酸素と調味料の違い

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酸素と調味料の違い

 羨ましいという感情は、なれないものにしか湧かないらしい。 なので行きすぎて望んでしまうと、それは羨望から好意へと、それから嫌悪へと移り変わってしまうそうで。まぁ、人による、と言ってしまえばそれで終わりなんですが。  そうそう、またはそこに、独占欲が混じることも有るそうです。自分のものにした気になろうというのでしょうか。はたまたそれを恋とでも呼ぶのでしょうか。    さて、話は変わりますが、私には、嫌いな人間が出来たのです。  これは由々しき事態なのです。私は今まで、机に花瓶を置かれようが、牛乳を拭いた雑巾を顔面に押し付けられて笑われようが、嫌いという感情は湧きませんでした。直接身体に傷をつけられることはありませんでしたし。  いえ、当然、憎いのです。憎いのですが、嫌いか?と聞かれれば、強いものが全てのこの世界なので仕方がないとも思えるのです。自分が弱者になってしまった、報いらしいのです。いじめっ子や親に対して、してきた事に対して憎いと思う事はあっても、触りたくない、死んで欲しい、と思ったことは無いのです。普通に、褒められると嬉しい。最初こそ色々感じていた気はしますが、記憶に無く。もうなんでもいいか、どうでもいいか、と感じてしまうのです。まさか己で感情を封じてしまったのでは無いかと不安に感じている次第です。まぁ、人に対して、なんらかの諦めを持っているのでしょう。こういうものだ、と言われ続け、思い続け、今に至ります。  憎悪と嫌悪、または厭悪は違うのか?という点ですが、憎悪は憎しみだけをひたすらに持っているのだと思うのです。嫌悪は感覚的にこいつは嫌いだ、と思う気持ちであり、厭悪は不愉快、に近い気が致します。さっき、ざっとウィキペディアで調べたところそのような感じでございました。まぁ、同じようなものですが。  私の中の「嫌い」というものは、例えば消しゴムを貸してくれと言われた時、なんとなく嫌だと言ってしまったり、テレビにある芸人が写った時に反射的にプチッと消してしまったり、好きだ、と言われて本当に嬉しくない、と思ったり、見たくも聞きたくもない、そんなものなのです。いや、もしくは私が感じたことのないような、もっと大きな感情なのだと思います。  そんな人間は今まで、現れませんでした。  まずテレビを見ることはほぼありませんでしたし、街を歩いていても、何をしていても、私は空気以下だったのです。  そう、消しゴムを貸して、と言われることもありませんでした。いつの間にか無くなったことは有りましたが、自販機の下に落ちていた百円で買い直したので結果オーライ、何もなかったことになりましたし。    私は、存在感の薄い、酸素よりは必要のない、二酸化炭素とでも言いましょうか。自分がいる事で何かが燃え上がる、盛り上がる様なことは無く、一言で場を盛り下げる事ならできます。私がいるとお母さんは苦しくなるそうなので、やはりそうかもしれません。  そんな人というものに大きな感情を持つことなく人生を送っている中で、私は、酸素のような人間に対し羨望を持つようになったのです。人に必要とされ、その人が居ないと死ぬ、なんて言うような人間が現れる。そんな人間に。  全くではありませんが、必要とされない人生でした。全くでは無いと言うのも、人の感情や性の捌け口になれたので、その点では必要とされたのではないかという希望混じりの言葉です。  例の酸素のような人は、私には無いものを全部持ち合わせておりました。綺麗な髪に、透き通った肌、切れ長ながら大きな目、病的とも言えるほど細く長い手足、天真爛漫な性格をしながら、人を惹きつける危うい雰囲気を持ち合わせておりました。生きているだけで人を誘っているような、誘蛾灯のような。もしかするとこれは例えが悪かったかもしれません。  彼女は男子共にもそりゃあ人気があったのですが、老若男女問わずに人気があったのです。