おやすみなさい。また会えると、信じながら

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おやすみなさい。また会えると、信じながら

 これは日本ではない、海の向こうのお話。  レンガ作りの夜の街。大人たちが行き交う流れに従い、ウェーブがかった赤毛が夜風に揺れている。あどけない声の高さを隠しきれない息を弾ませ、一人の少女は、そのそばかすのある幼い顔には似合わない、雑な化粧をその顔に施している。  厚いファンデーション、酔っ払いのように赤く塗られたチーク、派手すぎる口紅――夜の店の夜の光に照らされ、彼女の顔に気付いた大人たちがぎょっと引いて彼女を振り返る。そんな大人たちの目線に気づかず、少女は肩で風を切って歩いていた。  ふと、バーに目を留めてぴたりと止まる少女。着飾った大人の女性が彼女の目の前でそこに入っていったのに着いていき、さりげなく入店しようとした。 「おい」  落ち着きのある声が近くでしたかと思うと、それ以上前に進めなくなった。少女が声の主を振り返ると、目が合った。  少女の肩を掴んでいる彼は彼女の顔を見て大きく肩を跳ねさせ、変な声を短く上げた。 「……この国では、今日はハロウィンか?」 「……は?」  彼の言っている意味がわからず、強気な態度で「何いってんのあんた?」と青い目を瞬かせ聞き返す少女。  力でやや乱暴に自分の手を振り払い逃れた少女に、彼は小首を傾げた。 「その酷い化粧は、自分でやったのか」 「……酷くて悪かったわね」 「お前は、どう見ても子供だろう。保護者はどうした」 「うるさいわね! あんただって子供でしょ!」  彼女を引き留めた主である彼も、声や佇まいは歳のわりに落ち着いてはいるが、風貌からして歳が近く見える。  しかし少年は少女の怒りに付き合わず、「どうみても酒を飲んでいい歳ではないだろうに」と肩をすくめた。 「旅行者か? 親の目を盗んでホテルから抜け出してきたのか?」 「ほっといて!」 「それならホテルまで送ってやる」 「余計なお世話!」  そう言ってまたバーに入ろうとする少女だが、再び腕を掴まれ引き留められる。 「すぐに見破られてつまみ出されるぞ」 「じゃあほっとけばいいでしょ!」 「ここは治安が良くない。バーでたちの悪いやつらに目をつけられ後でもつけられたら厄介だ」 「平気よ。怖くないし」 「この近くで女児を狙った事件が最近あったらしい。犯人はまだ捕まっていないそうだ」 「だから何よ!?」 「……馬鹿なのか? お前は」  何故か腕を組んでふんぞり返り偉そうな少女に、呆れた顔になる少年。 「怖いだの怖くないだの、そういう話ではないだろう」 「別に。なにかあったらなにかあったで、別に変わんないし」 「……変わらない、とはなんだ?」 「どうせ、病気で死ぬんだから」  偉そうなのは変わらないが、大きな感情を無理矢理抑えこんだような響きが彼女の語尾にわずかに宿る。  少年が少し瞳を開き、なにかを感じ取ったような顔をした隙、少女は早足でバーに近づく。  そして扉に触れようとした直前、頭に痛烈な衝撃が走って、少女は頭を両手で抑えてうずくまった。 「……少しそこで待っていろ」  涼しい顔で少女の後頭部にチョップを食らわせた少年は、「入れるようにしてやる」と言い残して、痛みを堪えている少女から一度離れた。  頭から痛みがひいて、その後少し待った少女のもとに少年はすぐに帰って来た。二本の瓶を片手に現れ、あとは少年にどこか変わった様子はない。 「入れるようにするって……」  少年が少女から離れ行ってきたのは、バーの扉の方向とは逆だ。とてもマスターと話をつけにいった様子ではないのに、どういうことだろうかと少女が(いぶか)しんで見守る中、なんと少年はそのままバーの扉を開けて入っていく。  驚き、慌てて少年についていこうとすると、自然な様子で少年は少女の手を取ってバーの奥に入っていった。 「いらっしゃい」  大人たちに怒鳴られるのではないかと少女は冷や冷やしたが、店員が目配せして笑って挨拶する。  周りの客の大人たちも、自分たちをちらりと見やっただけで二人を咎めなかった。  テーブル席に優雅に腰かけた連れの少年に、少女は先程の威勢はどこへやら、どぎまぎしながら少年の相席に座る。  場違いな大人たちの空気に縮こまり、緊張を全面に出してキョロキョロ辺りに瞳を巡らせた。  そんな少女とは逆に、注文を聞きにやってきた店員に少年は大人びた笑顔で応えている。  店員が去ったあと、少女は異様な雰囲気にややびくびくしながら、「どういうこと……?」とテーブルに身を乗り出し少年に聞いた。 「なんで、誰もなにも言わないの……? 怒られたりとか……」 「ああ。魔法をかけた」 「……は……?」  平然と、ふざけた態度もなく言ってのけた少年に、少女は呆気にとられて目を丸くする。  少年は足を組み、イタズラっぽい子供の顔と、大人びた顔の混ざった、複雑だがどこか品のある表情でにやりと笑んで、更に非現実的な言葉を重ねた。 「俺はインキュバスだからな」 「……イン――?」 「悪魔の一種だ。酒場にいる人間を騙すことなど容易い」 「……は……??」 「ただし、俺たちが飲むのはオレンジジュースのみだ。酒場の雰囲気だけを味わえ。未成年への酒の提供は店側の問題になるからな。  さっき俺が頼んだ酒は、適当に隣のテーブルにくれてやる。無論俺の奢りでな」  少女の頭が理解にたどり着いてくれるまで、それから十分以上かかった。  あれから少女は酒場から何事もなく少年に送り届けられ、娘が消えていることに気付いてパニックになっていた少女の両親の安堵の悲鳴の中、帰宅を果たした。  帰路を辿る間、少女は少年にぽつり、ぽつりと自分のことを話した。  最近、病院で検査を受けたこと。残り少ない余命を、少女がいない場所で両親が医者から言い渡されたこと。二日前トイレで用を足すためにたまたま起きたとき、両親が自分の病気について話していたこと。  いつ絶えるかわからない命なら、大人にならなければできないことを今のうちにしようと考えたこと――。  悪魔を名乗った少年は、絵本に出てくる悪魔のように少女を嘲笑ったりなどしなかった。  ただ相槌を打つだけで、最後には「そうか」とだけ言い、それきり口を閉ざしたのだった。
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