確信

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確信

 快晴の空に、容赦のない日差しが照り付ける。蝉の声が嫌でも耳に付く。  連日続く酷暑の中、雲霓は六華の宮を訪れていた。    雲解が六華に懐妊の兆しがある、と密かに耳にしたのは黴雨の末期。丁度、火紗国から巫女が入国したのと同時期であった。  それから今日まで、誰にもこの件を口外せずじっと胸に留めてきた。だが、宮廷という特殊な場では、幾ら胸に留めていてもどこからか露見されてしまう。此度も例によって、黴雨が明け暫くしてから六華懐妊の兆しはまことしやかに囁かれ、今では女官や内官だけではなく、国の重鎮、更には国王までこの件を周知しているという。 「失礼いたします。宮廷医の雲霓にございます。  六華様、お脈を見せて頂いてもよろしいでしょうか」  二重に閉ざされた扉と、部屋を仕切る帳の奥にいる六華に、雲霓は帳越しに声を掛ける。  雲霓の背後には、出迎えた彼女の側仕えの女官と父親の初虧、更には夫である偃月が、固唾を呑んで雲霓とのやりとりを見守っている。  診察の結果次第で、この国の行く末が決まると言っても過言ではない。 「どうぞ」聞こえてきたのは、女性にしてはやや低い声。懐妊の兆しと聞き、雲霓は悪阻で寝込んでいるかと思案していたが、予想より覇気のある声が聞こえ安堵する。  雲霓は帳を潜り、奥に足を踏み入れる。その背後から女官らが続く。  六華は寝台の上で上半身のみを起こしている。。  猫のような吊り眼がちの瞳、雪華文様が刺繍された衣。見たところ普段と変わらないように思う。  相違点を上げるとすれば、襦裙の帯と若干緩く絞められ、髪もゆるく束ねたのみである。更には六華の纏う雰囲気が柔らかくなったように見受けられることだろうか。  襦裙の帯はお腹の子と六華自身を思って、女官が気を遣ったのかたまたまなのか、雲霓には予想が付かない。    六華の様子をじっと観察していた雲霓だが、我に返り跪き視線を下に落とす。宮廷医とはいえ所詮は内官と変わりはない。  男の象徴を持たぬ内官は卑しい存在―。これが、内官に対するどの国でも共通の認識だ。  その卑しい存在の己が、妃の顔を凝視するなどあってはならない事態である。 「どうぞ、お気になさらず。雲霓様は、わたくしの身体を診ることが職務なのですから。それに、貴方様をお呼びしたのはわたくしです。それ故、貴方様には何も非はないはず」  雲霓の様子を見た六華が、そっと口添えする。  六華は更にこう続ける。 「それにわたくしも謝らなければなりません。  このような状態で失礼いたします。どうにも、だるさと眠気が抜けず……。見ての通り、本調子ではございません」  恐らく、雲霓の診察に合わせて、女官の手を借り褻衣に着替え髪を束ねたのだろう。  だが幾ら、妃からそう口添えされても雲霓の立場が覆ることはない。   「六華様、お脈を拝見いたします」  跪き視線を下に落としたまま、雲霓はそう声を掛ける。六華は無言で衣の袖を捲り、手首を露わにさせる。 「失礼いたします」雲霓はそう断り、そっと手首に触れる。元々、大柄な体格ではないが、  脈を取る指から、ころころと鈴が転がるような感触が伝わってくる。 滑脈(かつみゃく)―。  一般的に、懐妊の兆しとして現れると言われている、脈が触れ雲霓は六華に気づかれぬように、ごくりと唾を呑み込む。  雲霓は息を吐くと、指を離し月のものの有無や体調の変化を具に、問診していく。    診察を終えた雲霓は、黙り込み機会を窺う。意を決して口を開く。 「脈診にて、滑脈が確認され、更に六華様との問診の結果」  雲霓は一旦言葉を切り、宮にいる自分以外の顔を順に見つめる。 「どうした。娘の腹には、子が宿っておるのかおらぬのか。はっきり申せ」  雲霓が口を噤んだことに、苛立ちを募らせた初虧が続きを急かす。 