最後の手紙

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最後の手紙

 念願の居住区外出権を取得したので、僕は生まれて初めて大地という場所に立つことができた。防護服に身を包み、最初の一歩を踏み出す。  ジャリと言う音が足元から聞こえる。居住区にある僕のアパアトメント近くにだって公園くらいある。子供の頃はよくそこで遊んだものだ。砂場や砂利道を裸足で駆けていた日々が懐かしい。  でも、大地にあるそれと公園にあるそれとは、似て非なるものだ。僕が興奮している所為でそう感じるだけだろうか。  太陽は中天からわずかに位置をずらし、午後の陽射しを地上に注いでいた。僕は防護服とひと繋がりになっているヘルメット越しに空を仰いだ。 「こちらです」  管理委員会の担当者に促され先へ進む。大地を踏みしめる度に、足の裏から不思議な感触が伝わってきた。これは絶対に公園や道路とは違う。防護服越しに感じるそれは、弾力はあるがクッション材ほど柔らかくない。居住区の人工砂よりも湿っている。独特な感触だ。 「わあ」  思わず声を上げてします。足で何度も大地を踏みつけている僕に、管理委員は淡々と言った。 「遊んでいないで先に進みますよ」 「はい。すみません」  管理委員のスクエアな声がスピーカーから聞こえた。彼は僕と同じ防護服姿で少し前を歩いて行った。周りのものには目もくれない。慣れた様子で先を目指す。僕は慌てて彼の後を追った。 「あそこは工場地区、向こうは育成地区。あの鉄塔は管理塔です」 「居住区にある管理塔とは違うんですか」 「はい。あれは大地や大気の成分や変化を観測するためのものです」 「大きいですね」 「星全体を観測していますから」 「全体」  僕は空高くそびえ立つそれを見上げてため息をついた。真っ黒なそれは、細長い三角形の身体にいくつものライトを身につけている。赤や黄色の光が規則的に明滅を繰り返している。先端には数個のパラボラアンテナも設置されていた。 「先を急ぎたいのですが」 「すみません」  管理委員の咳払いで僕は目が覚めた。彼に向かって頭を下げたが、ヘルメットの奥にある表情は伺えなかった。  管理塔にもメンテナンスをする人間が必要だった。しかし、その職に就くには、世界三大難関試験と呼ばれる試験をパスしなくてはならない。居住区にある管理塔ですら難しいのだ。では、星を観測しているというあの管理塔になど、どうやったら入れるのだろう。  想像の範囲を出ることの無い考えに浸りながら、僕は黙々と歩いた。すると管理委員が立ち止り、振り返った。 「研究地区です」  白で統一された長方形の建物だ。僕は今まで以上に呆然とした。  子供の頃から夢に見ていた場所に立っているのだから。  管理委員は僕を促さない。彼の目的は僕をここまで連れてくることなのだ。 「ここでしばらく待っていてください。入所手続きをしてきますから」 「はい」 「建物周辺くらいだったら見てきてもかまわないですよ」 「本当ですか」 「手続きには30分くらいかかります。あなたがここでじっとしているとは思えません。だから先に言っておきます」 「いやあ、ははは」  顔が熱い。しかし、散歩を許可してくれたことは、管理委員なりの気遣いなのだろう。僕は彼の言葉に少しだけ気まずくなったが、気分は悪くない。いや、むしろ嬉しさで胸がいっぱいになった。 「ありがとうございます」  そう言いながら頭を下げる僕に、管理委員は手を振って答えた。それから注意事項を言った。スクエアな声で。  周囲はあくまで眺めるだけにすること、機械や資材には絶対に触れないこと。GPSで位置を把握しているとはいえ、遠くには行かないこと、30分後にはこの入口に戻っているように、万が一の場合は緊急呼び出しボタンを使うように、などなど。 「わかりました」 「では、また後で」  管理委員は研究地区の中に去って行った。彼がカードリーダーをスリットに差し込むと、スライド式のドアが開き、眩しい光が建物内から溢れた。  間もなく僕も入る事ができるあの場所が神々しく見えた。  あの中に入るためには、半年間の実地研修と2回のテストと、適正検査をパスしないとならないが。  研究地区への就職は難関だ。考えるだけで憂鬱になる。でも、それ以上にこの場所で働きたいという意欲が、僕の心を掻き立てるのだった。  僕は建物の周囲を歩きながら、辺りの景色を見て回った。
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