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「光を見ないで死んだのに、こんなジメジメした日陰に追いやられるなんて。気付かないで帰っちゃうひとも多いでしょうね」
「そうでもないんじゃないんですか」
無造作に祠を指す。
「お供え物いっぱい。流れちゃった人が捧げたんでしょ」
お地蔵様の周りには赤ちゃん愛用のガラガラやベビー服、てのひらに乗っかるサイズの靴もある。みんなみんな、お腹の中で子供を亡くした人たちが置いてったのだ。
彼女はハイヒールを履いた足を投げ出し、呟く。
「知ってる?世界には水子供養の概念が存在しない国もあるの」
「知りませんでした」
「日本もね……水子の概念が知れ渡ったのは比較的最近、医師による人工中絶が激増してからって説があるの」
「じゃあ、それ以前はなんて言ってたんですか」
「堕とした子」
「まんまですね」
「主語を省略するのは日本語の悪い癖だけど、堕とした子の前には必ず『私が』と付くわ」
私が堕とした子。
私の堕とした子。
どちらも私の子。
「私が堕とした子」
口の中で小さく呟けば胸に痛みが走る。束の間の沈黙を破ったのは、私の素朴な疑問だった。
「どっち……ですか」
「死産よ。だから水子でいいのかわかんないけど」
流産か死産か、以外の二択だったけど……まあいいか。
「妙な事に詳しいくせにそのへんは知識曖昧なんですね」
「偏ってるって夫にもよく言われる」
「旦那さんいるんですか」
「アメリカに。日本に帰ってきたのは久々。出張帰りに偶然この神社が目に入ったの、もしかしたらあるかなって」
バリバリ働くキャリアウーマンというのは間違いではなさそうだ。ますます苦手なタイプの人種。
彼女は地面に列成す蟻を目で追い、ハイヒールの先端で円を描く。
「八か月目まで順調だったの。でもね、診断で胎動が止まってるのがわかって……心音が聞こえないの。なのに蹴ってる感じがして、まだ生きてるんじゃないかって何度も思った。夫や医者がそろって隠してるんじゃないかって。そんなことするメリットないのに。八か月にもなると、自分で産まなきゃいけないの。死んでるのがわかってても体の外に出さなきゃいけないの。もうちゃんと人の形をしてたわ、産声上げないのを除いたら普通の新生児と変わらない」
ふいに彼女が地べたにしゃがみ、小枝を取って何かを描きだす。繭のような楕円の物体だ。
「クイズです。これはなんでしょうか」
あっけらかんと問いを出す彼女にあきれながらも、とりあえずは真面目に考える。
「カプセル……ロケット……揺り籠?」
「惜しい。正解はカルドコット」
「何?」
「死産した子を入れて一緒に過ごす器。日本では保冷ポットなんて情緒のない訳し方をされる。情がないとまでは言わないけど」
地面に描かれたカルドコットをえっちらおっちら蟻たちが過ぎっていく。
巣に帰る蟻たちを優しく見守り、彼女は言った。
「アメリカの病院じゃ結構普及してるのよ。あっちじゃ死産した母親がよく孤立する、そこで赤ちゃんをカルドコットに入れて数日間共に過ごさせてあげるの。一緒にビーチを散歩できる、抱っこして唄ってあげれる、洗礼を施して送り出せる。子供を失った親の支えになる人工の揺り籠」
カルドコット……耳慣れない単語から想像したのは、外側が冷たい金属のたまごだ。
たまごの中には孵化する前に死んだ子が入っている。
「日本で取り入れてる病院は殆どない。もっと増えればいいのに」
「そしたら……ここに来る人も減りますかね」
彼女は答えない。端正な横顔に喪失感の上澄みの寂寥が浮かぶ。
彼女はまたベンチに戻り、私はベンチの上で膝を抱える。
彼女は正面の虚空を、私は地面をじっと見て、カルドコットの中で眠るモノを思い描く。
「でも、ずっとはいられない」
やがて彼女が呟いた。
「カルドコットで保てる期間は限界がある。いずれは手放さなきゃいけないの」
「あなたは?」
「初めての子が最後の子になった」
その理由を深くは聞けず黙り込めば、彼女が嬉しそうに微笑んでバックをあさりだす。
「写真見る?」
「撮ったんですか」
「取り上げられた直後に病院のスタッフに抱かせてもらったの。隣は夫、抱っこしてるのが」
真珠の光沢でコーティングされた爪が外国人の男性を指し、今より少し若い彼女の腕の中へ滑り行く。
「私の子」
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