自薦

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 六華妃が懐妊したらしい―。  この話題は、瞬く間に宮廷を駆け抜けた。  最も、確証がある訳ではない。ただ、黴雨に入って暫くしてから、それまで五日と置かず六華の宮を夜に訪れていた偃月が、夜ではなく昼間に宮を訪れるようになったこと。更には、六華が宮の外に姿を現さないことから、日に日に懐妊の話題が現実味を帯びている。  皓月の耳にも、右丞・彗明により話題が届いた。  皓月が話題を聞いたのは、懐妊の確証を得るため雲霓が六華の宮を訪ねたらしい、という話題が駆け抜けていた頃である。  彗明は黴雨に入る前に、宮を訪れてから時折、こうして皓月を訪ねている。国王と右丞、身分は違うが二人の間には、茶飲み友達のような穏やかな空気が流れていた。  皓月が望むのはただの雑談ではない。今、宮廷内で何が起き、それが国にどう影響するのか。普段、思うように国政に関われない皓月にとって、宮廷での出来事は貴重な情報なのだ。  懐妊の兆しと聞いても、皓月はさして驚かない。  来る時が来た、そんな感覚である。  六華が偃月の正妻として入内し早四年。そろそろ、世継ぎの話題があっても良い頃合いなのだ。  次期君主や王妃の座を狙うのに、世継ぎがいないとなれば二人の立場は些か危うい。世継ぎがいることで、足固めにもなる。  誠ならば宮廷にとって、また二人にとって、これ以上ない足掛かりであり慶事である。 「急いだ方が良いかもしれぬな……」彗明から話を聞き終えた皓月がひとりごちる。 「周易局の件でございますか?」文机を挟んで座っている彗明に問われ、皓月が「あぁ」と頷いた。 「王位継承も」と付け加える。 「懐妊が公になれば、宮廷内…いや国中が六華妃と偃月様に注目いたします。お世継ぎ誕生は、またとない慶事でございます故。  恐らく、臨月に近づけば近づくほど、民は王位継承に関心が向くでしょう」 そうだ―。  彗明の物言いは至当である。  例え男児が産まれても、満月の晩に生まれなければ御子に王位継承権はない。更に言えば、御子が新月の晩に生まれた場合、天雲と同じ数奇な運命を辿る。  宮廷としても、そのようなことは避けたいはずである。六華も偃月も、そのようなことは望んではいないはずだ。  二度と天雲と同じ運命を辿る者がおらぬように、国政を治めることが周易局ありきではないように。皓月は己が、君主の座を得ている間にその改革をやらなければならないと思案している。勿論、表向きは“太后の傀儡”として。  六華の懐妊の兆しで国や民が、王位継承の掟に注目する今が、改革に取り組む絶好の機会と皓月は捉えている。  彗明が口を開く。 「これで、この国の行く末は安泰でございましょう」  彗明の言葉に、皓月は眉を顰める。その反応を見た彗明が、はっとした表情を浮かべる。己の発言が、皓月の存在を否定するものだと気づいたのだろう。  彗明が陳謝し、弁解を述べる前に、皓月が口を開いた。 「安泰かどうかは、まだ分からぬ。第一、誠に六華妃が懐妊しているのかさえ奇聞や憶測ばかりで確証はない。  更に、世継ぎが産まれても、王位継承権がその世継ぎに渡ることが絶対ではない。君主に即位しても、暴君となれば国を混乱させる。  国の行く末など、誰にも分からぬ。私や周易局でさえも」  皓月の静かな声。  そもそも、何を持って“安泰”というのか……。  国が変われば、安泰の指標も変わるのでないか。皓月はそう思案する。   皓月としては、この身体と環境により、幼少の頃から存在を否定されることに関しては慣れている。彩雲が知れば「慣れるものではない」と、小言を言われそうなものだが。   「申し訳ございません」己の発言に、彗明は陳謝を述べる。 「いや。気にするな」皓月は軽い口調で返す。 「六華妃には悪いが、私はこの懐妊の兆しはまたとない機会だと思っている。周易局や王位継承に関する掟に、注目するこの期間に少しづつ手を加えるつもりだ」  皓月は彗明を真っ直ぐ見据え「彗明」と名を呼んだ。  視線と声音に、思わず彼の背が伸びる。 「なんなりとお申し付けください。王様」  普段は、詩歌管弦に明るく雅趣に富んだ一人の青年、といった風貌だが、こうして国政や国に関わることに関して、物言う際には国王としての威厳が垣間見える。 「手を加える前に、ひとつやらねばならぬことがある」 「件の皇子の件でございますね」  打てば響くように答える。皓月が頷き茶を啜る。 