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 ビクトルは家へ帰る。足が棒のようになって、体のあちこちが痛んだ。寒さも身にしみた。  震えながら、コンテナによじ登り、中で身を小さくした。  荷物を探っていたら、充電式のラジオ付きライトを見つけた。ハンドルを回して充電するやつ。  ぐるぐる・・・ぐるぐる・・・ハンドルを回した。ライトはLEDなので温かくない。でも、ラジオから人の声が聞こえた。日本語の放送だ、ロシア語ではない。でも、よく聞いていたから、内容は分かった。テレビだって、択捉島では日本のBS放送が強い。 『3000人規模の自衛隊が釧路根室地方に投入され、救助活動を始めています。政府は1万人規模に拡大を検討しており・・・』  海峡の向こう側では、軍が積極的に動いているらしい。  段ボール箱の底から小麦粉の袋が出て来た。開いて、手ですくって口に入れた。  喉が渇いたので、雪を食べた。水と小麦粉・・・腹の中でパンにする感じ。  腹に物が入ったからか、眠気がきた。 「ビクトル、起きろ!」  兄イワンの声にはっとした。  コンテナから顔を出す。すっかり日が落ちて、真っ暗だ。  右を左を探しても、兄は見えない。父も母もいない。さっき聞こえた声は幻だったのか。  波の音の向こう、島の南の海がぼんやり見えた。光があった。  船だ!   コンテナの中にもどり、手探りでライトを探した。ハンドルの手応え、充電式ライトを見つけた。  スイッチを押しても、ライトが点かない。電池が無くなっていた。  ぐるぐる・・・懸命にハンドルを回す。  ライトが点いた。船の方へ向けた。  灯りが切れないよう、ハンドルを回しながら海の方へ向ける。  と、船の灯りから、別の光が上に現れた。  光が近付いて来る。こちらの光に気付いてくれた。  ばばば・・・ヘリコプターが近付いて来た。でも、よく聞くロシア軍のヘリとは音が違う。  日本の海上自衛隊、護衛艦『ひゅうが』の搭載機SH-60ヘリコプターだった。  地震発生の直後から、自衛隊は国後島と択捉島の通信を傍受していた。そして、ロシア軍の活動が無いのを確認していた。  ロシア政府に問い合わせるも、救援の必要は無い、との一点張り。実は、現地との連絡がつかないだけであった。  地震から数時間後、東日本の太平洋側の港から、海上自衛隊の艦艇はスクランブル出航していた。とりあえずは、津波被害の確認された根室、釧路、知床半島への支援が目的だ。  人工衛星のデータからして、国後島択捉島の付近でロシア軍は活動していない。択捉島から、ヘリがサハリンに向かったのを確認しただけ。  日本政府はロシア軍が北方領土から撤退したと確信した。撤退から24時間が経過して、海上自衛隊に命令を出した。  国後島択捉島の生存者の探索と救助にあたれ!   名目は十分、非常時として行動を開始した。日本も領有権を主張している領域だ。  護衛艦は中間線を越え、択捉島に接近した。夜になって、陸に光を発見し、救助のヘリを飛ばした。  カムチャツカの軍港には、ロシア海軍の強襲揚陸艦がいた。が、3万トン級の大型艦であり、出航準備に1週間はかかる。ひゅうが級のような機動的な運用には適さなかった。  最初の生存者が護衛艦ひゅうがに収容されたのは、地震発生から約53時間後である。
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