第十章

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 ――その部下張本人から、通話がかかってきていた。  振動する端末を取り出し、梓豪はしばし黙した。すでに陽は落ち、蛍光灯で照らされていない場所は藍色に塗りこめられていた。湿気が多く重い薄闇の中で、ディスプレイが鮮やかに白く光っている。 「……何で紅紅から……」  オリヴァー捜索の指示は出していないはずだと考えてから、ようやっと思い出す。  紅紅は梓豪の部屋に麻雀牌を取りに行ったのだった。セキュリティのために、部屋を出るときに連絡しろと言ってあった。  弾むような声を予想して、梓豪が通話に出ると、意外にも返ってきたのは紅紅の泣きそうな声だった。 『ね、ねえ梓梓……連絡していいか迷ったんだけど、あの、私どうしたらいいかわかんなくて……どうすればいいかしら……』  すぐに梓豪の頭が冷えた。 「どうした」  紅紅は冗談好きだが、梓豪が本気で怒るような冗談は言わない。何かあったのだ。 『あんたの部屋に入ろうとしたら、違う部屋からうめき声が聞こえるのよ。すごく切羽詰まった声なもんだから、気になって近寄ってみたの。そしたら扉が少し開いてて……』  紅紅の揺れる声に、時折後ろからうめき声が重なる。梓豪の頭はさらに冷えていき、脳がじんと痺れた。うめき声は、知っている声だったからだ。 『お、女の人が縛られてたのよ……』  間違いなかった。この声は、フィオナの声だ。 「おいお前ら!」  梓豪はすぐに二人を呼び寄せ、通話の音量を上げた。  紅紅は心細そうに話し続けている。 『仕事に使うのかもしれないから、ほっといたほうがいいのかなって思ったんだけど、もしそうだったらあんたも知ってるわよね……? あの、一応教えてくれない? この女の人、何なの……?』  紅紅の話を聞き、すぐに状況を理解したシスイが、短く尋ねた。 「名前はわかるか」  梓豪が電話口で繰り返すと、紅紅がごそごそやる音が聞こえてきた。 『ちょっと待って、(くつわ)を外すわ……フィオナって言ってる……あ、何か話したいことがあるみたい、あ、待って、わかった、わかったから! 危ないわよ!』  端末の向こうでぶつかる鈍い物音に、鎖が床に散らばる音など、騒ぎが繰り広げられた後、女性の必死な声が音割れした。 『梓梓なのっ? 無事なのね?』  対する梓豪は険しい顔だった。 「……あんたと違ってな」 『梓梓、今どこにいるの? 近くに誰がいるの?』 「日本人っぽいのが二人」 『日本人……?』  不可解そうにつぶやいたフィオナは、何かに気づいたように息を呑んだが、すぐに気を取り直した。 『と、とにかく憂炎は居ないのね?』 「いない。ほんとにフィオナは、炎哥のこと嫌いだよな」 『そうじゃないのよ。いい、決して憂炎に会わないようにして。お願い、彼に気をつけて。彼から逃げて』  梓豪の眉間の皺が深くなった。 「何言ってんだよ、そんなこと言われても信じられねえよ。ちゃんと説明しろ」 『お願い信じて――彼は、あなたも徳華のことも殺す気なのよ!』  空気が、しんと張り詰めた。  紅紅の遠い声が、言いづらそうに補足した。 『……フィオナさんが捕まってたの、憂炎さんの部屋なのよね……』  梓豪の手が震えた。指に力を込め、少年は端末を固く握り直した。 「あ、あんたが捕まってることと、何の関係があるんだよ」 『憂炎は私に自分用の戦闘用強化外骨格を作らせていたのだけど、私が……じ、事情があって逃げようとしたから、拘束したの! お願い梓梓、すぐに逃げて!』 「自分用の……強化外骨格って。じゃあ炎哥が俺に渡したのは……?」  ハギヤは目を丸くした。  梓豪に強化外骨格を渡したのは、憂炎だったのか!  フィオナの声に涙が混じった。 『それは憂炎が私を売り渡そうとしていた相手からもらったものよ。私は作ってない! 何度も外せと言ったでしょう、憂炎にも外させろと言ったわよ! でも彼は戦闘用強化外骨格の副作用を知っていて、あなたを使って強化外骨格にどれくらいのことができるか、どれくらいの副作用があるかを観察していた』  彼女はもはや、怒鳴るように泣き叫んでいた。 『憂炎は、自分用の強化外骨格を作れば、梓豪から強化外骨格を取り上げてやると言ったの。あなたは憂炎か徳華の言うことしか聞かないし、徳華は強化外骨格のことをよくわかっていないから……憂炎に取り上げてもらうしかなかった!』  梓豪の指は、力を入れすぎて骨のように白くなっている。 『でも強化外骨格の完成直前、憂炎が誰かと電話している時に自分の思惑について話していたのを聞いたのよ。彼は自分が購入した戦闘用アンドロイドであなたを殺して、私が作った強化外骨格で徳華を殺すつもりなの、自分が組織のトップに立つためにね! そして私のことは生きたまま、誰かに売り渡す気なの! 怪しいよそ者が来た今は、その者に全ての罪を着せることができる、最高のチャンスなのよ!』  フィオナが勢いよく咳き込んだ。紅紅の気遣う声が聞こえる。  ハギヤも心配そうに梓豪の顔を盗み見た。  梓豪は瞬きも忘れ、放心している。彼の心が戻らぬうちに、紅紅が通話に戻ってきた。 『あの、彼女……ひどく怪我しているようなの。どうすればいいかしら……』  紅紅もひどく狼狽えていた。無理もない、組織の内紛疑惑を聞かされたばかりだ。梓豪も何を信じればいいかわからなくなっていることだろう。  しかし梓豪は、動揺している場合ではないのだ。  パニックで奥歯を震わせながら、それでも梓豪は指示を出そうと息を吸った。
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