21人が本棚に入れています
本棚に追加
第一章
ライムグリーンの光が昏い床に映ってぼうと光っていた。向かいの看板のネオンが窓ごしに光を投げかけているのだ。
遠く潮騒の如き喧騒が聞こえる。歓楽街である東龍慶はこの時間が稼ぎ時だ。広東語と英語が併記されたネオンが街を埋め尽くし、巨大な横長の看板が頭上に大きくせり出した大通り――洪星大道は人間であふれかえる。
しかしここ、路地に入口がある東龍慶医療研究中心は、異界のように静まり返っていた。照明は点いておらず、受付どころかどこにも人の姿はない。方々に書類やガラス片が飛び散り、暴力の痕跡を色濃く残している。
入り口ではネオンライトを逆光に、二人の人物が立ち尽くしていた。一人はひょろりと背が高い駱駝色のコートを着た青年で、一人は黒い革ジャケットと武骨なロングブーツを履いた小柄な少女である。
青年の黒髪にはいくらかの白髪が目立つが、顔つきは若い。二十代前半と見えたが、どこか万物を悲観するような瞳が、彼に老成した印象を与える。
彼は名をハギヤといった。
少女の黒髪は真っ直ぐ伸ばされ、肩につくあたりで緩く曲線を描いていた。青年とほぼ同い年と思われる若い顔だちは、表情には乏しいものの、蒼い瞳の鋭い眼光が猛禽類を連想させる。
彼女は名をシスイといった。
ハギヤは周りを見渡してから、よく通る声で言った。
「唔該(ごめんください)」
呼びかけはこれで二度目だ。今回も返事はない。
二人は顔を見合わせた。
「……どうする?」
ハギヤが口にしたのは日本語だった。対するシスイも、日本語で答える。
「奴が本当にここにいたかどうかを確かめる」
「ここを荒らした人間が戻ってくるかも」
「その時はその時」
シスイは呟くように言うと中へ踏み入った。高いヒールのブーツだが、足音一つしない。
「そうだね」
ハギヤも後に続く。彼の歩みに合わせて、薄っぺらいコートが風を孕んだ。
最初のコメントを投稿しよう!