【短編】君がいた日の月影

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(ひ、とりで……だ、いじょ、ぶ、か……な……)  家事能力ゼロの幼馴染み。偶然にも就職した企業が同じオフィスビルに入居していて、それを知ったおばさんから時折様子を見に行ってやってくれないかと打診され、紆余曲折を経て恋仲になって、先月結婚した。プロポーズの時……『美琴(みこと)がいねぇと俺は生きていけねぇや』と言って、頬をかきながら困ったように眉を下げたこーちゃん。  私は助からないだろう。だって、遠かったサイレンが更に遠くなっていく。今は熱さよりも、寒さのほうが強く感じる。永遠の孤独がひたひたと寄ってきている。こーちゃんの顔も、大好きだった低い声も、私を抱き締める手のあたたかさも、何もかも思い出せなくなってしまった。 「……ぁ、い……」  最期に一度だけでいいから、会いたかった。会って頭を撫でて欲しかった。  何度小言を言っても直らなかった靴下を裏返して脱ぐ癖も、洋服を脱いだら脱ぎっぱなしなところも、1伝えると10で返ってくる理屈っぽいところも、見てないのにテレビを点けていようとするところも、全部全部、愛してる。だから――私がいなくなっても。こーちゃんには、ずっとずっと幸せであって欲しい。  どう足掻いても、仕事中の彼には届かないとわかっている。けれど、それでも思わずにはいられない。  どうか、どうか。あなたがずっと、倖せでありますように――――  ◇ ◇ ◇  ふっと。目が覚めた。 (……あれ…?)  ゆっくりと、瞬きをする。ぼんやりとした電灯が、曇天の狭間でぽつぽつと灯っている景色が視界に飛び込んできた。  普段眠っているときは意識が浮上するかのように目が覚めるのに。何故だかふつりと遮断された意識が急に戻ったように感じる。  瞬きを繰り返すと、黒いアスファルトと駐車場と思しき白線たちが横断歩道のように目の前に広がっていることが理解出来た。 (……いた、い)  全身が軋むように痛い。特にお腹の奥の痛みが強い。それに、身体を起こそうとするだけで気を失いそうになる。そして、かなり眠い。でも、喉がすごく乾いている。 (のみ、もの……)  喉を潤す何かを探そうと立ち上がろうとすると、地鳴りのような鈍い音が聞こえたような気がした。反射的にぴくりと()()が動く。
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