彼女が虐待を受けて育ったというのも、お金があまり無いというのも、彼女の魅力になってしまう程に、彼女は他人の酸素になるのが上手かった。  可哀想、が魅力になるなんて、なんて羨ましいんでしょう。可哀想、だなんて全部同情か蔑む表現でしかないと思っていました。私がどれだけ何をされようが、それは過去にしかなり得ません。ですが彼女だとその続きがあるのです。そこから守ってあげたい、自分が居てあげたい、力になりたいと想われるらしいのです。金が入ってきたり、恋人が可愛がってくれたり、クラスの隅で絵を描いている人間が題材にしたりと、結果何かと人に必要とされている。  ずるい、羨ましい、と思ったのです。彼女と私の違いといえば、見た目と性格だけなのですが。そこが大きい訳です。  彼女が幾ら優しく、素敵だとはいえ、私の事は見えていないようでした。  そこで私は、つらい、と思ったのです。少し息が出来なくなる程に。  私のことを、見て欲しかった。彼女に見て貰えたら世界中に見られるのと同じくらい、満足するのでは?と思ったからだった気がします。  私は彼女に見てもらうために、足りない頭で考え、結論自分の中での素敵な人間になることにしました。そしてあろうことか、彼女になろうとしたのです。出来るだけ近づくようにと、自分なりに死にものぐるいで努力しました。  しかしどうでしょう、何を真似しようと誰も私を見ませんし、彼女もこちらを振り向かないのです。まぁ、それはそうでしょう。偽物がどれだけ現れようと本物が居る限り全くもって意味は無いのです。オリジナルにならなければなんの意味も無い訳です。  そこで初めて、人に対して殺意を抱きました。オリジナルを殺せば、自分がオリジナルになれるのでは、と。そんな訳もないことは百も承知だったので、直ぐにその殺意は消えました。  そうです、先で話した通り、羨ましいと思ったということは、になることはできないのです。もう既に存在している人間になろうとすることが間違いなのです。  何故でしょう。今まで彼女に穴が空くほど彼女を観察し続けていたのに、間違いに気づいた瞬間、彼女が視界に入る度に胸が苦しく、心拍数が上がって過呼吸を起こしそうになりました。まぁ、起こしました。  そして、彼女を見たくも感じたくも無くなったのです。自分の中身が掻き混ぜられている感覚が気持ち悪くて、元々接点など無かったのに、今まで以上に避けるようになりました。  彼女に何の感情を動かされているのか、全く理解出来ませんでした。もしかしてこれが恋なのか、とも考えたのですが、好きという感情は相手をずっと見ていたくなり、もっと触れたくなるのだと見聞きしました。  これ以上見たくも触りたくもない、ということは好きの反対であり、そして殺意も覚えた。ならばこれは嫌い、という事なのかと安直に私は理解したのです。  嫌いだということを自覚して数日経ったわけですが、無意識に、彼女になろうとすることを辞めませんでした。身体が無意識に同じ行動をしよう、同じものを持とうとするのです。一種の病気かもしれない、と思いました。私の生活は、大嫌いな彼女を軸に動き始めていたことに、この頃気づきました。  そして夏休みの一週間前になろうかという頃、私が彼女の持っているキーホルダーと同じものを持っている事がクラスメイトにバレました。  誰も私を見ていないと思っていたのですが、彼女になろうとしたことで変に目立ってしまったようです。そこから私が彼女の真似事をしているという話題が広がってしまい、私に対する周りの当たりは酷くなりました。  遂に手を出されるようになり、髪を切られた程です。髪を切った彼女に憧れ、ショートボブにしたばかりでした。まぁベリーショートでもいけるか、と思い、切れた唇の端を舐めました。  ある日、二酸化炭素よりも有害になって空気よりも目立った私に、彼女は何を思ったのか、この前とは違うお揃いのキーホルダーを贈って来たのです。放課後の誰もいなくなった教室でした。  私は混乱しましたが、直ぐに頭の中で結論を出しました。きっと自分の真似事をしている私に構うことで自尊心を満たしているんだ、お前は私にはなれないと見下しているんだ、と。  