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「何をやっているんですか。それ以上やるなら、臍から鉛玉食わせますよ」
上品な発音の柔らかな広東語である。
「それとも尻の穴がいいですか?」
中身はあまり上品ではない。
少年が卓を下ろし、きまり悪そうに言った。
「炎哥」
入ってきたのは、ハギヤと同じくらいの長身で体格のいい男だった。着太りする性質なのか、脂肪ではなく筋肉で丸く膨らんだ体つきを、高級な黒いスーツが包んでいる。上には髪を短く刈り上げた四角い頭が乗っている。
男は呆れた調子で、腰に両手を当てた。
「紅紅が連絡をしてきましたよ。何をやっているんですか、シャオハオ」
「……シャオハオ?」
ハギヤが繰り返した。シャオはあだ名に使う「小」だろう。となるとハオは、この少年の名前の一部ということになる。
熊のような男が、自分の隣にいたハギヤを見て苦笑した。
「彼の名は梓豪。だから小豪ですよ」
ハギヤは罰の悪い思いで、少年の顔を見た。シスイが喧嘩の売買をしたこの少年こそが、オリヴァーに警告された例の少年・梓豪だったのだ。
そういえばオリヴァーは「洒落た腕輪を着けている」と言っていた。あれはどうやら強化外骨格のことを言っていたらしい。
梓豪は口元の血を舐め取り、噛みつくような口調で言った。
「このクソ女に名誉を汚されたんだ」
「簡単に汚されるような矮小な名誉なぞ、狗にでもくれてやりなさい」
熊男はぴしゃりとはねのけると、未だ卓上に立っているシスイを見上げる。
「ほらほら、あなたも降りてください」
シスイは大人しく卓からハギヤの隣に飛び降りる。
熊男は腰に両手を当てたままため息を吐くと、二人に向き直った。
「失礼。私は憂炎といいます。うちの可愛い子がとんだご無礼を働いたようですね。お詫びがしたいので、今からお時間を頂けませんか」
梓豪がうげっという顔をするも、熊男・憂炎は気にせず続けた。
「あなた方は今朝東龍慶に来てから、ずっと何かを嗅ぎ回っているようですね。私どもが何かしらお手伝いが出来るかも知れませんよ……」
口調こそ丁寧だが、訳すると『朝から俺たちのシマで何やってんだ。気づいてないとでも思ったか? ちょっとツラ貸せよ』となる。やり取りから察して少年梓豪は憂炎の兄弟分のようだし、『俺の弟に何してくれてんだ?』も含まれているかもしれない。
ハギヤが店の唯一の出入り口である階段を見やると、複数の黒服の男たちが詰め寄っているのが見えた。憂炎の連れだろう。
シスイがハギヤに身を寄せ、日本語で囁いてきた。
「乗ろう、むしろ好都合だ。手間が省ける」
言うと思った、とハギヤは嘆息した。
争いを呼び込みやすい性質のシスイであるが、今回は流石に無謀が過ぎていた。ちまちまとした情報収集を嫌う彼女のことだ、最初から騒ぎを起こして向こう――東龍慶のマフィア側の接触を誘発するのが目的だったのである。
……ただ、その手段に梓豪との諍いを選んだのは、完全に彼女の私怨と見えた。
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