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銀河鉄道で足湯をご一緒に
私は車掌に手を引かれ、連結デッキへと向かった。列車が完全に動きを止めるまで窓の外を窺い見るも、真っ暗闇で何も見えない。当然のことながら、外は宇宙だからだ。
──宇宙。
「車掌」
「はい」
「外に出れば宇宙なんだよな」
「そうですね、めっちゃ宇宙です」
「息が出来ないんじゃないか?」
「い? き?」
何を言ってるのかな? という目つきで見られた。そこでようやく私は我に返る。そうだ。息も何ももう死んでいるのだから、酸素など関係ないのであった。
この銀河鉄道に乗ってからというもの、あの時息絶えたとは思えないこの何というか癒しの空気に私は包まれている。
その空気感に私は覚えがあった。執筆に煮詰まった時、よく愛猫の仕草に慰められていた。あの時とよく似た感じ。
愛猫は、エメラルド色の瞳を悪戯っぽく光らせ大きく伸びをすると、パソコンのキーボードにどっかりと寝そべっては、私の手を止めさせた。
普段は呼んでも来やしないくせに、そういう時だけ指に顔を擦り付けて来たり、キーボードの上を行ったり来たりして、不可解な文章をディスプレイに作り出し、私を笑わせてくれたものだった。
あの子が、どういう経緯で銀河鉄道の車掌として生まれ変わったのかは定かではないが、もし神様とやらがこの広い宇宙の何処かにいるのであれば、一体何のために再び私の元へ遣わしてくれたのか。
理不尽な争いで命を落とした、気の毒な物書きと愛猫を憐れんでくれたのか。それとも、小さな命すら守れなかった私に、この果てしない永遠を漂う罰を下されたのか。
「まぁまぁそう深く考えないで。はい、では降りてみましょう」
ガタンと大きく車体を揺らして、列車は完全に止まった。軽快なステップで車両の段差を跳ねるように降りると、車掌はうやうやしく私へと手を差し伸べる。
「さあ、どうぞ」
物語の主人公にでもなった心持ちで、私は駅のホームに降り立った。
確かにホームの真ん中には、足を湯に浸けることの出来るベンチが設置されていた。乗客の疲れを癒すのにちょうど良い休憩処となっている。そもそも私の他に乗客がいるのかどうかは知らないが。
「ここは何という駅名だい?」
「お好きな駅名でどうぞ」
「お好きな、って」
「他の乗客の方には、きっと違った駅をご案内してると思いますよ。趣向もその時々で違うらしいです。ある乗客には花壇、ある方には映画のワンシーン」
「映画?」
「何でもレンガ造りの大きな駅になってて、九と何分の何番線とかって」
「ああなるほど」
「その方、大喜びでカートを押して走り出したんですって」
「うんそうだね」
「で、お客さんの場合は足湯なのです」
「どうして足湯なんだろう」
「んー本当は温泉が良かったんですけどね。駅で素っ裸になるわけにもいかないでしょ。だから足湯がいいかなって」
まるで車掌が作り出したかのような言いぶりである。まあ、今までの曖昧模糊な色々を思えば、そんな状況も不思議ではない。そもそも銀河鉄道の切符を手にしたところから、不思議は始まっているのだから。
敢えて疑問を口にするならば、どうして車掌は、私が温泉好きだということを知っていたのだろうか。
久しぶりの湯に心をほんのり躍らせつつ靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾を捲ってそうっとつま先をさし入れ、適度な温度であることを確かめながら、車掌の方を見る。
この子は、「圧倒的お風呂嫌い」なのだ。
「どうしてお客さんが温泉好きって知ってたか、って? ほら昔、預けるところが見つからないって言って、俺を連れて一度温泉に泊まったことあったじゃないですか。あの時の記憶ですよ。覚えてません? もっとも、俺はお湯が嫌いだから入りませんでしたけどね。断固として」
「……思い出した。連載の締め切り間際になって、とうとう缶詰を言い渡された時だ。ペット可の旅館があって、そこへ連れて行ったんだ」
「キャリーに入れられたから、てっきり病院に行くもんだと思って俺、大暴れしましたよね」
「そうそう。編集部の担当と二人で傷だらけになって、やっとの思いで連れて行ったんだ」
「で、この姿になってから思ったんです。温泉ってのは、どのくらい気持ち良いんだろうって。ブラッシング? お尻とんとん?」
「ははは、試してごらん」
気にはなるがやっぱり怖い……と言いたげな車掌を座らせ、ズボンを捲ってやった。足元に湯をすくって掛けてやる。
「わっ……、あれ、熱く……ない」
「だろ? 丁度良い湯加減だ。これは気持ち良いな」
恐る恐る両足を湯に浸けた車掌へ、私は笑顔で答えた。
「素敵なサービスを有難う、車掌」
車掌は、照れ隠しなのか足でぱしゃぱしゃと湯を弾きながら笑った。私は彼の癖のある髪の毛をわしゃわしゃと撫でてやりたい思いに駆られる。
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