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指から滑り落ちた紅茶の入ったカップが、床に落ち、割れる。
割れる音が静かに響く。飴色の液体が床を濡らす。透明なカップは粉々に割れて、破片が、辺りに散らばる。
「セト様っ。」
目を見開いたリザの指からも、カップが滑り落ちた。そのカップも床に落ち、先程のセトが使っていたカップと、同じ運命を辿る。
「セト様、セト様っ。」
床を濡らす液体も、散らばる破片も省みず、椅子から転げ落ち、喉を押さえて悶えるセトの元へ、リザは駆け寄る。
「...はぁ、あっ、君は、よっぽど、うっ、自分を、許せない、っらしい、っ、ね。」
セトが飲んだのは、リザが飲む予定にしていた紅茶だった。わざとリザをテーブルから離れさせ、その間にセトのために用意されていた紅茶と入れ替えたのだ。それが見破られないよう、まだ注がれていなかった紅茶を、セトはカップに注ぎもしていたのだ。
「...うっ、これで、君の、っ計画は、成功、だろっ、うっ。」
リザは三ヶ月程前にヒルピション家にやって来た、主にセト付きのメイドだった。共に過ごす内に、セトは彼女に心奪われた。ヒルピション家の雇われメイドという立場上、彼女の態度や言動はずっと畏まったものだった。だが、彼女はセトのことを、きちんと『セト』として見て、接してくれた。
『由緒あるヒルピション家の次男坊』『長男より聡明』『もしかすると彼が次期当主に』そんな評判に踊らされ、セトの機嫌を取ってこようとする連中とは、彼女は明らかに違った。
当然だ。リザはヒルピション家の人間を撲滅させるために、この家にメイドとして忍んできていたのだから。
セトは彼女の部屋の物書き用の机に置かれた封筒の中身を見て、それを知った。想いを伝えようとするといつも遮る彼女に嫌気が差し、ならば部屋にラブレターを置いてやろうと思い、こっそり忍び込んだのだ。そこには彼女がヒルピション家にやって来た理由、セト以外のヒルピションの人間を巧妙に殺したのがリザ自身であること、そして、その罪を自らの死を持って償うことが、リザの丁寧な字で綴られていた。
それを読んでも、事の真相を知っても、セトのリザへの想いは、変わることはなかった。
「...はぁ、おやすみ、リザ。...次、目覚めた時、君がっ、」
右手で喉を押さえ、震える左手でリザに伸ばしたセトの手は、彼女に触れることはなかった。そのまま手は力なく垂れ、動かなくなった。
リザはセトの側で顔を覆って泣いていた。それは、本心からセトの死を悼む涙だった。
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