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皺くちゃの顔をしていた。お母さんと全然似てない。髪の毛が茶色なのはハーフだろうか。瞼を閉じたままなので瞳の色まではわからない。
「瞳、何色だったんですか」
「見なかった。こじ開けるなんてできっこない」
そんなことをしたら、どうしたって死んでいるとわかってしまうから。
眠りと死は別物だ。眠っている人間なら眼球が血走っている、光に虹彩が反応する。動かないのは死んでる証拠だ。
憔悴しきった彼女の腕に抱かれた新生児は、傍目には眠ってるとしか思えない安らかな表情をしてる。
昔見た、震災の写真を思い出した。
ひどい津波になにもかも押し流されたあと、浜辺に打ち上げられた赤ちゃんたち。警察関係者が一列に並べた遺体。凄惨な光景なのに、どの子もとても穏やかで安らかな顔をしていた。
赤ちゃんはまっさらだから、私たちみたいに憎んだり妬んだりしないから、眠るように逝けるのかもしれない。
あの子たちが苦しまず逝けてたらいいのに。
本当に、そうならいいのに。
「あなたは?」
「え?」
「やっぱり自分を許せない?」
なんでと言おうとした。なんで初対面のあんたが見透かすようなことをいうの、一体全体私の何を知ってるの、名前も生い立ちすらも知らないくせに。
反論を封じるようにだしぬけに乗り出し、私の手首を掴む。
「ごめん、さっき手を合わせた時見ちゃった」
袖口が無防備にめくれ、手首のリスカ痕が露わになる。
彼女は痛ましそうに言った。
流産のショックで手首を切る人もいなくはないが、それをするのは中絶した人の方がずっと多いと。
「私は」
仕方なかったの。
悪くないの。
脳裏に渦巻く思念は言葉にならず、自己嫌悪と紙一重の自己保身に駆り立てられ、彼女の手を力ずくで振りほどく。
「……相手は?」
「養父。中学の時」
それだけで、全部伝わった。
わかってくれた。
何年も前なのに忘れられない、ずっとずっと呪いのように考え続けている。
私が堕とした子のことを、名付けもせず殺してしまった子のことを。
私の方がカルドコットに入りたい、一生ひきこもってたい、出てこなけりゃいい。
なんであの子は写真の中で両親に挟まれて幸せそうで、私の子はひとりぽっちで搔き捨てられなきゃいけなかったの?
みんなして命に優劣はないとか人間に上下はないとかいうくせにどうして愛される子と愛されない子が生まれるの?
神様なんて大嫌いだ、どうせ仕事しないんだ、クズを間引かず生まれてくる前の子を殺すんだ。
「その子が忘れられなくて来たの?」
「こないだ前通った時、お腹の大きい子が笑いながら出てきて……気になって迷い込んだら、あそこに着いたの。誰もいなかった。ひとりぽっちだった。寂しそうで可哀想で寂しかった。あんな暗いトコ、ジメジメしたトコで、かくれんぼで忘れられた子供みたいだった」
正しく鈍感な人たちは何を恥じることなく堂々と光の中を歩けるのに、なんであの子たちは日陰に押し込められてるの?もっと明るいところに祭ってあげたっていいじゃない。
「誰もいないから、見てあげないなら、私だけでも覚えておこうって思ったの」
幸せになるのは明るく正しく鈍感な人たちにまかせておけばいい。
顔を上げて歩けない私は、神社の奥の隅で顧みられない子たちを目に焼き付けてお墓まで持っていく。
実際は違った。
お地蔵様にはたくさんお供え物がされていた。
やむをえず堕ろした我が子を、あるいは流れた我が子を悼む大勢の人たちがいた。
私は?
悼む資格があるの?
お節介な女。いけすかない偽善者。なれなれしく声をかけてきたのは私の手首の傷を見咎めたから。
ほっといてかまわないで、あれからずっと人に優しくされると消え入りたくなるのにこれ以上みじめにさせないで。
スッ、と立ち上がった彼女がスーツの懐から名刺を出す。
「よかったらどうぞ。歓迎するわ」
受け取りを拒むこともできた。しなかったのは彼女の微笑みがまだ優しかった頃のお母さんに似ていたから。私をふしだらな娘と罵る女じゃない、ちゃんとお母さんをしてた頃の。
言うだけ言って去っていく女。神社の境内に残され、途方に暮れて名刺を見下ろす。お店の名前は『Coffin cradle』……棺の揺り籠。不吉だ。何の店かよくわからない。
数日後に彼女の店を訪ねる気になったのは、バイトが急に休みになってぽっかり時間があいたから。
その店は新宿のビルの一階にあった。英語で『Coffin cradle』と書かれたおしゃれな看板が出ている。Tシャツとジーパンできてしまったが、敷居の高さに気後れする。
やっぱり帰ろうと回れ右した時……。
「いらっしゃい、きてくれたのね」
内側からドアが開いて、笑顔の彼女にもてなされた。
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