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第2章 キューピッド便 クピドの配送日誌
本タイトル【大天使アリエルのもふもふ日誌 第二章 キューピッド便クピドの配送日誌】
タイトル『ピグミーヘッジホッグハリネズミ・くりりんへの超特急便』
作≫けいたん
登場人物 キューピッドのクピド(キューピッドのラテン語読み。この場合は名前)//ピグミーヘッジホッグハリネズミ・くりりん//売れない画家のシンヤさん//妖精リャナンシーのゆず子さん
注意事項
話者が切り替わるところには、「≫」のマークが付いています。
ご不明な点は何なりとお尋ねください。
【アバン】
クピド≫
僕はキューピッドのクピド。
星が誕生した日、僕は光の粒から生まれたんだって。
だからお空と地上を光の速さで行き来できるんだ。
キューピッド便は銀河の果てだろうと、地獄の釜の中だろうと、依頼を受けた品物は必ず相手に届けるのがルール。
僕たちキューピッド便は堕天使や悪魔にも荷物を運ぶ。
善と悪、そんなふうにきっちり分けてこの世が成り立ってるわけじゃないってことさ。
大天使たちは地上に部下を派遣して秩序を守っている。
その連絡を担当しているのもわれわれキューピッド便。
きょうは大天使アリエル様の部下であるピグミーヘッジホッグハリネズミのくりりんに超特急便の配送だった。
配送は無事に完了し、折り返しで、くりりんから報告書の配送を請け負った。
そして伝言も。
「もうお空には戻りません。地上で土にかえります」
どうしてそんなことを言いだしたのか。
その答えが知りたくて、僕はいけないことだと承知していながら、くりりんが書いた報告書を読み始めていた。
【本編】
くりりん≫
ピグミーヘッジホッグハリネズミ・くりりんより。
大天使アリエル様におかれましては、つつがなく御健勝のことと存じます。
私はある事情で前の飼い主と生き別れになり、困り果てていたところ、今の飼い主であるシンヤさんに拾われました。
下水管の中に潜り込んで人の気配に怯え、針を逆立てている私を傷だらけになりながら助け出し、タオルで包んで自宅に連れて帰ってくれたのです。
シンヤさんは人付き合いは苦手ですが、私とはつかず離れず。
一緒に暮らすには大変居心地のよい人で、しばらく大きなトラウマを抱えて針を逆立ててばかりいた私も、次第に平静を取り戻してきたのでした。
シンヤさんの仕事はイラストレーター。
でも、いつまでたったっても収入につながりません。
「俺には才能なんてないからさあ」
きょうもコンクール落選のお知らせを受取り、落ち込んでおりました。
シンヤさんは私をポシェットに入れて錆びだらけの自転車に乗りいつもの公園に向かいます。
池を眺められる静かな場所にあるベンチに座ってぼんやりしていたかと思うと、突然、地面にチョークで絵を描き始めたりします。
その絵はどうやら私の姿ですけれど、まるで地獄の門番みたいな恐ろしい怪物。
こうしてモデルになるのはいつものことですが、小型動物からインスピレーションを受け描く絵がこれでは、シンヤさんの美意識を疑いたくなるというものです。
そこに珍しく高校生くらいの女の子が一度通りすぎたものの、やはり戻ってきて、じっと地面の絵を見ています。
そしていきなりスマートフォンで写真を撮ろうとしたので、シンヤさんは「写真を撮るなら許可を取ってくれよ」と言いました。
その子は少しむっとして「私、結構フォロワーいるんだよ」と、腰に手を当ててまるでモデル気取りで胸を反らしました。
まあまあスタイルもよく、それなりに美しい女の子でした。
しかしシンヤさんの美意識はぶっ飛んでおりますので、美少女が目の前に現われても何とも感じないようです。
「フォロワーとかで自慢するな。まずは目の前にいる人間にお願いしますだろ」
シンヤさんは融通のきかない性格です。
頑固な性格で定職にも就けず、イラストレーターのグループからも敬遠されている。
仕方ない。私のささやかな魔法を発動しますか。
シンヤさんのポシェットから鼻を出してひくひくさせると、その女の子がひゃあっと驚いて、それから顔を近づけました。
「ハリネズミ!かわいい!何て名前なの?」
「くりりんって名前だ。苦労してんだよ、こいつ。前の飼い主と生き別れてしまったから」
「そっか。私と同じなんだね」
その女の子はポケットから、うまい棒を出して私に差し出しました。
シンヤさんがぷっと噴き出しました。
「ハリネズミがそんなもん食うかって」
シンヤさんが笑ったのは本当に久しぶりで、もしかしたら私と暮らし始めてから見たことがなかったのかもしれません。
思いのほか若い爽やかな笑顔でした。
そのとき、シンヤさんのおなかがぐうっと鳴りました。
「くりりんは食べられないから、うまい棒くれよ」
「くりりんも、うまい棒食べたいよね。少しくらいいいんじゃないの?」
ああ、この女の子は何と魅力的な誘いをかけてくるのでしょう。
ジャンクな香りに引き寄せられて一口、かじってしまいそうになりました。
そのとき、我に返ったのです。
これは芸術の妖精リャナンシーの誘惑ではないか!
