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第五章
考えるより先に、梓豪の身体が回避行動をとった。
左に飛び退いて間一髪で包丁を躱し、地面に倒れ伏せる。
敵の反応も早かった。人間の関節ではありえない方向に腕を折り曲げ、千鳥足で梓豪に近づいてもう一度包丁を振りかぶる。
敵の表情は一寸も動かぬ微笑である。梓豪は背中が粟立つのを感じた。そして、銃を抜くのが遅れた。
応戦が間に合わない。梓豪の脳天を刃がかち割る――前に、少年の襟が凄まじい膂力で後方に引っ張られ、彼はごろごろと転がった。
刹那、金属のぶつかり合う音が響く。
ハギヤが左手の袖から覗く短刀で包丁をはじいていた。
「大丈夫か!」
振り向かずにハギヤが言う。梓豪を掴んで後ろに放ったのは、彼だった。
あの細腕のどこに、あんな驚異的な力が隠されていたのか。続く早業に梓豪は目を見張った。ハギヤはみたび振り下ろされた包丁を頭上で受け止めると、何も持っていなかった右手を軽く振った。
手品のようにコートの袖口から薄刃の短刀が滑り出た。隠していたのは力だけではないらしい。
ハギヤは左の短刀で包丁を受け止めたまま、右の短刀を敵の包丁を握っている手に下から突き上げる。
火花が散り、包丁が敵の手から床に落下した。ハギヤはすぐさま包丁を誰もいない遠方に蹴り飛ばし、敵の拳を避けざま右の短刀を閃かせた。
いとも簡単に敵の手首は腕から離れ、拳を握る形のまま宙を舞った。火花を吐き出すことすら忘れた電線が断面から顔を覗かせている。
ハギヤは左の短刀を取って返し、敵の首を左から右に深く斬り裂いた。右から左に刃を戻す勢いで敵のこめかみに短刀を突き刺し、壁へ杭を打つように叩きつける。刃が頭に食い込み、敵は顎をがくがくと高速で震わせた。目が見開かれたのち、瞼が力なく降りて半目になる。マリオネットの糸が切れるように、両腕が垂れた。
沈静化を見守ってから、ハギヤが足で敵を押さえて短刀を引き抜く。
両手に短刀を握りしめたまま、梓豪を振り返った。
「怪我は?」
「……」
梓豪は何も答えず、ハギヤの顔を見つめていた。
驚きではない。感心でもない。梓豪は異形を見る目をハギヤに向けていた。
最適化された機械的な動き、殺傷への躊躇のなさ、振り返ったときの白い能面のような表情。それは人間のものというより、むしろ……。
梓豪は敵の骸を見やる。
むしろ、先ほどの敵に近いものなのではないだろうか?
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