【短編】君がいた日の月影

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 スマートフォンのディスプレイに表示された画面をスクロールしながらシャワーのコックを捻る。ざぁざぁと雨のように落ちていくお湯にイルカ型の水銀湯温計を当て、適度な温度になるまでコックを調整していく。 「えっと……お湯の温度は35度から36度……」 「みゃぅ、みゃぅぅぅ」  まるで『水は嫌い』と主張するような、必死な鳴き声が浴室の壁に反響していく。足元に視線を落とすと、浴室に連れてきた子猫は尻尾をぴんと立て、壁の四隅に後ずさって全身を縮こめていた。猫らしいその様子に眉が下がる。 「ごめんって。ノミがいるって先生に言われてるから。そのままにしてたら君がもっと辛くなるからさ……」  言葉は通じないだろうけれど、それでもありったけの感情が伝わるようにと声をかける。そっと手を伸ばし小さな身体を持ち上げると、触れた前足の付け根部分がどくどくと激しく脈を打っていた。よほど嫌なのだろう。 「シャワーの音かなぁ。ちょっと弱めるか……」  水音に恐怖を感じているのだろうか。猫は聴覚が良く、人間には聞こえない音を聴き分けることが可能である、ということは、先日本屋で買った猫の飼育指南書に記載があった。シャワーの音が激しい雷雨のような水音に聴こえ、怖いのかもしれない。  子猫の身体を片手で抱えたままシャワーの勢いを弱める。抱えた子猫の体重は拾った時よりも少しばかり重くなっているように感じ、順調に回復しているのだと実感してほっとため息を吐き出した。  拾った翌日に病院に連れていき、治療をしてもらったその日の夜に目覚めてくれた。溜まっていた有給消化も兼ねてこの一週間は休みを取ったが、ミルクだけでなく、ふやかしたカリカリで作った離乳食も食べてくれるようになった。お湯に溶かした薬をスポイトで飲ませようとする時だけは猫本人も察するのか嫌がるものの、その姿にどれだけ安堵したか。
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