銀河鉄道は永遠に

1/1
前へ
/6ページ
次へ

銀河鉄道は永遠に

 暫く湯に浸ければ足首はぽかぽかと温かく、そして僅かに痒みが生じる。まるで生きている時と同じような感覚に、私は争いが起きる前の平和な日々を思い出し、懐かしむと共に少しだけ胸を苦しくさせた。  車掌はといえばとっくにギブアップをして、赤くなったつま先を冷ましているところだ。 「やっぱり人間の姿になっても、温泉は無理なのかなぁ」  ふーふーとつま先に息を吹きかけている車掌の姿は、さながら前足の手入れをしているといったところか。その光景に、ほっと胸が解ける。  あの日々はもう戻らない。戻る家も、その家のあった国も、その国のあった星すらも失くなってしまった。  いつか再び戻れる日は来るのだろうか。この旅を終えて、生まれ変わることは出来るのだろうか。 「銀河鉄道に終わりが来るかどうかは誰にも分かりません。気紛れに乗客の前へ現れ、終わりの見えない旅をするだけ。未練を残した者を共にして」  車掌はそう言って瞳を細めた。 「そうか」 「それまでは、俺と一緒にのんびり途中下車の旅しましょ」 「よろしく頼むよ」 「ところで、駅名は決まりましたか?」 「ああ、決めたよ。すいせい駅だ」 「すいせい」  愛猫の名は、翠星(すいせい)と言った。雨の夜、踏切のたもとでミャーミャー泣いているところに通りがかったのが、彼との出会いであった。  エメラルド色の瞳で私を見上げたあの子は、私の手の中に収まるとミャと小さく鳴いて身体を丸めた。人見知りのしない子だった。  雨は止み空には星が瞬き始め、それを見た私は、あの子に翠星と名付けたのだ。 「さて車掌。十分にリフレッシュが出来た。次の行き先はどこだろうか」 「どこへなりと。次はぜひ、お客さんの行ってみたいところへ」 「私の行きたいところか」 「次は運転体験ですよ」 「やっぱり怖いなぁ」 「大丈夫ですって」  車掌に背中を押されながら列車に乗り込むと、私は再び宇宙空間へと誘われた。  ここまで書いて、私はテキスト入力専用のデジタルメモを閉じる。処刑された最後の瞬間まで、私の胸ポケットで何とか持ち応えてくれた大事な執筆ツールだ。  もう物語を書いたところで読者は誰も居ないのだが、書くということは私という精神を保つためのオーガナイザーなのかもしれない。  ふと見ると、寝台の上に小さく丸まるようにして車掌が寝こけている。私の運転があまりに下手過ぎて慌てた彼は、自動運転装置のあちこちを弄ったり、どこかへ連絡をしたりして、先程まで大忙しだった。余程疲れたと見える。  だから止めておいた方が良いと言ったのに。機械オンチな私は、これで運転手になる夢を諦めたのだ。  彼はすうすうとよく寝ている。寝子とはよく言ったものだ。人間の姿になったのだから、もっと伸び伸びと寝ればいいものを。  私はデジタルメモを胸ポケットへと仕舞うと、車掌に毛布をそっと掛けてやった。さて私も少し眠るとするか。  銀河鉄道での眠りは、夢から醒めた夢を意味する。  夢の中へ誘われている間、私の肉体は、積み上げられた屍の一体へ戻っていることを私は知っている。翠星もまた、主を失った家で、首をもがれた哀れな骸を晒しているのであろう。  私と愛猫を乗せたこの銀河鉄道は、戻る星を失った私達の棺桶だ。いつ終わるとも知れない果てしない夢の繰り返し。  目を覚ませば旅は続く。車掌の作る朝食に舌鼓を打ち、今日はどんな駅に停まるのか胸をときめかせ、その日経験した物語を綴り、あの頃の思い出を語り合う。そしてまた目を閉じれば、朽ちた骨へ戻る。  一人と一匹の骨を乗せた銀河鉄道の終着駅は、この暗い宇宙の果ての何処なのだろう。私は車窓の向こうへ目を凝らした。そこには、ただ暗闇しかない。      終
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加