第四章

1/5
前へ
/73ページ
次へ

第四章

 翌日の正午。 天気は曇り時々雨。昼だというのに空は薄暗い。湿気は高く、旅社のロビーにたむろしている客たちは、汗で背中や腕にシャツを貼り付けている。 ハギヤとシスイが佳賓大旅社の自動扉から外に出ると、湿っぽくてぬるい空気がまとわりついた。それと同時に、刺々しい普通話が飛んできた。 「付いてこい」 通りを少し行った先に、昨日最悪な出会いを果たした少年、梓豪の背中と横顔が見えた。二人が自分を視認したのを確かめると、梓豪はさっさと歩き出した。 街の人通りは夜に比べると格段に少なかった。観光客らしき姿はほとんどなく、地元の人間が日課をこなすために往来しているように見える。看板のネオンは消え、露店にも商品は並べられていない。広告ロボットも大人しくニュース番組を放送していた。  二人が追いついてくると、梓豪は背中を向けたまま状況を話し始めた。 「フォオナは街から出ていない。交通機関や街の出入り口近辺の映像を見たが、確認できなかった」  街を牛耳る組織の者というだけあり、監視カメラの映像をどこからか入手するくらいのことは朝飯前のようだ。二人が口を挟まず報告を聞いていると、梓豪は続けた。 「すでにバラされて車で運ばれている可能性もあるが、その線は俺の部下たちが洗う。街の中心部以外は炎哥たちが探してくれる。残るは――」  組織の箱庭である街を、少年は携帯端末の地図を見ることなく進む。交差点を左折し、細い道に入った。  梓豪はどこに向かっているのか一言も口にしなかったが、進むにつれて二人も薄々感づいてきた。遠くからでもはっきりと目立つ場所に、彼らは近づいていたのである。 「あそこだ」  建物同士の間から顔を覗かせているビル群を見上げて、梓豪は呟いた。東龍慶が冠する二つ名『第二の九龍城』。シンボルとなった高層建築群の、ここからはその一側面が見える。 各部屋のブロックが玩具で膨れた子ども部屋の箪笥のように雑然と凹凸を描き、壁面からは赤文字が書かれた看板が縦にも横にも飛び出している。建物の一つ一つは規則正しく部屋が積み重ねられているが、隣には微妙に違う規則で組み立てられた建物が並び立ち、癒着して、境界を失っていた。 壁の色もパッチワークの如く水色、白、赤、緑などに塗られていて、部屋の外部に張り出したバルコニーには一面、鳥籠のような細い格子が張り巡らされていた。観葉植物を置いている家庭もあれば、洗濯物を干しているところもある。一階部分には夥しい量の薬が棚に詰め込まれた漢方屋や、軒先で本を虫干ししている古本屋があった。 身を寄せ合っているような建物たちは、喉元から足の裏に至るまで、何人の人間を呑み込んでいるのだろう。実際の九龍城砦では〇・〇三平方キロメートルの区画に約三~五万人が住んでいたという。 近寄るにつれて、魔窟の威圧感は増していく。摩天楼を見上げながらハギヤが聞いた。 「迷路のような場所だと聞いているが、大丈夫なのか?」  梓豪は素っ気なく答えた。 「ここは俺の職場だ。それに、俺はここで育った」  それから質問を拒絶するように、梓豪はさっさと建築群の隙間に入っていった。
/73ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加