加勢

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加勢

 初虧が珀惺と、更には六華が彗天と対峙をした数日後。  珀惺の姿は皓月の宮にあった。  宮には彗天も居り、話に加わっている。  几の上には彩雲が尚食で貰って来た梨が、器に盛られ置かれている。 「では、初虧は件の巫女に協力を求めるつもりだと?」  珀惺から初虧とのやり取りを来た皓月は問う。答え待たず、シャクっと耳心地いい音を立て、梨を頬張る。  この時期が旬の水分をたっぷり含んだ、みずみずしく甘い梨は昔から皓月の好物である。  珀惺は「左様でございます」と答える。 「初虧様の言い分が、どこまで誠かわたくしには存じあげませんが」  珀惺はそう付け加える。 あの初虧に限って、出任せを口にするだろうか―?  梨を咀嚼しつつこれまでの初虧の言動を思い返し、皓月はそう思案する。  初虧は目的の為ならば、手段を択ばない人物だと認識している。  更に此度は、世継ぎに相応しい皇子が産まれるかどうかに、国の行く末が掛かっていると言っても過言ではない。故に、満月の晩に皇子が産まれるのならば、巫女に協力を求めても不思議ではないと皓月は思っている。  娘の六華も正当な皇子が産まれ、己が王妃に即位することを望んでいる。 父親ならば、娘の願いを何としても叶えたいと思うものではないだろうか―?  辺りに三人が梨を咀嚼する音のみが聞こえている。 「他国の巫女を、我が国の慶事に巻き込むなど、褒められたことではございません。ですが、他国の巫女を利用しようとお考えになるのは、初虧様らしいと思いませんこと?」  口を開いたのは彗天である。彼女の物言いは、初虧を褒めているのかそれとも貶しているのか、どちらとも取れるものである。 「確かにそうとも言えるかも知れぬな……」  皓月がひとりごちる。    己の欲の為に、自国ではなく他国の者を利用することは、褒められたことではない。だが、初虧ならやりかねない。  他国の者を利用すれば、己は万が一のことがあっても知らぬ存ぜぬで突き通すことが出来る。他国の者が口を割らなければ、の話だが。 「だが、国の慶事に他国を巻き込むなど感心せぬがな」  皓月が低い声で言う。 「故に王様は、件の皇子を次期君主に据えるべきだと?」  珀惺が問う。  皓月の周易局や弟に関する考えや、周易局に手を入れようとしていることは、既に珀惺にも伝えてある。  珀惺は秀鈴や初虧の前では、ふたりを支持するような言動を取る。しかし、その本心は彗明と同じく皓月側に付き、周易局と密接に繋がる政治体制、王位継承に関する掟に対し懐疑心を持っている。   「今は弟を次期君主にとまでは、考えておらぬ。だが、王位継承の掟が廃止された場合、珀惺と同じく懐疑心を持っている者は次期君主に弟を推挙するであろう」  温めの茶を啜り皓月は言う。 「王様」ふたりの会話を聞いていた彗天が不意に声を上げる。皓月は視線のみで、水を向ける。 「件の皇子は政では素人でございましょう? そのような皇子が即位したとしても、民や臣下らは君主とお認めになるでしょうか。  聞けば件の皇子は今、民として都の外れでなにも知らずに生活しているというではありませんか。そのような方が、皇子だの君主だのと真実を告げられ、おいそれと納得するものでしょうか。  わたくしが思うに、政の素人を君主に据えたとしても、摂政が後ろ盾してはこれまでの国政となんら変わりはないようにお見受けいたしますの。  わたくしは王妃で本来ならば、政や王位継承に口を挟むべきではないと承知しておりますわ。ですが、王様がこれからなさりたいことは、わたくしから見て筋違いに思えてならないのですよ」  彗天の瞳が皓月を捉える。その視線に思わず、皓月の背筋が伸びる。  熱弁する彗天の姿を見、皓月はやはり彼女は他人が思うより聡い人物だと思う。  彗天の話ではないが、王位である彼女に国政や王位継承に関する話を聞かせるべきではない。政は王妃の管轄ではない。それは、皓月も珀惺も承知している。  だが、これから皓月が手を加えようとしていることは、彗天も無関係とは言い切れない。それに、皓月の策が功を奏した場合、周易局や王位継承に関する掟の有無は、彗天にも関わることである。    皓月としては、何も言わずにことを進め、彗天に露見した後のことを考えると先に伝えておいた方が良い。露見したら甘い声音と毒を含んだ物言いで、どのような嫌味を言われるのか……。想像するだけで、寒気がし背筋が伸びる。  彗天に対して隠し立てなど通用しない。  皓月にとって彗天は、一番逆らいたくない相手であり、適わない相手なのだ。    彗天の言い分は至当である。  確かに、政治に関わりのない天雲を君主に据えて、摂政に政の実権を握らせるなど、今の皓月と立場は変わらない。  己があれだけ厭っている、初虧と同じやり方で国を治めようとしている。 あの古狸と同じやり方で、国を経世しようとしても、行く末は何も変わらない―。  彗天に言葉を返さない皓月に、珀惺が徐に口を開く。 