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体が温まったところで、幕下より上の力士たちは土俵を囲む。
申し合いのぶつかり稽古が始まった。ばん、ばばん、肉と肉が激しくぶつかる。
ビクトルは土俵に背を向け、壁を相手に四股を踏んだ。
他人の稽古を見るのも相撲の稽古、と言う。上位力士の体の使いようを見ておぼえるのだ。が、ビクトルは部屋で一番の細身、背は一番高いのに。体の丸い力士の動きは参考にならないと割り切る。
「おい、ビクトル」
声をかけたのは久礼井親方だ。
「わしも入門したての頃は、おまえと同じように、独りで壁四股をやったもんだが」
「これが壁四股・・・親方も?」
「どうせなら、壁に手を置いて四股をしろ」
親方が両脇を締め、手を壁に置く。そして、軽く四股を踏んで見せた。
ビクトルも習い、壁に胸の高さで手をついた。
「そんな高いところはダメだ。もっと低いところに手を付け。壁の中に相撲の相手を見ろ。相手の回しをつかんで、上手投げや下手投げをするように四股を踏め」
親方に言われ、ビクトルは腰の高さで壁に手を付く。
「しっかり壁をつかんで四股を踏むんだ」
平面の壁をつかめ、無理難題がきた。指先を壁に押し付け、前傾姿勢で頭と胸を壁に寄せた。
「普通の四股では、下半身だけの運動になりがちだ。この壁四股なら全身運動になる」
親方の言葉を聞きながら、ビクトルは右足を上げた。両手に体重の半分がかかる。むしろ下半身の負担が少ない。
兄と一緒にやった腕立て伏せを思い出した。兄は体を反らし、片足を宙に上げて腕立て伏せをやった。ビクトルも習ってやったが、10回で根を上げた。
指先に力を込め、壁をわし掴みにする。それで四股を踏む。少しでも指先から力が抜けたら、体が吹っ飛びそう。
「いいぞ、ビクトル。おまえの大きな手は両親からの贈り物だ、しっかり鍛えろ。それが最善な親孝行だ」
すでに死んで何年か。
でも、両親を引き合いに出されては、力を抜けない。
稽古が終わった。ビクトルは廻しをほどき、シャワーで体の土と汗を流して落とす。
十勝嶽関はさんぶと湯槽に体を入れる。古参の力士はシャワーより浴槽を好む。下半身に水圧をかけ、足にたまった血を上体にもどす・・・なんて理屈があるらしい。
風呂から上がれば、朝飯だ。
ビクトルが相撲を選んだのは、全寮制で飯が食い放題だから。札幌のスタルヒンの家では、2人前を食べる自分を恥じていた。
ところが、相撲部屋に来てみれば、一番の小食だった。
体重が100キロ未満はビクトルだけ。体重に比例して食うわ食うわ。飯を食うのも稽古の内と言う。
皆に追いつこうと、丼に飯を山盛りにする。
と、料理番の手鹿賀関に止められた。去年末、引退したばかり、頭には髷が残っている。最高位は十両の三枚目だった。負け越して、幕下へ陥落と言うところで引退した。今は料理店のバイトをしながら、部屋の料理番をする。
「未だ早い、無理して食うな。お前は若いから、まだ骨と関節を鍛える時期だよ。先に筋肉や脂肪を付けてしまうと、体が固くなりがちだ。二十歳になれば、自然と筋肉は付く。二十五を過ぎれば、イヤでも脂肪が増える」
手鹿賀はビクトルの丼から、飯の半分をジャーにもどした。代わりに、具沢山な豚汁の椀を押し付けられた。
今日は食べ方の稽古をうけた。
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