「失礼いたしました。  では、単刀直入に申し上げましょう。六華様のお腹には、偃月皇子とのお子が宿っております」 「間違いではあるまいな」初虧が念を押す。雲霓が頭を振った。 「滑脈が触れ、月のものが無く、更には倦怠感や眠気も出ております。故に間違いないかと存じます」  雲霓がそう言い切るのを聞き、初虧をはじめとした宮にいる者の表情が緩む。普段、あまり感情を表に出さない偃月までも、表情を緩めている様子を見ると、彼にとってもこの懐妊は余程のことなのだろう。 やっとだ―。 やっと、我が国も大国と並ぶことが出来る―。  弛緩した空気の中、初虧はひとりそう思案し気を引き締める。  娘が入内し四年。この四年で、懐妊の報せを願い一日千秋の思いで待っていた。 あとは、満月の晩に男児が誕生すれば、この国は安泰だろう―。  懐妊は終着点ではなく、通過点でしかない。要するに始まりなのだ。  六華が、世継ぎを満月の晩に出産すること。それが、この国の行く末を決める第一条件。 そのためには―。  初虧の頭の中には、黴雨の末期に入国した朱羅と名乗る巫女の顔が浮かぶ。 巫女ならば、手を貸すのではないか―?  巫女としてはあどけない、少女の顔を思い浮かべ初虧はひとり嗤った。  宮廷という場所は、話が回るのが早い。これは、皓月が常に実感していることである。どれだけ人が隠し立てを企てようとも、どこからか漏れてしまう。  此度の六華の懐妊の件もそうだ。  雲霓が六華の宮を訪ねてから、まだ三日ほどしか経っていない。にも拘わらず、宮廷では六華の懐妊が確固たるものになった、という話題で持ち切りである。  前回の懐妊は、まだ先王・盈月が存命だった頃、弟・偃月の時である。故に、国にとって十八年振りの慶事であった。  最も、民に懐妊が伝えられるのは、基本無事に出産を終えてからである。  天雲のように、伝えられない例も存在するが、通常皇子ならば出産からひと月後の満月の晩に、皇女ならば三日月の晩に、宮廷が天灯を飛ばすことが習わしとなっている。  この天灯で、民は世継ぎが産まれひと月無事に経過したこと、更に世継ぎの性別を知るのだ。  懐妊も出産も、終えるまで何かあるか分からない。天雲のように新月の晩に、生を受けることもあれば、満月の晩に生を受けたとしても、ひと月経たずに亡くなることもある。最悪、懐妊をしても子が流れることも絶対ないとは言い切れない。  故に、民への報せは慎重に慎重を重ね、出産からひと月という幅を取る。 此度の懐妊はどちらだろう―。  懐妊によって―。いや、世継ぎが皇子なのか皇女なのか、皇子ならば満月の晩に生を受けることが出来るのか。宮廷内では密かに緊張が生まれている。  雲霓が六華の懐妊にお墨付きを出してから数日後。  皓月が住まう宮に、思わぬ来客が現れた。 「王様」客人の対応をした彩雲が、徐に声を掛ける。皓月が視線で続きを諭す。 「王妃様が王様に拝謁したいと」  彩雲の言葉に、皓月は「彗天が?」と怪訝そうな顔をする。 何用だろう―。  夫婦なのだから、彗天が皓月の宮を訪ねることはなんの問題もない。ただ、皓月が怪訝そうな表情をしたのは、訪ねて来る時期がまるで六華の懐妊の報せを、待っていたかのように見受けられるからである。  と、同時に訪ねてきたのが彗天だということに、正直意外だなと思っている。この国の慶事を盾に、初虧や秀鈴あたりが退位云々を説得に来てもおかしくないと思案していた。 「中に通せ」皓月が短く言うと、彩雲がその場を後にする。暫く間が空き、彗天を伴って来た彩雲は「わたくしはこれで」と踵を返す。  宮の中には、皓月と彗天のふたりのみが残される。  連日の酷暑で、他の女官や内官は日に焼けているにも関わらず、彗天の肌は雪のように白い。まるで、夏の日差しなど一度も浴びたことがないようである。  彗天は皓月と几を挟み、向かい合わせに腰を下ろす。 「王様。ご機嫌麗しゅうございます。  