愛しい

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  「ただいまー」 「ああ、おかえりなさい……」  人をなんだかヤバいところに叩き落していったことも知らず、先輩は、のどかな声で言いながら帰ってきた。  何気なく振り返ったのだけれど。  なんだかほこほこ、濡れた髪をタオルで拭きながら、めちゃくちゃ可愛い感じで、無防備に立ってる。  ……無防備っていうのも、オレから見たらそう見えるってだけで、先輩はただ普通にしてるだけで、何も悪くないことは分かっているんだけれど。 「三上、お水もらっていい?」 「水……冷蔵庫に、ペットボトル、入ってます」 「んー、ありがと」  冷蔵庫の前に移動して、ペットボトルを手に振り返る。 「シャワー浴びたらごはん、用意するんで、待っててくださいね」 「うん。何かしとく?」 「すぐできるんで、良いです。あっためるだけだし。ドライヤーしといて?」 「うん。分かった。いってらっしゃい」  いってらっしゃい――――……。  その言葉をなんだか考えながら、バスルームに向かう。  会社でもよく使う言葉なんだけど。  外回りとかに出る時とか、色々。  でもなんか家で、シャワーを浴びに行く時に、言われるとか。  同じ言葉なのに、全然違う。  って、オレはこんな言葉一つで、何をめちゃくちゃ萌えてるのか。  なんかほんとに……誰かと恋愛するの、初めてみたいな自分にちょっと呆れる。  ――――……ざっと洗って、速攻出ていくと。 「えっ、早や、三上」  ちょうどドライヤーが終わったのか、ほこほこした髪の毛の先輩に迎えられる。 「ちゃんと洗った?」  クスクス笑いながら、近寄ってきて、見上げられる。  あーもう……。 「――――……」  そっと頬に触れて、口づける。  正直、こんなキスで我慢してる自分を、本当に、心から、ほめてやりたい。 「――――……」  何とか頑張って、意志の力で唇を離すと。  先輩は、オレを見上げて、至近距離で、ふわりと微笑む。 「……なんか、あれだよね」 「……あれって?」 「――――……昨日、なんか……寂しかったよね?」 「――――……」  ……わざと言ってんのかな……。  もうなんか――――……何言われても、可愛いしか出てこないし。 「……つか、三上は、寂しくなかった??」  オレの沈黙を、まったく別の方向で受け取るこの人は。  ――――……全然オレの気持ちなんか、まったく分かってないんだろうなと、もう、脱力感しか、浮かんでこない。  わざとな訳ないか……。  なんだかおかしくなって、逆に少し落ち着いた。 「……寂しかったですよ、たぶん、陽斗さんの何倍も」  そう言って、すり、と頬を撫でてから、いったん離れて、オレは食事の準備を始めた。 「陽斗さん、少しは飲みますか?」 「……んー。オレは、いいや」 「じゃあお茶にしましょうか」 「うん」  オレからお茶のペットボトルを受け取って、コップに注いでから、こっちを見る。 「なんで、オレの何倍も、とか言う訳?」 「え?」 「さっき、言ったろ、オレの何倍もって」  なんだか、むー、という顔で、オレを見てくる。  ……何でって言われても。  ――――……オレ、マジでめちゃくちゃ寂しかったし?  そう思っていると。 「オレが先に言ったんじゃん、寂しかったって」  むむむ、という顔で、ちょっと睨まれる。  ……つか。可愛いにも程があるんだよ。  いい加減にしてくれないかな……。  寂しいとかで、競われるとか。確かにオレが、「オレの方が」なんて言ったのがいけないのかもしれないけど。でも、そんな風に、ムッとされると。  ……そんなに、寂しかったのかなと。  思っちまうし。 (2022/9/9)
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