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一拍置いて、男が濁った悲鳴とともに少年から腕を離し、よろけながら後ずさりをして床に転がった。少年に掴まれたところを押さえて絶叫している。
店主が呆れた様子で額を押さえた。
床に降り立った少年は澄ました顔で襟を直している。他の男達は雀卓に座ったまま、呆気にとられていた。悶絶して震える男を見下ろし、ハギヤが呟いた。
「……折れてるから、下手に動かさない方がいい」
その通りだった。少年は、男の腕を握っただけでへし折ったのだ。
少年が右腕のYシャツを肘まで捲くりあげる。手首と肘の周囲にはそれぞれ鉄の輪が嵌まり、間を電線が幾本も通って肩へ向かっている。少年が右腕を動かすたびに、微かに鈍い稼働音が鳴った。
その奇妙な装置を見るなり、残った男たちは雀卓から立ち上がって壁に貼り付いた。
「強化外骨格だと? そんな高えもん、なんでこんなガキが……」
「もしかして、お前は……」
少年は無言のまま、右肩を回して二人に歩み寄っていく。男たちは慌てふためきながら逃げようとした。
その時、少女の声がした。
「やめろ」
店主だけでなく、今度はハギヤが額を押さえる番だった。いつの間にかシスイが立ち上がって、少年の後方で仁王立ちになっていた。
少年は首だけで振り返り、胡乱な眼差しを自分よりも華奢な少女に向ける。
「知り合いか?」
普通話だ。かけられた言語で返すあたり、どこか律儀な少年である。
シスイは首を横に振った。
「違う。そいつらの処遇は勝手にしろ。だが――」
少年の右腕の装置を指差す。
「それを使うのはやめろ」
彼女の言葉を聞いて少年の目つきが変わった。舌打ちをし、鬱陶しそうにシスイと向き合う。男たちがこれ幸いと、骨折した男を引きずって店からまろび出ていく。
ハギヤにはシスイの言い分もわかるが、何もこちらにわざわざ喧嘩を引き寄せてくることはないだろう。彼は思わず日本語でシスイに話しかけた。
「……シスイ、一旦下がろう」
シスイの名前を聞いた途端、少年が乾いた笑い声をあげた。
「なんだって、去死(qù sǐ)? おいお前、仲間に死ねって言われてんじゃねーか」
シスイが苦々しく顔をしかめ、不機嫌を丸出しにした低い声で訂正する。
「シスイだ」
「シスイ、いいから」
「ほらまた言われてんじゃねえかよ、去死ちゃん」
少年は明らかに気が立っていた。楽しそうに挑発して見せながらも、瞳は凶暴な光をたたえている。先程の小競り合いでの消化不良が明らかに悪い方向へ働いていた。
店の裏からは、店主・紅紅がどこかに電話をしている声が聞こえてくる。通報されているのなら早く離脱したほうが良い。
ハギヤはシスイの顔を見た。シスイにも電話の声は聞こえているはずだが、なんと彼女はハギヤが望んだ内容とは真反対の行動をとった。
突然少年の腕を引くと、彼の軸足をすくい上げた。足払いを仕掛けたのだ。
少年は転びかけて雀卓に勢いよく手をつく。牌とコインが飛び散り、床にぶち当たって騒がしい音を立てた。
少年はシスイを睨めつけ、彼女に掴みかかる。
それなりの速さで振りかぶったはずだが、少年の腕は空を掴んだ。
シスイの居た場所は少し後ろにハギヤがいたし、両脇をカウンターと他の雀卓に挟まれているから、横や後ろに避けたわけではない。かといって、シスイは屈み込んでいたのでもない。
彼女はただ忽然と消えていた。
次の瞬間、少年の横っ面を強烈な蹴りが襲った。
シスイは脚を折りたたんで、視界から消えるほどに大きく跳躍すると、空中で足を開いて少年を蹴り飛ばしたのである。そうして床に這いつくばるようにして着地すると、すぐに立ち上がり、卓を巻き込んで吹っ飛んだ少年に向かって構える。
ハギヤは出口の脇に避難した。幸いにも少年はシスイだけにご執心のようである。
少年は起き上がると、血の混じった唾を吐き捨て、右腕で椅子を掴むと、シスイに向けて投げた。これは屈み込んで避けたシスイは、椅子の影に隠れて肉迫してきた少年に気づくと、咄嗟に飛び退きながら手足を畳んで丸まった。
少年の右ストレートが彼女のブーツに当たり、硬いもの同士がぶつかる鈍い音がした。シスイは受け身をとって離れた場所まで転がると、すぐさま飛び上がってまだ倒れていない雀卓の上に着地する。
「……大丈夫?」
一応ハギヤが聞くと、シスイは静かにうなずく。
少年が怨嗟の声をあげた。
「――てめえ、脳天かち割ってやる」
シスイは隣の卓に飛び移った。少年に投げられた長卓は壁に当たって砕け折れ、壁紙に穴や凹みという名の新たな模様を作る。少年は強化外骨格をまとう右腕を使い、すぐに次の卓を高々と持ち上げた。
シスイが心外そうに呟く。
「使うなと言っているのに」
「多分今使わせてるのはシスイだよ」
悠長に答えるハギヤだが、そんなことを言っている場合ではないのは流石にわかっていた。少年は、このままでは店を壊しかねない勢いだ。
ハギヤがシスイに逃亡を提案しようとするのと、店に誰かが押し入ってきたのは同時だった。
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