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先に進んでいた梓豪は、建物をつなぐ渡り廊下の下に、人影が膝を抱いて屈み込んでいるのを見つけた。
人影は、まだ昼間だというのに点灯しているオレンジ色の街灯の明かりを背面に受け、前面を影に溶かしている。灰色らしき短髪から骨の浮き出たうなじが覗き、上下に着込んでいるぶかぶかのスウェットが身体の線を隠している。性別も年頃も見当がつかなかった。
身じろぎもしない相手に、梓豪は声をかけた。
「おい、どうした?」
梓豪の声を認識すると、相手はぴくりと動いて反応を示した。腕の間に顔をうずめたまま、うめいた。
「……う」
「どこか具合が悪いのか?」
梓豪は人影に近付いていく。
「う、……ぉ」
若いとはいえ、裏社会で生計を立てている人間である。梓豪の足取りに隙はなかった。例え相手が突然振り向いて襲いかかってきても、普段の梓豪ならば問題なく対応できた。
しかし今回ばかりは、相手が悪かった。
梓豪が距離をとって立ち止まると、人影は裸足で地面を踏みしめ、ふらつきながら立ち上がった。背丈は梓豪より少し高い。スウェットの生地が揺れ動き、骨ばった身体を露わにする。チャックを閉めていないので、こちらを向くにつれてスウェットに覆われた上半身が徐々に見えてきた。
闇に溶けていた前面が明らかになった時、梓豪の口から声が漏れた。
「……なん、だそれ。お前……」
スウェットの中には、あるはずの身体がほとんどなかった。
いや、骨組みはあった。鎖骨、肋骨、背骨、そういったものは揃っていた。肋骨の中に電線を体中へ神経のように走らせるモーターも内蔵されていた。
だが皮膚や筋肉のようなものは皆無だった。スウェットから出ている部分、手や足、そして首から上だけが肉付きを持ち、均整のとれた美しい顔が乗っていた。
白い顔が生気のない瞳で梓豪を見た。
「……ぅ……ぉ……ずぅ、はぉ」
赤い唇が呟き、そして。
「梓豪」
うっすらと、微笑んだ。
その笑みを見て、梓豪の背筋が総毛立った。
人間に限りなく近い顔をしたものなのに、浮かべるのは人間のそれとは遠く隔たりのある無感情な笑顔。人間に近いからこそ、人間には程遠い笑顔がアンバランスで、ひどく気味が悪い。
透き通るような感情のない瞳は、美しくも恐ろしい。まるで昆虫の眼だった。
梓豪が動けなくなっている間に、スウェットから覗いていた手は、いつの間にか長方形の刃を持つ中華包丁を手にしていた。
後ろから忙しない足音がする。二人がようやく追いついてきたのだ。
ハギヤの叫び声がした。
「離れろ、梓豪!」
同時に、目の前の人間もどきは梓豪に向かって、勢いよく中華包丁を振り下ろした。
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