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駅のホームで電車を待つ。空いていたベンチに座り、彼は自分の手に視線を落とした。
痛くないよ、と彼は微笑むが、処方されたての錠剤を隠れるように飲んでいたのを、ゆすらは見ている。あのタイミングで飲む薬は、鎮痛剤くらいしか思いつかない。
「救急外来で処置してもらった後、ここってゆっちゃんの病院じゃないかなと思って、たまたまゴシップ好きそうな看護師達が騒いでいたから、病棟まで尾行してしまった。そうしたら、案の定」
「ごめんなさい」
「ゆっちゃんが謝ることじゃない。俺は」
長くて綺麗な指が、ゆすらの顔に触れる。壊れ物を扱うように優しく、あごを上げる。
「これからも、ゆっちゃんの王子様でいたい」
至近距離で見つめられ、ゆすらは自分の心臓が早鐘を打つのがわかった。
「俺はさしずめ、赤い実を食べて赤くなった鳥。きみは、赤い実のユスラウメ。悔しいな。きみは関わる人みんなに影響を与えて変えてしまう。俺だけのゆすらでいてほしいのに」
顔が近い!
公衆の面前!
口説くな!
叫びたいことは山ほどあるが、どれも口に出すことができない。
「ちっちゃい頃のゆっちゃんが、天使みたいで可愛くて好きだった。でも、白衣の天使のゆっちゃんは、もっともっと好き」
電車がホームに来る。吐き出されるように下車する人と乗り込む人が行き交うのに、彼はベンチから離れる気がない。そうこうするうちに、電車がホームを出てしまった。
多分、何か言わないと次の電車にも乗れなくなってしまう。
「私こそ、あぐちゃんのこと」
言葉を選んでも、それしか出てこない。何を言っても薄っぺらくなってしまう気がする。
ふわふわと、ほろほろと。
優しい気持ちが湧き出して、緊張から解放された。それと同時に、疲れを思い出して眠くなってくる。
「次の電車まで、寝ていなさい」
彼はゆすらの肩を抱き、ささやいた。
「おやすみなさい、ゆっちゃん」
ふわふわと、ほろほろと。
昔のような優しい時間。幸せな時間。
ゆすらは、これから訪れるかもしれない幸せを想像し、つかの間のまどろみに身を委ねた。
【「赤い実の幸せなまどろみ」完】
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