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 朝飯後にまったりしていると、久礼井親方が報せた。 「午後、藤原部屋から高麗山関と白籐山関が来る」  十勝嶽は食いかけのアンパンを置き、無言で立ち上がる。付け人の二人を手で誘い、稽古場へ。時計は昼前だ。 「高麗山は前頭二枚目だ。うちの十勝嶽関には、三役を狙うライバルだもんな。気合いが入る訳だ」  富良王関が笑って起き上がる。  ぞろぞろと皆が起き出した。休憩は終わりだ。 「お客様が来るのか。今日の買い出しは、おれだけで行くよ」  手鹿賀が言った。  関取になれば、余所の部屋に出向いて稽古する場合がある。付け人も一緒に行く。出稽古と言われる。出稽古に行くも、受け入れるも、新入りの買い出しはお休みとなる。  手鹿賀は引退してから運転免許を取った。相撲部屋が必要とする大量の買い出しに、独りでも不便は無いのが実情だ。  ビクトルもトイレに立ち、皆と連れション。それから稽古場に降りて回しを締めた。前相撲にも出られない新入り、出稽古の力士と胸を合わせる機会はあるはずも無い。でも、力士の端くれとして、廻しを締めて出迎える。  お客の力士が来れば、稽古場が狭くなる。はじき出されて、今日の稽古ができなくなるのは新入りだ。客が来る前に、今日の分の稽古をすませておく。  時計が午後1時を差した。  久礼井部屋の前に2台のミニバンが駐まる。羽織袴の関取が2人、浴衣姿の付き人が4人、髪結いの床山と付き添いの親方、計8人のお客様が到着した。  ビクトルは四股を止めて、壁際へ行く。この先は見学、余所の部屋から来た関取の稽古を見て覚える。  上がりの席には久礼井親方。そのとなりに、藤原部屋から来た高田親方が並んで座る。昨年、前頭十五枚目で負け越し、十両へ陥落するよりは引退を選んだ。髷は落としていても、体重は150キロ以上、丸い体つきは相撲取りのままだ。  白い稽古廻しを締め込んだ白籐山関が現れた。前頭十五枚目ながら、体重は170キロ。ダルマのような体型。  四股を始めると、体型の割りに足は上がる方。股の角度が90度まで開く。でも、上げた方の足が、ひざから先が、錘のように垂れ下がる。足を下ろすと、パンと小さな音がした。久礼井部屋の先輩力士たちと同様な四股だ。  高麗山関も姿を現す。体重120キロ、上体の筋肉は盛り上がり、プロレスラー的な体型だ。  その四股は足をピンと伸ばして、1・・・2・・・3・・・とゆっくり上げて、つま先は頭より高くする。上げきって静止、また1・・・2・・・3・・・とゆっくりと下ろす。足は音も無く着地した。 「かっこいい・・・」  つい、ビクトルはもらした。  高麗山も体の細い新人の視線に気付いた。髷も結えてないから、今年入ったばかりと知れる。 「四股が珍しそうだな」 「他と違うなあ、と思って。踏む時に音もしないし」  高麗山は両足を着け、さらに腰を落とす。そこから右へ左へ、体をひねった。 「人それぞれに四股は違う。工夫することだ。おれの場合は・・・地面とケンカしても勝てない、と割り切ってるから」 「地面とケンカしても勝てない・・・」  高麗山は右足を天高く振り上げた。また、ゆっくり下ろしていく。地面に着く直前、足を止めて、そっと着地させた。 「地面に足をぶつける四股では、足首やひざを傷めやすいぞ。足の裏に十分な筋肉がつけば、音くらいは簡単に出せる」  高麗山は足を軽く浮かせ、また着けた。パン、と小さな音が出た。  足裏の土踏まずに空気をため、空気たまりを踏み潰して、ゴム風船が破裂したような音になった。相撲取りの体重は常人の倍もある、それを支える足裏の筋肉も倍以上にぶ厚い。 「なっ」  高麗山は笑みを投げた。  ビクトルは目を丸くして、熟達者の四股に感ずるばかり。
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