おやすみなさい。また会えると、信じながら

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「彼が遊びに来てくれたわよ」  扉をノックして少女の部屋に顔を覗かせる少女の母親。  あの酒場の日から、あの悪魔の少年は少女のもとに現れるようになった。  初めての少女の家への訪問には、少年はメイク道具を土産に持ってきた。  滑らかな少女の肌が荒れないようにと気遣われた上質なブランド品が新品で少女の部屋に並べられているのを母親が引き気味で見つめるなか、慣れた手つきで悪魔の少年は少女の顔に正しいやりかたでメイクを施した。  それから少女好みのアイシャドウを一緒に選びに行ったのを皮切りに、悪魔の少年は不定期ではあるが、少女のもとへ会いに来るようになったのだ。 「あんたって、本当に悪魔なの?」  出会ってから二ヶ月後。部屋で雑誌を見つめ、流行りのメイクの研究をしながら、少女はふと別の少女の雑誌を興味深そうに眺めているインキュバスに問いかける。 「何故そんなことを聞く?」 「だって、悪魔ってもっと意地悪なんじゃないの?」 「人の欲を利用するのが悪魔だからな」 「……悪魔だっていう証拠は?」  少女がちょっとした意地悪のつもりで軽く聞いたのに、少年は無言で雑誌のページを捲る。  代わりにバサリと音をたてて、少年の背中から黒い羽が片方生え、広がった。 「えっ……!?」 「おしまい」 「ちょ、まって! 本物なのそれ!? もう一回! ちゃんと見せて!!」 「駄目だ」  一瞬だけ見せられ仕舞われた少年の悪魔の羽をもう一度見たいとはしゃぐ少女を、少年は「見世物じゃない」と軽く睨んだ。  それから雑誌を教科書にピンクのアイシャドウを瞼に乗せ、お洒落を終えた三十分後。  集中し終えた少女は鏡越しに背後にいる少年を見、少し悩みはしたが、結局、気になり始めていたことを率直に聞くことにした。 「……人の欲を利用するって、私のことも利用するの?」  と。  しかし少年はあっさり否定し、「仕事の合間の暇潰しだな」と、そう答えた。 「仕事? 悪魔に仕事なんてあるの?」 「あるさ。とても大事な仕事だ」 「どんな?」 「子供を作る。俺たちインキュバスは、人間を利用しないと子孫を残せないからな」 「……子供……」 「健康な女しか狙わん。まず、お前みたいな子供にそういう気さえ起きないから安心しろ」 「……」  はっきり言ってのけた悪魔に少女は無言になり、今度は彼女が少年を睨んだ。  初めて少年と少女が出会ってから、更に三ヶ月が経とうとしていた頃。  悪魔の少年が少女のもとを訪れたとき彼らが出会った場所は、いつものような昼間の少女の家ではなかった。  発作を起こした少女が運ばれた、病院の個室。どこで知ったか、深夜の闇に紛れて悪魔の少年が窓を軽くノックすれば、寝付けない少女がすぐに窓を開けて彼を迎え入れる。  余命を言い渡された日にちよりも随分浅いのに、突然少女を襲った目に見えぬ脅威――。  孤独な病室に、そばかすの乗った頬を真っ白に青ざめさせて、少女は何も言わぬまま悪魔の少年の胸にすがる。事情を少女の親から知らされた少年は黙ってそれを受け入れ、少女を優しく抱き締めた。  少女はひとしきり静かに泣いた後、 「……私を愛して」  かすれた声で懇願した。 「子供が欲しいわ」  しかし少年は、「駄目だ」と芯のある声で拒んだ。 「どうして?」 「お前は、まだ生きられる」 「本当に?」 「……」 「本当に……??」  二度聞いた少女に、悪魔の少年は沈黙を続けた。 「現実で産むより、夢の中で産むほうが負担が少ないって……そう言ったじゃない……!」 「負担がないわけではない。体力を大きく消耗する。それがどう影響するか――」 「……大人になる前に、死んじゃうかもしれないのに?  それなら、できることをたくさん経験してから、死んじゃったほうがいい……」  すると悪魔の少年は少女の両肩に両手を置き、一度自分から引き離す。いつも甘やかな少年の琥珀色の瞳が赤く輝いた瞬間、真正面からその双眸(そうぼう)を見つめた少女は、糸が切れたマリオネットのように、意識を手放し深い眠りに落ちた。  すぐに少女は無事に退院を果たし、それからは発作が嘘のように、少女の身体は順調だった。  が――病院から帰ってきた後の彼女の世界は、発作が起こる前に見えていた世界とは、違って見えた。なにかを悟ったような大人の目で、少女は自分の世界を他人事のように見つめていた。
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