途端に汗が吹き出ました。羞恥か、憎悪か。はたまた、嫌悪か。  ゆっくりと、向かい合った彼女の目を見てみると、長い睫毛の大きな瞳が、私にはどう足掻いても手に入れられないものが、綺麗にそこに、鎮座して、此方を、見ている。嗚呼、耳が、身体が、熱い。 「私のことが、好きなの?」  彼女はそう、私に問いながら、その華奢な手で私の頬を撫でました。触れられている箇所から痺れるような感覚が広がります。 「私のことが好きだから、真似しようとするンでしょう?このキーホルダーだって、嬉しいでしょう?」  目を瞑りました。彼女を視界から外すにはそれしか無かった。見て欲しかった筈なのですが、見られていると身体が蒸発してしまいそうなのです。もしかして私は、彼女に少し、興味を持たれている?もしかして、もしかして、好かれている?許されている?もしかして、周りとは違う?そんな考えが私の脳を溶かしました。  身体は醜いこの無様な姿を見られることを拒否するように、震えます。 「貴女も皆と同じなんだね、結局私の事が好きなの」  ヒュッ、と喉から音がしました。彼女はまるで貴方は私を嫌いだと思っていた、残念だとでも言うように目から光を消しました。    はぁ、好きという感情がこんなにも絶望に溢れていてたまるか。  そして、皆と同じ、という言葉が頭に反響しました。違う、違う。違う。私は、周りの人間と同じなんかじゃない。貴女の事を嫌いな唯一のクラスメイトだから、特別だから。貴女が。誰よりも。 「貴女のことが大嫌いだ」と、声を振り絞って伝え、教室を飛び出ました。人生初の大きな大きな感情があんなものであることが、許せなくなったのです。彼女のことを考えると、息が出来なくなっていくのです。あぁ、そうか、私の中での酸素もあの女だったのか。その事実が私の脳を殴って来たので、振り払うように貰ったキーホルダーを窓から投げ捨てました。  その後夏休みに入り、彼女を見ることも無くなりました。 感情が動くことも無くなり、平穏で可哀想な日々が戻ってきたのです。 何も感じない、というのはこれ程に楽で悲しいのか、と自販機の下を漁りました。  全く、私、いや人間というものは頭が悪いものです。人を人間として見ていないのです。コンテンツとして見る、とでもいうのでしょうか。あの人になりたいだとかこの人に近づきたいだなんて、傲慢でしかない。そして、馬鹿らしい。  言ってしまえば人間なんてただの肉の塊な訳です。なのにです。皆同じ肉の塊なのに、自分とは違うと勝手に信じ込んで、信仰して、潰して、壊して、燃やすんです。ただのゴミ処理に意味を込めて、送り出す、だなんて言うんです。  と、ここまで考えてみましたが、漁っていた自販機の下から100円が出てきたので、サイダーを買うことに専念することにします。  一ヶ月程度の休みが明けて教室に入ると、彼女の机に花瓶が置かれていました。父親からの暴力が行き過ぎた結果だったそうで。おかげで私の机に花瓶が置かれることは無くなりました。  最初こそ、皆、騒ぎはしましたが、一ヶ月もすると話題にすら上がらない。結局、彼女は皆の酸素では無かったのです。酸素なんかではなく、ただのよく使われる調味料だった。  皆それぞれに沢山の人で味付けをした人生を歩んでいるのです。ひとつの調味料が無くなったところで、代用品は幾らでもある。  まぁ、私はその限りではありませんでした。その後も私の人生の調味料は彼女だけなのですから。彼女がいなければ、人生に味がしないのです。生きていく気力というものが、以前にも増して湧かなくなってしまったのです。    彼女の代用品は、私には、居ないのです。  居ないと苦しい、取りすぎても苦しい、そんな人間の代用品は。  ああ、そういえば、嫌いだという感情は、他の感情と比べ物にならぬほど強く、残るものらしく。 それを最初に知った私はどうなるのでしょうか。    酸素が無くなった動物が行き着く先は、ひとつ、です。  来世も、私だけの酸素になってくれますように。
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