「弟は知っての通り、己が皇子だとは知らぬ。恐らく、夢にも思っていないだろう。だが、周易局や王位継承の掟に関して手を加えるならば、弟の協力が必要不可欠になる。  それにいつかは知らねばならぬ。己の数奇な運命を、出生の秘密を」 「件の皇子が、己を取り巻く事情を知らなければ、ことは進まぬと」  彗明の言葉に「そうだ」と頷く。更にこう続ける。 「弟はこの国の、王位継承に関する掟の象徴だ。  だが、いきなり宮廷に呼び出すような真似は避けたい。恐らく、警戒されるだけだろう」  人は誰しも、予期せぬ事態を警戒する生き物だ。何も知らぬ天雲を、いきなり宮廷に呼び出しなどすれば、警戒し例え真実を告げたとしても、耳を貸さぬだろう。  どうするべきか、皓月は腕を組みじっと思案する。 「こちらから手を回して、白陽様にお伝えいただく…というのは如何でございましょう。白陽様は養父であり、件の皇子の身の上をご存じではありませんか」  彗明の提案に、皓月は怪訝そうに眉を顰める。 「例え、養父が知っていたとしても、おいそれと話すと思うか。話せば、白陽は弟に今まで真実を誤魔化していた、と認めることになる。それだけではなく、宮廷(ここ)で起こっている王位争いに、本人の意思とは関係なく巻き込むことになる。  そのようなこと、白陽がすると思うか」  皓月の低い声。 確かにその通りだ―。  ぐうの音も出ない程の正論に、彗明は言葉に詰まる。 だが―。  彗明の胸中など、知らぬまま皓月はこう続ける。 「第一、養父は父上から、“出生の秘密を口外すれば、命はないと思え”と、緘口令を引かれていた。  王命を無視してまで、話すとは思えない」  皓月はゆるゆると頭を振った。  憂いた顔で茶を啜っていた皓月に、彗明は「王様」と声を掛ける。皓月は顔を上げる。その瞳には、強い意志が宿っていた。 なにをするつもりだ―?  彗明がこれから、言わんとしていることに見当が付かない。 「ならば、わたくしが件の皇子に、己の身の上をお話いたしましょう」  彗明が言い切る。 「そなたが何故?」皓月の問いに彗明は遠い目をする。 「確かにわたくしは、件の皇子とは無関係でございます。あえて言うなら、国の重鎮という立場上、件の皇子の身の上を存じている。それだけでございます。  ですが、王様や太后様、更に言えば白陽様がお話されるより、わたくしのような無関係な者から聞く方が良いかと思いまして。  わたくしは確かに、国の重鎮でございます。ですが、実際は影の薄い右丞。一介の官吏に過ぎません。恐らく、警戒されることはないかと」 「それ故、自分から憎まれ役を務めるのか」  彗明は鷹揚に頷く。 「左様にございます。  万が一、件の皇子が身分を戻し、宮廷でお暮しになっても、わたくしとは関わることはございませんでしょう。  王位継承の掟が改変され、件の皇子が君主に即位するようなことになれば尚更。国にとって、新たな君主が即位することは、即ち新たな時代が始まることと同意でございましょう。それ故、わたくしは新たな君主が即位した時点でお役御免」  彗明はここで言葉を切ると、自虐的に笑う。    その笑みを見、皓月は彗明が駒としての役割を全うするつもりなのだ、と理解する。  恐らく、己が左丞や右丞関係なく、政に関われる環境ならば、彗明はこうして自ら駒として動く必要はないのではないか、と皓月は思う。  周易局が政に干渉するが故に、左丞や右丞が思うように、国を治めることが難しい。  皓月としては、幾ら自ら望み、天雲の身の上を承知しているからといっても、それだけで憎まれ役を任せて良いのかと疑問が残る。だが、他に誰が適任かと問われると、即答できないことも事実。  彗明の立場上、これ以上の適任はないように思う。 「誠に良いのか?  弟だけではない、そなたは今この瞬間から母上や初虧をも、敵に回したことになる」  皓月は再度念を押す。敵に回すのはそれだけではない。恐らく宮廷や周易局を支持する、官吏や民をも敵に回すことになる。  そのようなことを、彗明が誠に承知するのか、些か疑問が残る。  皓月の胸中とは裏腹に、彗明はにこやかな表情のまま頭を振る。 「構いません。そのようなこと、承知の上にございます」  鷹揚に答える。  未だに、誠に良いのかと問いを重ねたくなるが、これだけ意志が固いのならば、皓月が口を挟む必要はない。己にそう言い聞かせ、皓月は天雲に伝える時期や方法は任せると、答えた。
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