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地震から5日目、晴れて青空が広がった。
ビクトルは自宅のあった丘から海を見た。
東の海上にロシアの艦隊が姿を現した。大型の強襲揚陸艦イワン・コロスと護衛の駆逐艦だ。
「今さら、何しに来たのさ」
首を振って、背を向けた。
どどどっ、爆音に空を見た。
アメリカ軍のRF-18偵察機が低空飛行で通り過ぎた。100キロ南の海上には原子力空母の艦隊も来ている。
国連では安全保障委員会が緊急招集されていた。
「災害を理として、領土を拡張しようとする試みは否定されるべき」
ロシアは主張した。中国は賛成した。
が、アメリカとイギリス、フランスの拒否権に議案は否決された。2014年、クリミア半島を武力で併合したロシアに理は無い。
5日間、強襲揚陸艦イワン・コロスと護衛の駆逐艦は択捉島の沖合にいた。
自衛隊が収容した遺体の内、軍服を着た遺体が7体あった。ロシア軍は軍人の遺体として引き取った。軍の施設を少し捜索したもよう。
それ以上は何もせず、ロシアの艦隊はカムチャツカの海軍基地へ帰った。
3週間にわたり、自衛隊は択捉島と国後島に歯舞島を捜索した。泥と瓦礫の中から収容した遺体は500を超えた。海へ流出した遺体も多いと推測された。
択捉島で6人、国後島で7人の生存者を見つけた。歯舞島では生存者が見つけられなかった。3人が発見後に死んだ。4人は札幌の病院へ移送されたが、2人が入院中に死んだ。
捜索体勢が縮小される事になった。
ビクトルは択捉島に居続けるのを望んだ。家族3人を埋葬したばかりだ。が、生活基盤が全て破壊された島では、子供には無理がある。
ヘリコプターで千歳へ送られた。
空港にはロシア大使が来ていた。被災者の内、2人がロシア本土への帰国を希望していた。
ビクトルが斜に構えて言う。
「モスクワの大統領が言うには、ぼくは日本が用意したニセの択捉島民らしい。大使が会っても、良いのか? まあ・・・生存者がわずか13人なんて、モスクワの人には全滅と同然かもしれないけど」
「その発言は知っている。本国に問い合わせてみよう」
握手も交わさず、大使は帰国希望者と共に退出した。
地震から3ヶ月、日本の国会で北方領土に関する法律が成立した。
国後島と択捉島の住民は、望めば自動的に日本国籍が与えられる事となった。私有財産もそのまま認められる。旧島民の財産と重なる場合、現島民の財産権が優越する。旧島民の財産権は国が買い取る。年金などの社会保険は、年齢に応じて払い込まれたと見なす・・・等々。
日本政府と内閣は、北方領土の日本への帰還が成ったと宣言した。旧島民と子孫の移住計画が立案された。
アメリカ、イギリスなどが認めた。
島民のロシア在住親族は、ビザ無しで国後島と択捉島への墓参が可能とされた。
ビクトルはロシア系日本人のスタルヒン家と養子縁組をした。ビクトル・ボリシコ・スタルヒンと名乗ることにした。
ロシアのボローニン大統領は自身の発言を訂正していない。
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