ご気分いかがでしょうか」 「問題ない」皓月が微かに頷く。  暫く沈黙が満ちる。 「王様」先に口を開いたのは彗天である。 「六華妃の懐妊件お聞きいたしました」  彗天が口にした言葉に、皓月は気づかれぬように奥歯を噛み締める。 世継ぎが出来ぬことを、気にしているのは彗天だろうに―。  幾ら原因が皓月にあるとはいえ、彗天が気にしない訳がない。気にするなというのが、無理な話なのだ。    宮廷―。その中でも特に内廷は、嫌でも世継ぎの有無を実感させられる場だ。世継ぎが産まれなければ、王室を維持していくことが難しい。世継ぎの有無は、国の行く末にも関わる。  だからこそ、世継ぎが望めない彗天がこの宮廷に居るのは酷だろう、と皓月は思う。  彗天は積極的に本心を話す質ではない。時に毒を含んだ物言いもするが、普段は穏やかで皓月の背後で控え微笑んでいる。故に、彼女の本心を全て知っているか、と問われると皓月でさえも疑問が残る。   「聞いたのか」皓月は静かに問う。彗天はゆっくり頷き口を開く。 「今、宮廷内はその話題で持ちきりですもの。知らない方が、可笑しゅうございましょう?」  甘い声音で小首を傾げる。 「そなたは辛くはないのか。懐妊の話題など、耳に入れたくないだろうに」  皓月は憂いを帯びた声音で言うが、彗天はくすりと笑う。 「王様いえ、皓月様はわたくしを勘違いしていらっしゃいます」 「勘違い?」今一意味が分からず、怪訝な顔をする。 どういうことだ―? 「皓月様には、わたくしが世継ぎが出来ぬことを、憂いているとお思いでしょう。ですが、わたくしとしては寧ろ好都合だと思うておりますの」  にこやかに笑う。 「好都合……」思ってもいない言葉に、皓月はおうむ返しに呟く。 「えぇ。だって、世継ぎができ更には満月の晩に男児が誕生すれば、初虧様は黙っていないでしょう? 必ず、己の欲の為に世継ぎを利用すると思いませんこと?」 確かにそうかも知れない―。  彗天の言い分は至当である。 「故に、世継ぎが出来ぬ方が好都合だと」  皓月の問いに、彗天は「左様にございます」と冷たく返す。 「あんな、己の欲にしか興味がない方に、世継ぎを利用されるなど許して良いはずがございませんわ。今でさえ、わたくしも皓月様もあの方の手の上だというのに」  彗天が一度、言葉を切り息を吐く。 「第一、懐妊しても満月の晩に産気づくとは限りませんのに。自然に抗うようなこと、するべきではありませんわ。幾ら国の為、と言っても出来ることと出来ぬことがございますもの」  彗天の声音に微かに怒気が混じる。同じ女性だからこそ、初虧らの言動に怒りの矛先が向くのだろう。 「わたくしは世継ぎが出来ぬことで、初虧様がこれ以上わたくしたちに干渉しないことを考えれば好都合だと思うております」  彗天は手を伸ばし、皓月の手を取る。皓月は何事かと彗天の手が重ねられた、己の手と彗天の顔を交互に見る。口を開くより先に、彗天が口を開く。 「ですから皓月様。わたくしも貴方様も、これまで通り一日一日を確実にこの宮廷で生きて参りましょう。いや、生きていくしか術はないのですよ」  穏やかだが、強い意志が感じられる口調である。  彗天のことを普段は穏やかで大人しい人だと、皓月は認識している。だが、一国の王妃として、ただ穏やかで大人しい人柄だけでは心許ない。王妃には、ある程度の強さが必要なのだ。  彗天にとって、王妃としての強さは時折発する毒を含んだ物言いと、世継ぎが望めず初虧らから煙たがられようとも、どこ吹く風で気にする素振りを見せない態度だろう。 「あの方も周易局の官吏も、基本的なことを承知していらっしゃらない。  これでは、六華妃もこれからお辛いでしょうね」  去り際、彗天はそう憂いを帯びた声音でそう言い残し宮を後にした。
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