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後髪を女中の多喜に櫛でとかれながら、珠緒は正面の鏡に目をやった。
そこには目が大きく唇の赤い、憂鬱ゆううつそうな顔が映っている。
化粧をしても幼さのある、この顔が嫌いだ。見ているのが嫌になって、手元に目をやった。
『露都に食料暴動起こる 形勢重大化』
『あわや大惨事 往来で自動車眞ツ逆様』
窓ガラスを拭くために誰かが持ち込み、不覚にも忘れて行ったらしい新聞紙に、物騒な文言が踊っている。
「恐ろしい話ね」
「恐ろしい話でございますよ」
「多喜も、そう思う?」
珠緒は鏡越しに多喜の顔を見つめた。
「露国はどうなってしまうのかしら。帝都も、最近は不穏な話題が多い気がするわ」
返ってきたのは呆あきれ交まじりの言葉だ。
「そちらの話ではございません。珠緒様がそういった話題に興味を示すことが恐ろしいのです」
「世情を知ることが、どうして恐ろしいの」
多喜は珠緒が『わずらわしい』と思ったのを感じ取ったのか、声を高たかくした。
「珠緒様の為ために申し上げているのです」
珠緒はため息をつく。
多喜の『珠緒様のための申し上げ』が始まってしまった。
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