「わたくしも我が娘と同じ考えにございます。  このまま、件の皇子を君主に据えても、周易局が政に関わる限り国政が変わることはない。わたくしはそう思案していおります」  珀惺の視線が皓月に向けられる。 「故に王様。件の皇子を君主に据えることと、周易局に手を加えることは切り離してお考えになっては如何でしょう」 「切り離す……」珀惺の言葉をおうむ返しする。  皓月の呟きに、「左様にございます」と頷く。 「まず、政の根幹を見直しては如何でしょう」 「王位継承の掟に手を付けるより、周易局の改革の方が先だと?」  珀惺が頷く。  恐らく、ここから計画の根幹にまつわる話になる。更に言えば、政に直結する話でもある。そのような話を彗天の耳に入れて良いのか―。  皓月は逡巡し、ちらりと彗天に視線を向ける。その視線に気づいたのか、彗天が口を開く。 「わたくしのことはお気遣いなく。人ではなく置物がいる、とお思いくださいな。  王様もお父様もどうぞ、お話を続けてください」  彗天が微笑む。  だがそう言われても、気にするなと言うのが無理な話なのだ。 「だが……」皓月の視線が彷徨う。 「王様。貴方様には、わたくしがここでの話を外に漏らすとお思いですの?  そのようなこと、するわけございませんでしょう?  仮にもわたくしは王妃です。ここで耳にした話は、墓場まで持って行きますわ」  甘い声音に微かに棘が混じる。  皓月もまさか彗天が、ここでの話を外に漏らすとは思っていない。だが、外で誰が聞き耳を立て、話の内容を利用し王妃の座から引きずり降ろそうと、良からぬことを考える輩がいないとは限らない。  それ故、慎重にことを進めるべきなのだ。  皓月がそう弁解する間もなく、彗天が憂えた表情をし珀惺を見る。 「お父様。わたくしはそこまで、信用がないのでしょうか」  演技か本心か分からない悲痛な声。  例え演技でも、姑がいる前で妻を泣かせたくない。本心ならば余計に。  「私も王妃が、話を漏らすなど考えてはおらぬ。だが宮廷内には、そなたを王妃の座がら引き摺り降ろそうと、企てている輩もいないとは言い切れない。  私はそなたを軽んじているわけでも、そなたを信用していなわけでもない」  皓月は静かに己の考えを述べる。 「ならば、ここで話を聞いていても構いませんこと?」  彗天の念押しに皓月は「そなたに任せる」と返す。  それまで口を挟まず、夫婦の会話を聞いていた珀惺が「では、話を戻しましょう」と水を向ける。 「王様がなさりたいことは、周易局の改革で間違いございませんか」  珀惺の念押しに、皓月が頷く。 「大まかなことは、右丞から聞いているであろう」  皓月の指摘に珀惺は「左様にございます」と答える。  皓月は一度息を吐き、こう続ける。 「周易局の権限を、狭めることができないか…そう思案している。  我が国において、周易局は必要不可欠な期間だ。だが、今の国政は周易局に頼りきっている。  それ故、“満月の晩に生まれた皇子のみを、王位継承者にする”、“新月の晩に生まれた皇子は王座を継げず、世間から存在を隠さなければならない”、などという訳の分からない掟が存在するのではないか、私はそう考えている」  王位継承の掟さえなければ、弟は今でも皇子として次期王位継承者として、生活できていたのではないか。  ないものねだりだとは理解している。しかし、今の周易局や国政を見る度、そう思案してならないのだ。 「では王様は周易局が、国政に関わらぬように改革を進めると?」  珀惺の言葉に皓月は頭を振る。 「全く関わらない、というのは無理な話であろう。故に、介入する範疇を狭めることはできないか…そう思案している」  周易局は国にとって、必要な機関だ。この機関が機能しているからこそ、これまで大きな乱世もなく平穏無事に経世することができている。 こんな、傀儡の王であっても―。  皓月は胸中で毒づく。 「周易局を完全になくすことは考えておらぬ。これまでの実績もだが、一番は周易局を失くせば現在登用している官吏らは、全員路頭に迷うことになる。それだけは、君主として避けねばならぬ。  官吏の中には、妻や子がいる者も多い」  皓月はそう口にしつつ、弟のことを思案する。  弟の養父は現在、周易局にて官吏として登用されている。義父には、弟より数か月早く生まれた愛娘がいるという。万が一、周易局がなくなれば白陽も職を失い、路頭に迷うことになる。  君主としても兄としても、そのようなことは避けなければならない。 「では、具体医的にはなにをなさるおつもりですの?」  じっと思案している皓月に、それまで話を聞くことに徹していた彗天が声を掛ける。 「それはまだ、算段を練っている最中だ」 置物とでも思ってくれ、と言ったのではなかったか―。  つい先ほどの彗天の言葉を思い返し、つい胸中で毒づいてしまう。本人相手には、口が裂けても言えることではないが。  気を取り直し、「ただ」と話しを続ける。 「弟に己の出生の秘密を折りを見て伝えるように、と右丞には指示を出している」  流石に珀惺や彗天も、この件に関しては寝耳に水だったらしく、ふたりとも呆けた顔をする。 