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 食事が終われば、休憩だ。すでに、時計は9時を回っている。  各自、座敷でごろ寝。ビクトルは壁に背をもたれ、本を読む。日本語の長い文章は苦手なので、小説とかはパス。漫画のセリフは文章が短く、絵と合わせて内容が読み取りやすい。 「ビクトル、寝ろ。寝るのも稽古だ。本は寝て読め」  富良王関が身を横にしたまま声をかけてきた。 「寝るが・・・稽古?」 「体を縦にした稽古では、背骨や足関節が圧迫され、軟骨が圧し固められてしまう。体を横にして、軟骨をほぐすんだ」 「軟骨をほぐす・・・」  人の身長は、朝から夕方までに数ミリ以上も縮む場合がある。主に背骨の軟骨が圧迫されるせい。若い頃には筋肉が背骨を支えるけれど、相撲取りの体重では支えきれない場合も。ならば、昼寝で体を横にして伸ばすしかない。  富良王関の年は三十の半ば過ぎ、久礼井部屋では最年長の力士だ。そろそろ引退の声が聞こえる頃。ひざや腰に慢性的な障害を抱えて土俵に上がっている。スポーツ医学を勉強していて、次代の親方への準備も怠りない。  相撲取りは体重が常人の倍もある。でも、骨と関節の断面積は大差無い。つまり、常人の倍も骨と関節に負担がかかっているのだ。骨と関節に休息を与えるのも、相撲の稽古であった。  骨や筋肉、腱の疲労断裂は、主に稽古のやり過ぎから起こる。断裂した骨や腱が治ると、太くて固くなってしまう。体の柔らかさは失われる。十分な休息を取っていないと、稽古ができない体になるのだ。  ごろ寝で休憩する内に昼が来た。  相撲取りの食事は、一日に朝夕の二食が基本。昼に握り飯の一つくらいは口するが。  本場所が始まれば、昼は茶で口をゆすぐ程度にする。午後は場所入りしなくてはならない。立ち合いで腹を打たれて、土俵にゲロをぶちまけたら・・・即クビを超える大問題となる。廻しがほどけて負ける以上の恥ずかしい事態だ。  土俵に上がる前には、腹を空っぽにしておく。それが相撲取りの礼儀である。 「さあ、買い出しに行くぞ」  手鹿賀が言った。  ビクトルを含め、部屋の下っ端力士は、昼間は買い出しの仕事がある。  相撲協会に属する力士には服装規程がある。外出には浴衣を着込む。足は下駄履き。街を歩けば、一目で相撲取りと分かる格好をする。  料理番の手鹿賀の指導で、夕食と明日の朝飯の材料を仕入れる。4人から5人で買い出しに行く。普通の人の倍も体が大きい相撲取りは、食う量も倍以上。買い出しの量も大変だ。  八百屋では野菜の切れ端をもらい、肉屋では肉を取った残りの骨をもらい、魚屋では剥ぎ落とした皮をもらう。部屋の金には限りがある、節約できるところは節約する。煮込んで出汁を取れば、栄養は本体とほぼ同じだ。  買い物をしながら、新入り相撲取りは顔を売る。土俵度胸をつけるためにも、丁髷頭と浴衣での買い出しは稽古の内である。
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