第一章

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第一章

 ライムグリーンの光が(くら)い床に映ってぼうと光っていた。向かいの看板のネオンが窓ごしに光を投げかけているのだ。  遠く潮騒の如き喧騒が聞こえる。歓楽街である東龍慶(トゥンロンヒン)はこの時間が稼ぎ時だ。広東語と英語が併記されたネオンが街を埋め尽くし、巨大な横長の看板が頭上に大きくせり出した大通り――洪星大道(フンスィンターイトウ)は人間であふれかえる。  しかしここ、路地に入口がある東龍慶医療研究中心(トゥンロンヒンイリュウインカウユンサム)は、異界のように静まり返っていた。照明は点いておらず、受付どころかどこにも人の姿はない。方々に書類やガラス片が飛び散り、暴力の痕跡を色濃く残している。  入り口ではネオンライトを逆光に、二人の人物が立ち尽くしていた。一人はひょろりと背が高い駱駝色のコートを着た青年で、一人は黒い革ジャケットと武骨なロングブーツを履いた小柄な少女である。  青年の黒髪にはいくらかの白髪が目立つが、顔つきは若い。二十代前半と見えたが、どこか万物を悲観するような瞳が、彼に老成した印象を与える。  彼は名をハギヤといった。  少女の黒髪は真っ直ぐ伸ばされ、肩につくあたりで緩く曲線を描いていた。青年とほぼ同い年と思われる若い顔だちは、表情には乏しいものの、蒼い瞳の鋭い眼光が猛禽類を連想させる。  彼女は名をシスイといった。  ハギヤは周りを見渡してから、よく通る声で言った。 「唔該(ンゴーイ)(ごめんください)」  呼びかけはこれで二度目だ。今回も返事はない。  二人は顔を見合わせた。 「……どうする?」  ハギヤが口にしたのは日本語だった。対するシスイも、日本語で答える。 「奴が本当にここにいたかどうかを確かめる」 「ここを荒らした人間が戻ってくるかも」 「その時はその時」  シスイは呟くように言うと中へ踏み入った。高いヒールのブーツだが、足音一つしない。 「そうだね」  ハギヤも後に続く。彼の歩みに合わせて、薄っぺらいコートが風を孕んだ。
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