貴方の声

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 私はこれ以上トラと親しくなるつもりはなかった。けれどトラの毛艶が少しだけ良くなってきたことにほっとしている自分を否定出来なかった。大した手間や出費ではないのだから、どうせ使わないウッドデッキや室外機の一角ぐらい猫に貸してやっても良いし、餌を与えるくらいは構わない。  やれば気が済むが、やらなければ気に病む。始めてしまったのは自分なのだから、せめてトラの姿が目の前にあるうちは、この習慣を続けようと決めた。大したことではない、と何度も自分に言い聞かせ、夫にもそう報告した。夫は猫が好きだから、喜んで見守っているに違いない。確認のしようはないが、そう思うことにした。  つかず離れずの関係を続けているうちに、梅雨がやって来た。相変わらず朝になればトラは寝ていて、夜は不在だった。室外機の上は日差しが眩しく暑すぎるのか、最近はすっかりウッドデッキの上が定位置だ。  ある日私が傘を差し、ウッドデッキの上に餌皿を置きに出ているとき、運悪く隣家の息子が帰宅した。部活か何かで遅くなったのだろう。傘を差し、自転車で通り過ぎるとき、私に会釈した。私が固まっているうちに隣家の息子は我が家を通り過ぎ、自宅の庭に自転車を荒っぽく停めて家の中に入って行った。
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