魔道の瞳、アリアの目

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魔道の瞳、アリアの目

 「さて、まずはおさらいじゃ。アリア、魔道とは何か?」  二人の住む古く小さな家のささやかな裏庭。コスモスは腰に手を当てて、アリアに問いかけた。  「大精霊の力を借りて組み上げる術式です」  「さよう。古代から人間は大精霊の力、魔道の力で発展を遂げてきた。とはいえ、魔道とて万能ではない。魔道の他の特徴は言えるか?」  アリアはすぐに答えた。  「術式が複雑で、発動までに時間がかかること……でしょうか」  「そうじゃ」  コスモスは紫色の衣服の袖を、少しだけまくりあげた。褐色の細い腕に、いくつもの白い刻印があるのを、アリアはこれまで幾度も目にしてきた。腕だけではなく、師匠の全身に術式が刻まれていることも知っている。   袖を元に戻しながら、コスモスは続けた。  「知識、技術、経験、時間……それらが必要な代わりに、威力も効果範囲も折り紙付きじゃ。一人魔道士がいるだけで、パワーバランスが大きく変わるほどのな。それに対して魔術は、大精霊と交信を行うことなく、強制的に大精霊の力だけを引っ剥がす技法じゃ。己のことしか考えぬ人間の生み出した、愚かな技じゃ」  目元を深く覆ったコスモスの表情はわからなかったが、アリアには口元だけが少し歪んで見えた。  「おっと、話が長くなってしもうた。年寄りは説教臭くてかなわん。アリア。今日は目の修行じゃ、メガネを外せ」  「は、はい」  アリアはそう言われて、メガネを外した。  コスモスはそれを確認すると、靴を鳴らした。  途端に周囲の土が大きく隆起して、みるみる人の形になってアリアの眼前にそびえた。  「これは使役術で作った土人形じゃ。アリア、何が見える?」  アリアはじっと目を凝らした。人形の足元から頭のほうに向かって、わずかに波打ちながら移動する光がぼんやりと見える。  「光が……見えます。足元から、頭に向かって、動いています……」  「それが大精霊の鼓動じゃ。ほれ、目を離すでないぞ」  次の瞬間、光は人形の右の拳に向かって集まり始めた。  凝縮した光の密度から攻撃の気配と威力を悟り、アリアは体を強張らせた。  土人形が右腕を振りかざし、アリアの目の前の地面を打つ。アリアは思わず目を閉じた。  低く大きな衝撃音が、周囲を揺らした。  アリアが目を開くと、目の前の地面に大穴が開いていた。  「目を閉じてはならぬ。精霊の力の流れを見よ」  「ご、ごめんなさい……」  「お主に与えた魔道はたった二つだけじゃが、大きな力をもつ二つじゃ」  アリアは自分の手の甲の刻印を見た。コスモスに拾われたときに刻まれたものだ。  「肉体強化、それに魔道反射……」  「うむ」  「た、確かにどんな壺でも袋でも、重たいと思ったことはありません。この三年間、かすり傷ひとつ負ったことも……で、でも実際にこうして向き合ってみると、その、怖くて……」  コスモスは口元だけ優しく微笑んだ。  「よい。最初はそんなものじゃ。わしも初めて魔道を修めたときは、怖くて震えておった」  この師匠が震え上がる姿を、アリアはまったく想像できなかった。  「大切なことは、きちんと見ること。そして耳をすませること。お主の曇りなき眼で、しっかり物事を見極めるのじゃ」  「は、はい」  「よかろう。ではもう一度、今度は当てるぞ?」  それから、アリアの特訓が始まった。  コスモスはさながら審判のようにアリアと土人形の間に立ち、アリアに言葉を掛け続けた。  「瞬間を見るでない。流れをよく見るのじゃ」  土人形の拳がアリアの頬をかすめる。  「怖がるな。大精霊の脈を見よ、その声をしかと聴くのじゃ」  振り下ろされた拳を、アリアはすんでのところでかわす。  「そうじゃ。今の動きはなかなかよいぞ。次はどうじゃ」  土人形の動きは徐々に速くなり、アリアはどうにかその動きに合わせて体を動かす。  それから、しばらく時間が経った。  アリアは汗だくになって、息を弾ませながら裏庭の中央でひっくり返っていた。  「どれ、少し休むか」  「は、はい」  「肉体強化の魔道とて、疲れなくなるわけではないからのう。ほれ、立てるか」  アリアはよろよろと立ち上がり、脇に座るコスモスの横の切り株に腰掛けた。  苦しそうに息をするアリアを見て、コスモスがふっと笑った。  