1(sideノア)

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  ノアは目を細めて、自らの婚約者の背中を見送った。先ほどまで、きらびやかで甘い香りのするお菓子を挟んで座っていた。ただあの瞬間が夢のようであった。   ノアにできた婚約者は、セオドア=ド=ゼルジュ。この軍事力の高い帝国の第2皇子である。彼の青色の瞳はガラス細工のように繊細な美しさを持つ。その周りを縁取る長い金色のまつげ、同じく金色のゆるいウェーブがかかった髪の毛。まさに物語の王子様のような容姿で、皆が憧れる麗人そのものだ。   低く艶めいた声で、話す内容は取り留めのないものばかりであった。ノアはただそれを聞いて、頷いていた。セオドアに対して特別な感情を抱いているわけではないが、何事に対しても一途な性格は好感が持てた。   セオドアと共にあるにはそれだけで十分だと思った。ただ時々、こうして紅茶を飲むだけで自分の心の何かが満たされる気がしたのだった。   遠のき、やがて見えなくなった背中にそんな期待を寄せながら、ノアはセオドアが消えた道とは反対の方向へ帰って行った。   ――「ノア=ペストリー、お前はただ責務を果たせばよい。この帝国の安寧のために」   彼によく似た声が、ノアの頭の中で反芻していた。      ***   翌日、ノアのもとに早速衣装採寸の針子がやってきた。珍しいことに伯爵家の次男だという彼は、貴族らしい優雅さを持ち合わせていた。それでいて柔らかい印象を受けたのは、やはり爵位のしがらみから外れた職をしているからかもしれない。   「私室に通していただいたのですが、問題なかったでしょうか」   「えぇ、大丈夫です」   私室の机の上で読んでいた手紙をしまい、ノアは顔を上げた。組んでいた長い足をほどき、すらりと立ち上がる。   「初めまして、デイビッドです。恐れ多くもペストリー様の婚姻の衣装を担当させていただきます」   デイビッドは伯爵家の血筋ではあるものの、自ら家族との縁を切っているため家名は名乗らないようだった。その事情も理解し、ノアは頷いた。   「私のことはノアと呼んで下さい。無理に友人になりたいとは言いません。ただ、名前で呼んでほしい。それだけです」   デイビッドはにかっと笑う。先ほどまでの貴族らしい振る舞いからは遠い、平民のような笑い方だった。それが彼の素なのだろうと理解する。   「分かりました。ノア様も俺に気を遣うことはありません」   「ありがとうございます。僕と話してくれる人を探していたんです」   ノアは静かに息を吐いて力を抜いた。     
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