言付

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言付

 皓月としては、彗明の発言の内容より気になることがある。皓月は、彗明の背後に控えている彩雲に、ちらりと視線を移す。 「彗明。そなたが伝えることは、内官の耳に入れても良いのか」  彗明が話す内容が、政に関わることならば、彩雲の耳に入れない方が良い。彩雲は政に関して、己の立場を弁えず口を挟む人物ではないが、それでも政に関して耳にする機会は減らしておいた方が良いだろう。 「お耳に入れて良い話と、良くない話がございます。全ては、王様がご判断ください」  なんとも、釈然としない口振りである。だが、少なくとも話はひとつではないらしい。  人払いをさせるか否か、皓月は思案する。  彩雲が躊躇いがちに口を開く。 「王様。わたくしは外におります」  空気を読んでか、彩雲はそう申し出る。  皓月が判断に迷う素振りを見せると、彩雲はその場の空気を読み、行動する節がある。皓月にとって、こちらが何も言わずとも、空気を読んで行動する彩雲はありがたくもあり、時にそうさせてしまっている己を不甲斐なく思う。  皓月が何が言う前に、彩雲は揖礼を捧げ宮の外へと足を向ける。  先日の秀鈴と初虧の話を、正殿の外で聞き耳を立てていた彩雲のことだ。恐らく、此度もそうするつもりだろう。  皓月の胸中を知ってか知らずか、彗明が「王様」と声を掛ける。皓月は無言で水を向ける。  彗明は静かに話し始めた。 「周易局の白陽様が、太后様にお目通りを願ったそうでございます] 「その白陽という官吏は、弟の養父だ。それ故、太后とは定期的に会っている。それが、何か問題でも?」  右丞という立場上、彗明は天雲の数奇な出生の秘密を、知っている数少ない人物である。 「白陽様のことは存じております。事情がおありだとも。ですが、王様が退位を迫られたこの状況で、というのがなんとも……」  随分と含みのある物言いである。 「なにか理由があると?」皓月の発言に、彗明が「左様です」と頷く。 「白陽様は件の皇子を、次期君主に……とお考えやも知れません。それ故、太后様にその算段を。幾ら、民として都の外れで暮らしているとは言え、皇子なのは間違いないのですから」  彗明の口から出た発言に、皓月は眼を瞬かせる。だが直ぐに、怪訝そうな顔をする。 そんなことあるだろうか―?  確かに、天雲は“皇子”として生まれた。だが、それは生後みつきまでの話。第一、この国では新月の晩に生まれた皇子に王位継承権はない。  幾ら、白陽が天雲の即位を望んでもその願いは叶わない。それは他でもない、白陽自身が一番良く理解しているはずである。 そう知っていながら、天雲を君主になど望むだろうか―?  皓月の胸中に、疑念が生まれる。 「だが、その皇子が王座を継げぬことは、他でもない白陽が一番知っているはずだ。そのようなこと……」  皓月が言い終わる前に、彗明が言葉を遮るように頭を振った。 「ですが、王様もご存じの通り、官吏の中にはその掟の必要性を疑問視する者もおりますので……」  彗明の静かな声。  確かにそうだ。彗天の父であり丞相の珀惺は、公には口にしていないが胸中では、王位継承に関わる掟の廃止を思案している。  だがそれは民として生活している天雲を、王位継承のいざこざに巻き込むことに等しい。 そうなれば、初虧は黙っていないだろう―。  初虧は娘の六華が王妃に即位することを渇望している。そもそも、皓月と彗天の即位を最後まで反対していたのは、彼だという。  また初虧は、周易局の長官という立場上、政や王位継承に関して国の掟に則って行うべきだという考えを持っている。それは、弟である偃月も同様に。  その初虧が、掟を無視し天雲を君主に即位など許すはずがない。恐らく、そうなれば強引に、偃月と六華を即位させるかあるいは……。 “こうなること”を防ぐために、父上と母上は―。 「王様?」余程、難しい顔をしていたのか。彗明が怪訝そうに顔を覗きこんでいた。 「何でもない。気にするな」  皓月は平然を務めて頭を振る。  彗明が再び口を開く。 「これは、わたくしの勝手な推測でございますが……。  白陽様は件の皇子にいつかは、真実をお話になりましょう。王様が退位を迫られている現状ならなおのこと。  皇子ご自身も己の出生の秘密を、お知りになりたいとお思いのはず」  皓月は生唾を呑む。  それは皓月も危惧してきたことである。勿論、秀鈴や先代の国王・盈月も。  危惧したからこそ、盈月は白陽に“出生の秘密を明かすことは勿論、官吏の登用試験を受けることも禁ずる”と脅しをかけた。万が一露見した場合、命はないと思えと。  だが、それはまだ盈月が生きていた頃の話。盈月が崩去し数年が経った現在、全ては秀鈴の判断に掛かっている。  更に、天雲はもう何も知らぬ子どもではない。数え二十の立派な青年である。いつまでも、子供だましの理由を並べ秘密にしておくことは難しい。  白陽もそれを承知している。  だが、己に隠された出生の秘密を知ったその時、天雲はどう反応しどう出るのだろう。  初虧はそれこそ、天雲を亡き者とするのではないか。 だからこそ天雲に知られてはいけない。絶対に―。 だが国の為には―。 「そもそも、あんな王位継承に関する掟などなければいいのに……」 掟などなければ、今でも天雲は諱のまま皇子として、宮廷で生活できたはずだ―。  