第九章

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 東龍慶の教会は、夕闇に包まれ始めていた。ジェイコブ牧師は建築群の内部で起こったことを、事細かに梓豪へ報告し続けていた。ハギヤは講堂の椅子の一脚に座り、シスイはそばの壁に背を預けて腕を組んでいる。 「尊師! 大変、大変!」  教会の講堂に、少女の高い声が銀の鐘のように響いた。Tシャツとキュロット姿の日焼けした幼い少女が、右耳の上で結んだ髪をはねさせながら駆け込んでくる。 「えっ、あれ、お客さん……」  教壇の近くに立っている四人に、一斉に自分の方を見下ろされ、少女は気圧された様子で立ち止まった。  梓豪がハギヤの影からひょいと顔を出した。 「どうした、ジンジャー」  少女は不安そうな顔を上げ、相手が梓豪だとわかると、目を輝かせた。 「梓梓! なんで来てるのー!」 「来てたら悪いかよ」 「わるぅーい!」  元気よく言ってから、少女ジンジャーはジェイコブ牧師を見つけた。何か言おうとしてから口を閉じ、「何だっけ……」と右上を見上げてから、ジンジャーははっとした。 「今日のねー、かくれんぼ大会に使える場所を探してたら、エミリーおばあちゃんが腰抜かしちゃってるのを見つけたの。シタイ? があるんだって! 一緒に来て!」  梓豪の顔が気色ばんだ。ハギヤが立ち上がると、シスイも壁から背を離した。 「おれたちも行くよ」  梓豪は振り返って逡巡した後、黙ってうなずいた。  牧師を加えた四人が教会を出て、ジンジャーについていく。少女は広場を抜け、路地に入っていった。夕方になると通路は一層薄暗くなり、建物の蛍光灯が窓越しに光を投げかける。三分ほど歩いた後、シスイが前方を指さした。 「あれじゃないか」  見ると、腰が抜けてへたりこんでいる年配の女性がいた。彼女が見ているのは、配管から水が漏れ、水たまりができている袋小路だった。鳥籠のようなベランダや大きな縦の看板が頭上にせり出し、薄暗く湿っぽい。  水たまりの中に、誰かが仰向けで倒れているのが、うっすらと見える。 「……よくやったな、ジンジャー。あとは俺に任せて、お前は教会に戻ってろ」  梓豪が少女に対して言うと、少女は不安そうな顔をしながらも、大人しく来た道を戻っていく。彼女が角を曲がるのを確認し、梓豪は女性に駆け寄った。  ハギヤとシスイも続く。牧師も緊張した表情で、距離を開けてついてきた。年配の女性は梓豪に気づくと、口をはくはくと動かし、力なく前を指差した。  牧師を除き、梓豪たちは倒れた人物の方を見て、絶句した。  追いついてきた牧師が、女性の傍らに跪いて助け起こしながら顔を上げ、ようやく牧師は、梓豪たちの驚きようがただ事ではないことに気づいた。  牧師は、ハギヤとシスイのことはよく知らなくても、梓豪が死体を見慣れていることくらいは知っている。確かに死体を見つけるのはショッキングな経験だが、今回はある程度死体の存在を予想して現場に接近することができたし、今の梓豪のように、凝固するほど驚くことでもないはずなのだ。 「ず、梓梓……?」  牧師が梓豪の顔色を伺う。牧師にしがみついている女性も、困ったように少年の顔を見上げる。  そう、普段の梓豪なら、確かにここまで驚かなかった。けれども今目の前にあるのは、顔見知りであり、今最も話を聞きたい男の死体だった。  水たまりには、額に穿たれた孔から血の筋を流して、オリヴァーが倒れていた。
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