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タイミングの悪さを呪い、仕方なく引き返す。 「暇だったんで。ここ何のお店?ヤバい葉っぱとか売ってるんですか」 「まずは入って」 悪戯っぽくほくそ笑む彼女に招かれて店内に入り、ぎょっとする。 木彫りの揺り籠に赤ちゃんが寝かされていた。 「紹介するわ。私の子」 「は?」 何言ってんの。意味わかんない。この人頭おかしいの?だってこの人の子は死産じゃ……。 嫌な汗が背中を伝い、緊張に喉が干上がっていく。呆然と立ち尽くす私に構わず、彼女は揺り籠に手をさしいれて新生児を抱き上げる。生後2、3か月に見えた。とても大人しい。わずかに癖が付いた茶髪に緑色に澄んだ目が映えている。 『こじ開けるなんてできっこない』 じゃあ、目の前のこの子は何?あれは全部嘘だったの?無事に産まれたのに嘘を吐いて、私を憐れみにきたの? 「ホントは目を見ずに後悔してた」 女性が優しく赤ちゃんの頭をなで、瞬きもしない瞳をのぞきこむ。 「少しの間でもママだったのに、自分の子の瞳の色がわからないの。だからうちの旦那とおそろいにしたわ」 たった八か月の母親が嘆き、たった四か月の母親は立ち尽くす。 この赤ちゃん、変だ。 一回も瞬きをしない。表情も変わらない。 ものすごく精巧に作られた、非常にリアルな人形だ。等身大の新生児を模したドール。 放心状態の私に歩み寄り、彼女が説明する。 「リボーンドールよ。聞いたことない、本物の赤ちゃんそっくりのリアルな人形。既婚未婚問わず世界中に愛好家がいるの。私はその職人兼店長、日本に新しくお店を出すことになったから視察にきたってわけ」 手足の肉感や関節の皺まで完璧に再現されたドール。一本一本丁寧に植えられた睫毛の下、澄んだ翠の目がまどろんでいる。 「旦那と同じ瞳ならいいなって思って、翠にしたの」 本当の事はわからない。知る手立てもない。だからこそ、信じたいものを信じる。 「重さも忠実」 さわってみろと温かい目で促され、切り刻まれた手首を隠すのも忘れ、柔らかな頬に触れる。 私の子。名前もない子。きちんと生まれていればこの子みたいに可愛かった、きっと。 両親に浴びせられた罵声が殷々と耳の奥に甦る。 『中学生が産めるわけないでしょ、手遅れになる前に堕ろしなさい。母さんの知り合いがお医者やってるから』 『腹が膨れる前に堕ろしてこい』 『その子は産まれてきちゃいけない子なのよ』 ねえ神様、世の中に生まれてきちゃいけない子なんているの? 私がそうなの? 私の子もそうだったの? だったらこんな世界、くそくらえ。 何故彼女が私をここに呼んだかわからない。同情?哀れみ?あるいは共感?私は何故ここに来てしまったの、来る義理なんかこれっぽっちもなかったのに。 カルドコットとコフィンクレイドルが脳裏をぐるぐる巡る。英語の勉強は高校でやめたから正しいスペルもわからないのに……。 「子供を亡くした人が癒しをもとめて買いに来ることもあるの。生前の写真を渡されて、この子をモデルに作ってほしいって頼まれる。難しいけどやりがいのある仕事よ」 リボーンの意味は生まれ直す。 この人の子供は、何度でも生まれ直す。 茶色、黒、青、緑、灰色……オーダーメイドの数だけ義眼をそろえ眼窩にはめ込んで、世界にただ一体の理想のドールを作り上げていく。 好きな子を選んでいいと言われ、カーテンで仕切った奥へ案内される。 棚には大小さまざまなリボーンドールが飾られていた。等身大の子もいれば一回り、二回り小さい子もいる。てのひらに乗っかる子さえいた。とても小さい。 棚の端にお座りしている子に目がとまる。 黒髪に黒い目のドール……下がり気味の口角とタレ目が私によく似ていた。私だけに似ていた。 引き寄せられるように指を伸ばし、引っ込め、おっかなびっくり頬に触れる。 「名前は買った人に付けてもらうの。今はみんな名無し。青い鳥の子供たちみたいにね」 カルドコットは揺り籠と棺を兼ねる。 無垢なる赤子は眠りにつく。 私の隣に並んだ女性が、深い悲哀と愛情を湛えた目を落とす。 「お別れの時間がきて、あの子をカルドコットに返す時おやすみを言ったの。眠ってるようにしか見えなくて、いつか目覚めると思ったから」 おそるおそる不器用な手付きで赤ちゃんを抱く。 関節が固まりきってない、柔らかく頼りない体。 哀しみの水位がひたひた上がり、切り離した愛しさが溢れ出す。 望んで宿した子じゃない。望んで産む訳にいかない。それでもいなくて寂しいと思うのは勝手だろうか、間違ってるだろうか。 「さびしい」 初めて口に出す。 ずっとずっと言いたくて言えなかった言葉を、口にする資格がないと自分を戒め封じていた言葉を、胸の奥底から汲み上げる。 「さびしいよ、すごく」 ただ、それだけで。 それだけなの。 柔らかな頬に一粒雫が弾ける。 リボーンドールをなでてたたずむ私の横で、彼女は「お金はいいから」と告げ、その子を譲ってくれた。 リボーンの意味は生まれ直す。 カルドコットで眠りにつく子におやすみを囁くのは、母親になりそこねた女たちの自己満足でしかない。 でも。 それでも。 リボーンドールの柔らかい体に顔を埋め、掠れた声で紡ぐ。 「……名前、ずっと考えてた」 おやすみ、私の子。
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