リャナンシーとは芸術家に取り憑いて素晴らしい才能を開花させる代わりに魂を貪りつくして殺してしまう妖精です。ケルト地方に主に生息するとされていますがそもそも妖精とは人間の原始の心が生み出したあやかしの類いでございます。
遠いお空を拠点とするわれらよりも、ずっと人の心に近しいのです。
ですからその干渉はごく自然で心地よく、逆らうことなど不可能。
私にはシンヤさんの魂から生気が吸い上げられているのがはっきりと見て取れたのでございます。
このリャナンシーは公園で絵を描いているシンヤさんに興味を持ったのに違いないのでした。
「ねえ、私、神待ちしてるんだ」
神待ちというのは最近覚えましたが、家出少女が泊めてくれる相手を探すときに使うことばだそうです。
「一晩でいいから泊めてくれない?」
「親は?」
「いないよ……だから通報してくれる人もいないんだ」
「名前は?」
「ゆず子」
「俺はシンヤだ」
ああ、困りました。
大天使アリエル様、人間の原始の心が生み出したという妖精の魔法は、人の心をごく自然に感化して魅了してしまいます。
私の力ではこの事態を解決できそうにありません。
どうかシンヤさんに天の導きをお示しください。
クピド≫
このころ、くりりんは特急便を使って大天使アリエル様に手紙を送っている。
そして天の導きとして小箱が用意され、超特急便で届けたんだ。
それで万事解決したんじゃないのか?
くりりん、どうしてお空に戻らないなんて言いだしたんだ。
くりりん≫
大天使アリエル様、妖精リャナンシーが出現してシンヤさんと暮らし始めたという一報に対し、天の導きの方向性について検討をするとのお返事、なによりもありがたく今後の任務遂行に一筋の光明が指し示されたと安堵いたしました。
あれからリャナンシー……シンヤさんにはゆず子さんと名乗っていますのでそのようにこの報告書では記載させていただきます。
その、ゆず子さんはなかなかデジタル派でして、スマートフォンを活用していつもなにやらやっているようです。シンヤさんはメールが精いっぱいという人ですからゆず子さんの言うままに、最近ではイラストをSNSで発表したりし始めました。
リャナンシーにもさまざまな種類がいると学校で学びましたが、私も実際に遭遇するのが初めてで本当にリャナンシーだと特定するにはまだ至らないというのが現段階での結論です。
特徴としましては、ゆず子さんは、うまい棒しか食べないのです。ほかの食べ物は胃が受け付けないと言います。
シンヤさんはうまい棒をぼりぼり食べているゆず子さんを見て微笑みました。
最近のシンヤさんはよく笑うようになりました。
でも力のない疲れた笑みなので、かえって痛々しいのです。
「ゆず子は、まるで食わず女房だな」
「何それ」
「米を食わない嫁を迎えたと喜んでいたら実は蛇の怪物だったって昔話だよ」
「ふーん……そんな昔話があるんだ」
ゆず子さんは何か考え込んでいました。
相変わらずスマートフォンを手にしてずっと画面を操作しています。
私は何かあやしいことをしているのではないかと気が気ではなく、拠点としているガラスケースに手をかけて伸び上がってみました。
「くりりん、スマホで何をしているのか見る?」
そう言ってゆず子さんは私に画面を見せてくれました。
おお……何ということでしょうか。
私はスマートフォンの画面を食い入るように見つめてしばらく息をするのも忘れていたほどです。
「ね、すてきでしょう?いい、これはシンヤさんには秘密だからね」
くるっと1回転したゆず子さんはとてもきれいで……しかし、そばにいるシンヤさんは明らかに生気を吸い取られて魂のカウントダウンが始まっているのでした。
「何か眠くなってきたな……少し眠るよ」
シンヤさんはそう言ってばたりと倒れ込みました。
ゆず子さんはそんなシンヤさんの隣に寝転ぶと頭をぎゅっと抱き締めました。
子守歌を歌っているようです。
でも私には古代の魔女が呪いをかけているようにしか思えなくて、何とかシンヤさんを起こそうとガラスケースの中をぐるぐると走り回りました。
ゆず子さん、どうしてシンヤさんの魂を貪るんですか。
シンヤさんの絵の才能を愛しているのにどうして殺してしまうのですか。
しかしハリネズミとは、もともと大きな声を出せないのです。
ああ、猫や犬、馬や鳥ならよかったのに!そうすればご近所が何事かと警戒するほど鳴けたのに!