「とはいえ、この三年でなかなか体も丈夫になった」  コスモスはめいっぱい体を伸ばして、アリアの頭を軽くなでた。  「あ、ありがとうございます……」  それからしばらく、二人は空を眺めた。時折吹いてくるそよ風が心地よく、突き抜けるような青い空には、いくつもの白い雲がゆったりと流れている。  「静かですね」  「そうじゃな」  「魔道士になるって、大変なことですね。楽しいですけれど……」  「そうか。楽しいか」  「お師様の修行は、もっと厳しかったのですか?」  「うむ。断崖絶壁から突き落とされたり、薄布一枚で極地や密林に放り出されたこともあったのう。懐かしい青春時代じゃ」  聞くんじゃなかった……とアリアは顔を青くした。  「なんじゃ。怖くなったか?」  「い、いえ……私、一日も早くお師様に恩返しがしたいから、だから、魔道の修行頑張ります」  「それは崖から突き落としてほしい、という意味か?」  「そ、それはもう少し先で……」  コスモスは大きく笑った。  「冗談じゃ。じゃが、お主が魔道を修めたい、と言ったときは驚いたのう。何十年ぶりに椅子から転げ落ちたわい」  アリアは少し寂しそうに笑って答えた。  「三年前、お師様に助けていただいたときから、ずっと恩返しがしたくて……魔道をしっかり使えるようになったら、お師様のお役に立てるんじゃないかと思いまして」  コスモスは、ほんの一瞬だけ体を強張らせた。  「わしのような老いぼれの役に立ったとて、失うものこそあれど、得るものはないぞ」  「そ、そんなことないですっ」  アリアは思わず立ち上がって、慌ててまくしたてた。  「お師様は立派な方です。三年前、危険を顧みず私を救ってくださった。そのお礼を、恩返しをさせてください」  「わ、分かった分かった」  コスモスは慌ててアリアをなだめた。  アリアははっと我に返り、顔を少し赤くして切り株に再び腰掛けた。  「す、すみません。つい」  「優しい娘じゃ。きっといつの日か、大精霊を理解できるじゃろう」  「はい」  アリアははにかんで笑った。  「さて」  コスモスはゆっくりと立ち上がった。  「少し、レベルを上げてみようかのう」  カツン、という小気味良い靴音とともに、あちこちの土が盛り上がる。  アリアの目の前に、ぞろぞろと数体の土人形が現れた。  「ちと本気を出そうかのう。お主にあれこれ言われて、気分がようなった」  ぐいぐいと小さな体を伸ばしているコスモスを見て、アリアは苦笑いした。  それからしばらく経った。  その日は朝から雨が降り続いていた。  食事を終えて、アリアは食卓で紅茶を飲んでいた。その向かいで、新聞を広げたコスモスが顔をしかめている。  「お師様、どうかなさいましたか?」  コスモスはうんと唸って、アリアに答えた。  「どうも近頃物騒じゃのう。中央が騒がしいようじゃ」  「もしかして、とうとう西側に……?」  「ない……と断言できぬのが辛いのう。ミッドガルドを治めるアルバドスは、アホのジジイじゃからな」  アリアは驚いた。アルバドスは、大陸の東半分を治める王で、『賢王』の二つ名で呼ばれている。それを『アホ』と言ってのける自分の師匠は、さすがの器だと感じた。  「戦は避けねばならぬ。絶対に」  「ここも、危なくなるんでしょうか。国境にほど近いですよね」  「わしがおる、案ずるな。何が来ようが一捻りにしてくれるわ」  「はい」  コスモスが放り捨てた新聞の記事には、賢王アルバドスの肖像が描かれていた。それはやがて灰になり、消えた。  窓辺に立ったコスモスが、曇り空を眺めてしばらく黙っている。  「お茶を淹れますね」  「あぁ」  アリアがキッチンのほうへ向かおうとしたその時、ドンドンと激しく扉を叩く音がした。  アリアは驚いて一瞬コスモスをうかがいつつも、ドアを開けた。  立っていたのは、全身ずぶ濡れのサムだった。  「まぁ、サム。どうしたの? そんなにずぶ濡れで……待ってて、今タオルを……」  「大変なんだ」  サムは息を弾ませて、苦しそうにそう言った。  「……何か、あったの?」  「何事じゃ。騒々しいのう」  コスモスがサムに近づくと、サムは両手でコスモスの小さな肩を掴んで言った。  「ピコとポコが、いなくなった」
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