「何故そのようなことを?  件の皇子には、宮廷に関わってはならないはずでは?」  珀惺が怪訝そうに問う。 「此度の周易局や王位継承の掟の改変において、弟の協力が不可欠だからだ。  まずは、弟が己の数奇な運命を出生の秘密を知る必要がある。知らぬまま、協力を求めたくはない」  静かに言い切る。  最も己の出生の秘密を知らず、協力などしないだろうと皓月は思う。 「件の皇子を、国政に利用するおもつりですか」  珀惺の声が尖る。だが、皓月は直ぐに「いや」と頭を振った。 「そのようなつもりはない。が、そのように見えても仕方があるまい」  確かに、皓月自身はそのつもりがなくても、周易局と王位継承に関する掟の改変に、弟の協力を仰ごうというのは、人によっては利用しているように映るかもしれない。  珀惺は静かに口を開く。 「わたくしは志を王様や右丞と同じく、周易局の在り方や王位継承に関する掟の必要性を、今一度考え直すべきだと思うております。  六華妃が懐妊され、お世継ぎに関心が高まっている今、時が満ちたのだと。  故に、王様が改革の為に件の皇子の協力が必要だ、と仰せになるのならばそれは誠でございましょう」  その言葉を聞き、皓月は意外だなと思う。  先程の珀惺の怪訝そうな物言いと、棘を含んだ声音から、てっきり皓月がやろうとしていることに、苦言を呈するだろうと思い込んでいた。 「良いのか。そなたはそれで」  皓月の念押しに珀惺は「勿論」と頷く。  珀惺は再度口を開き「ただ……」と言葉を濁す。 「わたくしはこの先、何をすれば良いのでしょう。  どう動けば王様のお力になれますでしょうか。  王様の仰せの通りにいたします。何なりとお申し付けください」  珀惺の言葉に、皓月は腕を組みじっと思案する。    これまで珀惺が皓月に直接、下命を乞うことはしてこなかったように思う。己の考えを持たず、常に秀鈴や初虧に同意のみであったと記憶している。  その珀惺が、下命を乞うているのだ。余程の覚悟があるのだろう。  皓月は暫し思案した後口を開く。 「では、今まで通り母上や初虧側について欲しい。勿論、そなたの意に反していることは承知している。  だが、これまでと違う動きをすれば、母上や初虧にこちらの企てを気づかれるかも知れぬ」 「要するに、目くらましをせよと仰せでございますか」  不満げな物言い。珀惺の問いに、皓月は「左様」と頷く。  珀惺としては、なにもするなと言われているようで不満だろう。だが、彼が不用意に動いて、初虧らにこちらの動きを悟られたくはない。これが抱月の考えである。  それは、珀惺を護ることは勿論、彗天を護ることにも繋がる。 「こちらの動きの目くらましをする者が必要なのだ。  此度の件では、そなたが目くらましに適任だと思っている。普段から、母上や初虧と行動を共にしているそなたなら目くらましも容易であろう。  己の感情を、否定するような真似をさせるようで悪いが」  皓月は珀惺の反応を窺う。  暫しの沈黙の後、珀惺が息を吐く。 「承知いたしました」  珀惺が内心どう思っているか、知る術はない。だが、承知をしたということは、内心がどうであれ皓月の行動に異議はないということだろう。  皓月が君主故、という理由もあるだろうが。  珀惺が職務のため宮を去ると、中には皓月と彗天のみが残る。 「皓月様。わたくし、貴方様にお話しせねばならないことがございますの」  唐突に声を掛けられ、皓月は怪訝そうな顔をする。そのような顔を見て、彗天が微かに肩を揺らす。 「別に、懺悔するわけではございませんわ。ただ、皓月様にはお伝えしておいた方が良いと判断いたしました」  彗天の物言いから、どうやら深刻な話ではないようで、皓月は胸を撫で下ろす。  彗天は一拍置くと再度口を開く。 「数日前、夜更けに六華妃と鉢合わせました。  六華妃の口振りから、やはり初虧様は懐妊や出産がどれ程のことか分かっていらっしゃらない、とお見受けいたしました。あれでは、六華妃もお辛いでしょうね」  彗天の憂いを帯びた声音。  皓月としては、会話の内容より彼女が六華と言葉を交わしたこと自体、聞き捨てならないことである。  皓月から見て、六華と彗天は互いに仲が良いようには思えない。勝ち気で野心的な六華と、穏やかで大人しい彗天。ふたりの性格は正反対であるが故に、互いに反発し合うのだろうと、皓月は思案している。  故に、彗天が六華に声を掛けたことも、六華がそれに答えたことも意外だと思っている。 「六華妃のお顔の色が優れないようにお見受けいたしました。  わたくしには無関係なことと、存じております。ですが、皓月様のお耳に入れておこうと」  憂いを帯びた声音のままそういうと、朗らかに笑う。 「わたくしの戯言でございます。どうか、お聞き捨て下さいませ」  そう口にし、彗天の宮を後にした。  “聞き捨てろ”と言われたが、今の話を珀惺や彗明に話すべきなのか―。皓月の胸中は揺れている。
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