ。僕がまだ王位継承権が低かったころに、町で会ってね。ひどく頭が良いから、僕の補佐をしてほしくて連れてきたのだけど、後ろ盾も何もないラーズを守るには、手元に置くのが一番だと思ったから」  宰相の秘密をすらすらと暴露する少年王に、トウは冷や汗が噴き出した。   (国の誰も知らないであろうことを側近である自分に打ち明ける理由……他言すれば消すという脅しか)  やわらかく微笑むソイルが、見た目通りにおっとりした少年ではないことは、この一年仕えてきたトウ自身がよく知っていた。  前王や継承権の高い兄姉たちがつぶし合う間、末子であるソイルは市井で遊び歩いていた。そのため、誰もに「継承権争いに参加もできない凡庸な王子だ」と言われていた。  けれど少年王は凡庸を装っていたのだと、いまでは国中の誰もに知れ渡るほど、彼の政治は的確で素早く、無駄がない。  ときに苛烈とさえ称される少年王の治世を支えるのが、トウの腕のなかで眠るあどけない表情の宰相だということも、理解してはいた。  が。 「あの、宰相閣下は、その、女性なのですね」  諸々の疑問や考えるべきであろうあれこれを吹き飛ばして、トウが尋ねたのはその一点。  きょとん、と目を丸くしたソイルは、破顔して笑いだした。  王らしからぬ楽し気なソイルの笑い顔をラーズが見ていたなら「久々に見たよ、その気を抜いた笑顔」とでも言っただろう。 「あはっ、ははははは! 君が気にするのはそこなんだね!」 「あの、王! 宰相が、起きてしまいます!」  素の顔を見せて笑っているとも気が付かず、トウは慌てて小声で告げる。  騎士の腕のなかで、ラーズはもぞもぞと寝心地悪そうに身じろぐ。  武骨な手が存外やさしくラーズの背中を叩いて寝かしつけるのを見ながら、少年王は収まらない笑いをそのままに、くちを開いた。 「トウ・バスキット。きみをラーズの、()()の専任騎士に任命しよう」  驚くトウに片目をつむって笑い、ソイルは続ける。 「彼女のおはようからおやすみまで、面倒見てあげてね。今日からぼくと別室にするからさ~」 「えっ、俺、いや、私が!?」  からかうような声で言った少年王は立ち上がり、トウの戸惑いに構うことなく部屋の扉に手をかけた。  薄くひらいた扉の向こうに姿を消すかと思われた少年王は、扉のすき間から顔だけを出して騎士を見つめる。 「そうそう。ラーズに無体を働いたら許さないからね」  言って、ソイルは扉の向こうに消えた。  閉まる寸前、扉のすき間から「手をだすならラーズの許しをもらってからね~」と聞こえた声に、トウは呆然とするばかり。 「んむ……むぅ」  そのとき、腕のなかであがったかわいらしい寝言にはっとして、トウはラーズを見下ろした。  ラーズのまつげがふるふると震える。  ゆっくりと持ち上げれられるまぶたの下から現れた瞳は、ぼんやりと焦点が定まらないおかげで人形めいた冷たさはなく、むしろあどけなさを感じさせた。  無防備にうすくひらかれた唇が、化粧もしていないのに赤く熟れていて、トウは思わずのどを鳴らす。 「あ……そっきんの」 「トウです」    まっすぐな瞳に射抜かれたトウは、さっきもこんなやり取りをしたような、と意識のはしで思いながら続けた。 「王より、宰相どのの専任騎士を拝命しました。よろしくお願いします」  ぱちり、と音がしそうなほど大きな目でまばたきをして、ラーズがトウを見つめる。 「王、ソイルが……そう」  目覚めたかに見えたラーズは、そうつぶやいてとろとろとまぶたを下げる。 「トウ……側近の騎士……いま、何時?」 「え。ええと、夕刻ですが」  脈絡のないことばに戸惑いつつもトウが答えると、ラーズは目を大きく見開いて飛び起きた。  トウが見開かれたラーズの目がこぼれ落ちるのではないか、などと心配しているのをよそに、ラーズの頭のなかではあれこれと情報のやり取りが行われたらしい。 「午後の会議はもう終わってる。今から宰相室に行っても補佐たちが帰れなくなるだけ。寝よう」  言って、ラーズは起こしたばかりの身体を再び横たえて、トウの腕枕に頭を乗せて目を閉じた。 「えっ! 起きてください!」 「いやだ、あなたは私の専任腕枕でしょう」 「いや!? 違います、専任騎士です! 騎士!」  叫ぶトウをよそに、ラーズはいよいよ二度寝の体勢に入ってしまった。  トウはラーズの身体に触れることもできず、枕にされている腕を動かして彼女の身体を転がすこともできず、固まったまま声で騒ぐばかり。  そんなトウの胸に頭を寄せて、ラーズはくぐもった声を出す。 「なに騎士でもかまわない。ソイルがあなたを信用したなら、私もあなたを信じる」  騎士を通じてラーズの王への絶大なる信頼を見せつけられて、トウは息を詰まらせた。  そんなトウの様子に気づかずに、ラーズはもぞもぞと顔をあげて彼を見上げる。 「よろしく、トウ」  それだけ言って、ラーズは再び腕枕に頭を下ろし、目を閉じた。 「……よろしく、お願いします」    腕に乗る確かな重みを感じながら、トウは静かにつぶやく。  日が暮れ薄暗くなった部屋の静けさをラーズのかすかな寝息がくすぐっていた。
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