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男――黎徳華が二人を見上げる。街を仕切るマフィアの頂点の男は、童顔気味の二枚目だった。白髪と皺の数からして五十は過ぎているだろうが、それでもまだ艷やかな黒髪を残しており、何より目に生命力が満ち溢れている。
「你好!」
徳華は二人に向かって人懐っこい笑みを浮かべ、軽妙に挨拶をすると、自分の対面をぞんざいに指した。
「まあ座れよ」
「長居する気はないんだ」
ハギヤは短く辞退する。有事の際に備え、できるだけ相手との距離は取っておきたい。
徳華は梓豪にそっくりな動作で鼻を鳴らしてから、大して気を害した様子もなく片手を広げた。
「俺の街にようこそ。歓迎するぜ、日本人。どうだ、この街は」
ハギヤは注意深く答える。
「いい街だと思う」
「そりゃ俺らにとっちゃあいい街さ。そうなるように作ったんだ。お前らみてえな人間にもさぞ住みやすいだろうな」
徳華の瞳が悪戯っ子のような光を宿す。建物に入った際に簡単なボディーチェックを受けてリボルバーを取り上げられている二人だが、まだ十分に武器を隠し持っている。徳華の目は、それを見抜いているかのようだった。
無反応な二人だったが、徳華は面白そうに続ける。
「聞いたところじゃ俺の息子が最初に挑発したって話じゃねえか。そこの小姐は、何かを忠告してくれただけだってな。こりゃあ詫びを入れなきゃいけねえな、おい」
壁際で話を聞いていた梓豪が、小さく舌打ちをした。
「……紅紅の告げ口か」
「手前の部下は手前できちんと躾けるんだな、梓豪」
徳華は口元に笑みを残したまま、瓶に手を伸ばす。従者を制止し手酌で酒を注ぐと、強いアルコールの匂いが漂った。
「それで、お前らは……」
瓶を置き、再びソファに深く身を預けると、徳華は二人を上目遣いに見た。
彼の顔から笑みが消えた途端に、場の空気が重力を増した。
「この街に何をしに来た」
今まで見せられていたものは夢幻か何かだったのだろうか。リラックスした柔らかな空気は蜃気楼の如く立ち消え、目の前には怜悧な目をした裏社会を束ねる男が一人、いた。
呼吸すら拒むような眼光が空間を支配する。
シスイは瞬きせずに徳華の視線を受け止めている。ハギヤは浅く息を吸った。
どう交渉するのが最善か、連行されながら彼はずっと考えていた。どこで敵と繋がっているかわからない相手に素性を明らかにするわけにはいかず、かといっていくらでも下調べのできる状態で嘘を吐くことも得策ではない。そもそも広東語を使うことを好むという徳華に、上手く使えない広東語で舌戦を挑む事自体がナンセンスだ。
結果として、出した答えは一つだった。
「フィオナという女を探している」
ハギヤは単刀直入に聞いた。
徳華は動かない。
二人は余計な言葉を重ねることはしなかった。
時計の針の音が聞こえ、そこで二人は初めて徳華が腕時計をしていることに気づく。接近戦では手頃な武器だ。
徳華は視線を外さず、唇だけ動かして言った。
「フィオナのことは数日前から俺も探している。どうも俺の知らないところでよくわからねえ取引をしてるみたいだからな。問い詰めようと思ってたところだ」
ハギヤが問う。
「見つかっていないのか」
「アパートはもぬけの殻。職場の仲間ごと失踪した」
「職場に行ったが、襲撃の痕跡があった」
「それは俺も聞いた。明日片付けさせる」
「――俺は聞いてないぞ」
突如低い声が乱入する。梓豪だった。
徳華がゆっくりと目をつむった。
「言ってないからな、お前には」
梓豪は声を荒げた。
「何でだ阿爸! フィオナとの交渉は俺が担当だっただろ!」
「だからだよ。お前が動いたらフィオナに勘付かれる」
「……っ」
悔しそうに歯ぎしりをする梓豪をよそに、徳華は目を開け、ハギヤを見た。
「わかった。この街で奴を探すことを許可しよう。ただし監視を付けさせてもらう」
ハギヤはうなずいた。
監視を付けるという徳華の判断は想定内であった。フィオナの取引相手が、ハギヤかシスイであることも考えられる。そうであれば徳華に接触しようとは考えず秘密裏に探すだろうが、裏をかいた大胆な作戦であるかもしれないのだ。
ただしハギヤとて、徳華の次の発言は流石に想定外だった。
「監視は梓豪、お前だ」
ハギヤとシスイは同時に眉をひそめる。梓豪が早口の広東語で罵倒を口走った。
徳華は落ち着き払った様子で、息子に向かって言った。
「文句を言うな。紅紅が言うにはこいつらは普通話を使う。お前なら普通話が使えるだろ」
「俺は一人で探す。一人で十分だ。監視は別の奴を付けてくれ」
「この世界は気ばかり一人前になったやつから死んでくんだ」
徳華は息子の不平をにべもなく退けると、話は終わりだとばかりに窓に目を向ける。
梓豪は地団駄こそ踏まなかったものの、不満を全身にみなぎらせて肩をいからせていた。しかし父親が貝のように押し黙っているので、呪詛を吐きつつ部屋から出ていく。
ハギヤとシスイは梓豪を見送った後、徳華の顔を再び見下ろした。決定を考え直してほしいのは二人も同様だった。
しかし徳華はやはり何も言わなかった。憂炎が近寄ってきて、苦笑しながら声をかけた。
「出口までお見送りしますよ。梓豪もすぐ来るでしょう」
「彼は本当に来るのか?」
ハギヤの問いに、憂炎は「来ますよ」と断言した。
「華哥に従わないという選択肢はあの仔にありませんから」
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