そもそも、お産は何があるかその時まで分からない。なのに、満月の晩に…などと言うのは妃にとって余計に酷ではないか。  不意に、皓月の口から本音が漏れた。だが、彗明はさして驚きもせず、頷き同意を示す。 「わたくしもそう思うております。  このようなことを王様に申し上げるべきではないのでしょうが、この国は国政において掟や周易局を頼り過ぎかと。  周易局が国にとって、重要な機関であることは存じております。ですが、何もかも周易局ありきでは、誠の政は出来ぬかと存じます」 「“誠の政”……」彗明の言葉をおうむ返しで呟く。 「左様にございます。  わたくしが思うに、政というものは王様のためでもなければ、宮廷のためでもない、更には周易局のためにあるものではございません。政は本来、民の生活を豊かにより良いものにするためにあるものでございます。  それが、わたくしが思う“誠の政”と存じております」 「そのためには、周易局の有り様を考えねばならぬと」  皓月の言葉に彗明は再度「左様にございます」と頷く。  彗明の言い分は至当である。 周易局と国政を切り離せたら―。 切り離すことが難しければ、せめて周易局が国政に関わる範疇を狭めることは出来ないだろうか―。  皓月は公言はしないが、建国から長きにわたり続いてきた、周易局ありきの政の変革を思案している。 だがこの場で幾ら思案しても、おいそれと妙案など思い浮かぶはずがない。退位をしようがしまいが、どちらにせよ己が国王という地位にいるうちに手を打たねばならない、と皓月は思っている。 王位継承に関する掟が廃止された場合、次期君主は天雲なのではないか―。 天雲が君主に即位することは、周易局と国政を切り離す一番の近道ではないか―。  皓月はそう思案する。  彗明は最初、話したいことはひとつではないと言わんばかりの、物言いをしていた。他はどのような話なのか。 「話は白陽の件だけではないのであろう」  皓月は水を向ける。それまで皓月を真っ直ぐ見つめていた彗明だが、水を向けたとたん話すべきか否か、逡巡するように視線を彷徨わせる。 「ここまで話しておいて、やはり話さぬというのは筋が通らぬだろう?」  皓月の言葉に彗明は、意を決したかのように息を吐く。 そこまでして、話しにくい内容なのか―?  彗明の緊張が伝播するようで、皓月は再度姿勢を正し気持ちを落ち着かせる。  彗明が徐に口を開く。 「同日、初虧様が六華妃をお訪ねになりました」  思ったより、変哲のない話で皓月は目を瞬かせる。六華は初虧の娘である。父親が娘の宮に出向いて、何を警戒せよというのか。これのどこに、彗明が逡巡する要素があるのか皓月には見えてこない。 「それだけではございません。  これは噂でございます故、信憑性に欠けるのですが……。その日の晩、その……。六華妃の元に……」  なんともまどろっこしい物言いである。 「なんだ、はっきり申せ」  皓月は腕を組み、声を尖らせる。 「六華妃の元を偃月様がお訪ねになったと」  まるで一世一代の秘密を打ち明けるように、声を潜め言う。口にしてから、罰の悪そうに口を両手で覆う。 「お渡りか……」皓月が組んでいた腕を解き呟く。  と同時に、何故彗明がここまで話すことを逡巡していたか理解する。気を遣っているのだ。世継ぎが望めない皓月に対して。恐らくこの話は、お渡りが負担となり世継ぎを望めない皓月の耳に、入れるべきではないと思案したのだろう。 己は臣下に気を遣わせる存在なのか―。  皓月は自虐的に笑う。彗明は視線を彷徨わせる。  彗明の様子を気に留めぬ振りをし、話を進める。 「偃月が六華妃を迎えたのは四年ほど前。そろそろ、懐妊の報せがあってもおかしくはない……」  皓月の発言に彗明が頷く。 「恐らく、初虧様が六華妃に何かしら助言をしたのでしょう。勿論、偃月様にもでしょうが」  助言とは言ったが、彗明としては助言ではなく、脅しとも取れるものではないか…と思案している。  初虧は六華が王妃に即位することを渇望している。故に、世継ぎが産まれれば六華の地位や己の地位も確固たるものになると自負しているのではないか。 「お世継ぎを政の道具になさるおつもりでしょうか」 「かも知れぬな」本人の意向は分からぬが、初虧ならばあり得ないことではないと皓月は思う。  程なくして、彗明は暇を告げる。 「朝餉のお時間に手間を取らせ申し訳ございません」  恭しく揖礼を捧げる。話し込んでいたからか、几の上に置いた食べかけの粥はすっかり冷めてしまっている。しかし、元々猫舌の皓月にとって冷めていた方がありがたい。 「構わぬ。  お陰で貴重な話を聞くことが出来た」  皓月の負担になると思っているのだろう。秀鈴や初虧、珀惺は皓月の前で余り国政や宮廷内の話をすることはない。  秀鈴らは良かれと思っているのだろうが、皓月にとっては腫れ物に触る如き扱いでなんとも居心地が悪い。 強く言えない己にも非があるのだろうとも皓月は思う。    彗明はこちらに背を向け、宮を後にする。がらんとした広い宮に皓月のみが残された。彩雲は多弁な柄ではない。だが、傍にいることが常だからか一人きりになると心許ない。  彩雲は恐らく、何時かのように宮の外で会話に聞き耳を立てているはずだ。それ故、もうじき戻って来るだろう。  気を取り直し、匙を手に取り冷めた粥を口に運ぶ。
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