ゆず子さんは顔を私のほうに向けました。
「こんな愛し方しかできないなんて悲しいよね」
そのとき、眠っていると思っていたシンヤさんが腕を伸ばしてゆず子さんを抱き締めました。
耳元で何かささやいたようです。
はらりとゆず子さんが涙を流しました。そのしずくが弾けて部屋に満ちました。
太古の森に降る雨のように静寂のドームに包まれ、欲や怒りや愚かさ、あらゆる汚いものが浄化されていきます。
大天使アリエル様の部下として地上の人々の幸せのために生きてきた私は、初めて自分自身が癒される心地よさに身を委ねたのでした。
それはシンヤさんも同様のようでした。
このまま息絶えられたらどんなに幸せだろうか……そうつぶやくシンヤさんの唇から、ゆず子さんが最後の吐息を吸い上げました。
そのときです。
「ちゃーっすっ、キューピッド便のクピドでっす。受領証にサイン、ここね」
ばあんと飛び込んできたのはキューピッド便のクピドでした。
クピドから渡された小箱には、堕天使ゼパルが人の心に植え付けたという恋の種が入っているはず。
この種には副反応があり妖精を花に変えてしまうのです。
ゆず子さんが吸い上げた吐息をシンヤさんに戻しました。
「きれいなきれいな花になりたいわ。そしてシンヤさんのそばで咲いていたいの」
【エンディング】
「シンヤさん、このたびオリンピックのキャラクターデザイン賞を受賞されたお気持ちをお願いします」
俺はいきなり現実世界に引っ張り出されることになった。
SNSに投稿していたイラストがオリンピックのキャラクターデザイン賞を受賞して一躍有名人になってしまったのだ。
「受賞の喜びをどなたにいちばんに伝えたいですか」
俺はひとりの女の子の名前を言おうとして、やめた。
彼女は俺に大きなチャンスをくれて、そして消えた。
もう二度と会うことはできない。
ポシェットの中がもぞもぞと動くので壇上でふたを開けると俺の相棒であるハリネズミが顔を出した。
「この、くりりんがインスピレーションの源です」
突然現われた、かわいい動物にカメラマンもレポーターも飛びついた。
やってくれるじゃねーか、こいつは。いいところを持って行きやがるなあ。かわいいっていう魔法でも使ってるんじゃないのか?
「では次にデザインに取り入れたお花について、これはヒヤシンスですか」
「はい、とても大切な花なんです」
俺は家の窓際で太陽の日ざしを避けるようにひそやかに咲く花を思い浮かべていた。
【カーテンコール】
クピド≫
僕はキューピッドのクピド。
星が誕生した日、僕は光の粒から生まれたんだって。
キューピッド便は銀河の果てだろうと、地獄の釜の中だろうと、依頼を受けた品物は必ず相手に届けるのがルール。
でも中身を見ることはもう二度としない。
僕はくりりんが書いた報告書を閉じると首長竜の皮で作ったポーターバックに入れて空を見上げた。
きょうもキューピッド便は大忙しだ。
この配送を終えたら次の依頼が待っている。
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